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「陛下!」  ファルクについていた侍従が、馬車から降りてきたコルに気づいて大声を出しかけ、慌てて己の口を塞いだ。しかし東方の使者たちは城で挨拶を済ませたはずの王その人が現れたことにざわついている。どうやらファルクにはコルのお忍びの件は知らされていなかったらしい。ノクスもまさか、ファルクが仕事をしている真っ最中に彼の前で馬車から降ろされるとは思わなかった。 「ノクス? 兄上、屋敷から勝手に連れ出すなと、あれほど……!」  ファルクがノクスに気づいてすぐにファルクがコルに抗議しているのを見て、ノクスは大きい布を被りながら耳をぺたりと伏せていた。ファルクは怒っている。仕事を邪魔されたのをきっと怒っているのだろう。だが、コルはファルクの抗議をあっさりと笑い飛ばした。 「たまには王自らが接待ってのもいいだろう? ショークスは我が国にとって大事な同盟国だ。遊びならオレの方が得意だぜ。せっかくのノクスちゃんとのデートをお前に譲ってやるんだから、精々楽しんでこいよ。どうせ自分への言い訳のために仕事ばっちり詰め込んだんだろう? オレが譲ってやる唯一のチャンスを、逃がすなよ」  コルは豪快に笑いながら、ショークスの使者たちを連れて馬車に乗り込むとさっさと行ってしまった。ファルクの侍従たちは判断を悩んだようだが、ファルクから王に付き従うように、と指示されて自分たちの馬に乗り慌てて王の馬車を追いかけて行く。護衛兵も同じように王について行かせると、街の真ん中でファルクは大きなため息をついた。ノクスがそれに怯えてまた小さくなったのを見つけると、布を掴んでいたノクスの手を自分の手に繋ぐ。 「せめて馬車くらい置いていけ、と思わないか」  どうやらノクスたちが乗ってきたあの馬車にファルクがショークスの使者たちと乗り、次の場所に移動する予定だったらしい。  以前見た、綺麗な刺繍が入った裾の長い服を来て上等な布で作られた外套という正装に近い恰好をしたファルクは、庶民たちも行きかうこの場所にいると目立っているのだが庶民の驚く視線に気づく様子はない。コルが予想外な動きをしたことにファルクは怒っていたのだ。  ノクスの手を引きながら歩き始めてすぐ、ファルクは外套を脱いだ。帯剣しているのと、長身で引き締まった体つき。そして姿勢が良いのとで、耳や尾がなくとも『オオカミ』の騎士のようだ。  ファルクは馬車を掴まえようとしていたが、あいにく通り過ぎる馬車はなく、どこかで休憩をしようということになった。小さな泉のある広場に立ち寄ると、幼い子どもたちが追いかけっこをしながら目の前を走り去っていく。はしゃぐ声を聞きながら、小高い丘に腰かけるとファルクはノクスを守るように傍に立った。 「……兄上は、王としては有能なのだが、家族にはああやって時々訳の分からないことをしてくるんだ。ノクスも突然連れ出されて驚いたのではないか」  兄に振り回されることが多いらしいファルクはまた嘆息をついた。しかし、唸るようにではあるがノクスが「うん」と返事してきたのを聞いて、ノクスへと視線を向けた。 「ノクス。もしかして、今――声が出たのか?」 「……ファルク。こえが、出た」  色々と話したい気持ちが積もりに積もったせいか、まだぎこちないがノクスから言葉が出てきたのを聞いてファルクが安堵した表情になった。そうして、すぐに険しい表情へと戻る。 「話せるようになったのなら、城に戻らなければならない。お前は陛下の……」  花嫁なのだから、と言い連ねようとしたファルクの腕を――翡翠の腕輪の片方が嵌っている方を掴むと、ノクスは懸命に言葉を絞り出した。 「おれは、ファルクのそばに、いたい。この姿ではそばにいられないのなら、オオカミに戻る、から。ずっと、オオカミのままでいる、から」  ファルクは獣の姿だったり、言葉を失っていたノクスにはとても優しかった。そうである間は、コルの――アスラル王の花嫁になることは不可能だからだ。 「うでわ。ファルクと、おそろい」  じ、とノクスがファルクを見上げると、めずらしくファルクが動揺するのが見えた。まさかノクスが腕輪の意味に気づくとは思っていなかったらしい。だが、その意味を教えた人物にすぐに思い至り、自分の顔を隠すようにファルクは己の手のひらで顔を覆った。 「オオカミには戻らなくていい。戻る必要はない。……兄上は一体何を考えているんだ?!」  ファルクはあの時、自分の対の腕輪をノクスに渡してきた。ファルクの気持ちを辿るようにノクスは自分の腕に嵌まったままの翡翠の腕輪に触れる。 「ファルク。おれは、あの時うれしかった。ずっと、大事にしてきたんだ」 「――すまないノクス、少し頭を冷やさせてくれ。このままだと変なことを口走ってしまいそうだ。……ついでに、何かノクスの好きそうな甘いものを買って来る。もう少しだけ冷静になって……ノクスと話したい。ここを動かずに待っていてくれ」  ファルクはノクスの言葉に心なしか顔を赤くしてぎこちなくそう返してくると、ノクスを置いて広場の隅に出ている店へと足を向けた。  ファルクが置いていった外套が地面に落ちているのに気づいて拾い上げる。几帳面なファルクのことだから、落とした外套にも気づかないと言うのは、顔に出している部分以上に動揺しているのかもしれない。拾う時に頭から被っていた布が肩まで落ちてしまったが、外套から仄かに感じるファルクの香りに気づいてノクスが鼻を寄せたところで、座っているノクスの前に誰かの影が差した。
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