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 牧田は足を小刻みに揺らしていた。落ちつかない。そもそも牧田は大の病院嫌いである。つまり病院などと云う看板の掲げられた建物に入ったのはもう何十年ぶりの事であるし、驚いたことに、昔の病院には必ず長椅子の横には足の長い灰皿がおかれていたものだが、何処を見回してもそれが見当たらない。それどころか、最近の病院では喫煙室はおろか敷地内での喫煙さえ禁止であると云う但し書きが壁と云う壁いたる所に掲示されている。  遼太が施術室に運び込まれてからもう一時間。牧田の目にはそれほど大したことは無いと映っていたのだが、思った以上に遼太の容体は重篤な様だった。 それから更に一時間が過ぎた。牧田は限界を覚え外に煙草を吸いに出ようと腰を上げる。しかしその時、施術室の扉が開き遼太を担当した医師が扉の向こうから姿を現し牧田の方を向いて歩いて来た。 「お待たせしました、牧田さん、でしたね。遼太君、胃の他にも後頭部の打撲、殴打による出血が内臓の至る所に見受けられましたので、大事を取って一週間ほどの検査入院になります」 「ちょっと待ってくれ先生、俺は、単なるゆきずりで、そんな、一週間の入院だなんて言われてもよ」  医師は何かを言おうとして、しかしその言葉を一旦呑み込み少し虚空を睨んだ後牧田に話した。 「遼太君、もうそろそろ麻酔が切れて目覚めると思います。その後の事は遼太君とよくお話をされて、今後の対応は牧田さんにお任せします。正直、面倒な事に巻き込まれるのは御免被りたい」  医師は淡々とそう牧田に告げるとそれっきり振り向きもせず仄暗い廊下の向こうに消えていった。 「なんだあの医者、ったく、マジかよ、面倒くせぇ」  牧田はポケットから煙草をつまみ出し、それを咥えるとそのまま病院の夜間出入り口に向かって歩いた。とりあえず外に出て惠に連絡を入れ、遼太の親族を探すのが先決だと思われたからだ。 時間はもう深夜である。夜間出入り口の対面にある受付カウンターは閑散としていて、牧田がその左側に目をやるとシャッターの閉じられた売店が目に入った。 「けっ、面倒くせーなぁ、もう」  建物の外に出ると牧田は左右を見回しコンビニの灯りを探す。すると幸い北東二百メートル程の場所にコンビニの灯りが見える。咥えた煙草にライターで火を点け、牧田はその灯りを目指しながら携帯を取り出し惠に電話を掛けた。 「もしもし」  惠はワンコールで直ぐに電話口に出る。 「おう、遼太、だったな、あいつ、思ったより酷かったよ。一週間の入院だそうだ」 「そう、秀さん、ごめんね、遅くまで引っ張って」 「あぁ、まぁ、いいよ、で、どうすんだ」 コンビニに着くと、牧田は入り口に設置されている灰皿で煙草を揉み消し店内に入る。 「それがね、困ったことになったのよ」 「困ったことってお前、もう充分困った事になってると思うけどよ、まだ困んのかよ」  牧田は携帯を首と肩で固定し、会話を続けながら空いた右手で買い物かごを手に取った。 「秀さん、警察には知らせたの」 「否、まぁ、俺も、なんだ、やべーからよ、警察はしかとだ」  雑誌の置かれているコーナーで適当な若者向けの週刊誌を三冊、日用品のコーナーで下着を二セット、歯ブラシ、タオルをかごに放り込み、T字の髭剃りは思い直して商品棚に戻す。 「良かった。明日の朝一番で美月ちゃんを連れて病院に行く、だから取り敢えず私が遼太君と話すまではそのままにしておいて」 「美月、ちゃんって、なんだ、それ」 「遼太君が連れて来た子、小さな女の子なのよ。彼は娘だと言っていたけど、彼、どう考えても父親には見えないでしょ。だから詳しく話を訊かないと。もしかしたら誘拐の可能性だってあるかもしれない」  牧田はレジで精算を済ませると右手に携帯を持ち替え、コンビニ袋を左手で掴み外に出た。 「誘拐ってマジかよ」 「ええ、そして、更に困った事があるの」 「おいおい、もう腹いっぱいだぜ、これ以上困った事を食えってか」 「美月ちゃんね、多分、かなりの長期間、日常的な虐待を受けている」 「なんだとぉ!」  虐待。その言葉が出た途端、おちゃらけた何時もの牧田の声が突然凍り付いた。 「誰が、何故、あの子を虐待しているのか、それは判らない。けれどもし、あの遼太って子があの子を誘拐し、連れまわして虐待をしているとしたら、ほっとけないでしょ」 「分かった」  牧田は今さっきレジで精算したばかりのコンビニ袋をそのまま乱暴にゴミ箱に投げ捨てた。 「秀さん、明日、仕事は」 「センターに話して仕事は止めてもらう。俺はあいつが逃げない様に今から病室で張るから、お前はなるべく早く病院に来てくれ」 「分った、ありがとう、秀さん」
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