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月の口づけ
――月の下で、ボクは走馬燈を見ていた。ほとんどがキミとの思い出だ。滅びる世界で、ボクはキミとの日々を反芻していた――
今日もキミの姿に邂逅を夢見る。いつの日か逢いたい。直接この目で、はにかんだようなその笑顔に触れたい。そんなことを考えながら、キミのホログラムに手を添える。この手ではなんの感触もない。実際に触っても分からないんだけれど、温かみならきっと感じられると思うんだ。その言葉に彼女は笑う――。
「ワタシも会いたいな。あなたの温もりを感じたいです。きっととても優しくて、嬉しいという感情に包まれるのでしょう」
不純物のない完璧な白い素肌に紫色の瞳。さながら銀河を封じた水晶のよう。愛嬌のある可愛らしい鼻のしたには、刃のような薄い唇がピンク色に染められている。キミが、首を傾げる仕草で微笑むたびに、蜘蛛の糸のような透明感ある繊細な髪が、ゆったりと宙にゆらめいた。どれをとっても美しく、真っ白な翼がはえていたっておかしくない――月の女神に相応しい姿だ。粒子が映しだす彼女は、永遠の果てに咲く花のようにひっそりと輝いていて、そして、どう足掻いても手の届かない存在だった。
「ボクは毎日、カミサマに祈りを捧げているんだ。もしかしたら……いないのかもしれないけれど、それでも願わずにはいられない。いつの日か、キミを抱きしめたい」
彼女は涙しそうなほど悲しげな表情を浮かべて――両手を画面に乗せる。ボクは鏡写しのように両手を重ねて、彼女とのありもしない接触に縋った。
「きっといつか逢える日が来ると信じています。そろそろ装置の充電が切れます。また一ヶ月後に会いましょう……」
暗闇の部屋で、ボクの顔を照らす光が消えた瞬間、それまで宝物の詰まったおもちゃ箱のような空間が、水気のない酷く乾いた灰色に変わってしまった。なにかの機材が四方に設置された部屋は、ヒビだらけのコンクリートに覆われていて埃が積もっている。まるでボクのなかにある虚無感を具現化したような部屋だ。『いつか会える日が来ると信じている』と彼女は言ったけれど、それが嘘だと知っているボクは、毎回キミと別れるたびにどうしようもない喪失感に苛まれるんだ。いっそのことこんな身体を壊してしまえば楽になれるというのに、悲しむキミを思うとそれができない。
肩を落として、錆びついた階段を登る。ビルの屋上へあがったボクは、さらに瓦礫の山を登った。光が死んで色が熔けた世界。生きとし生けるものの歴史は、深い瓦礫の海底に沈んでいる。降りしきる灰色の雪が、輪郭を失った都市の残骸に、死装束を着せていた。ボクの身体は寒さに強いけれど、心が酷く凍えている。円を描く月が空のずっとずっと上の上の、そのまた最果てに浮かんで、おぼろげな月明りをボクに落とした。
ボクは地球にいる。キミは月にいる――。
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