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「そっちじゃありません。分かっていて面白がってるでしょう、塚山さん」
甘く耳元で囁かれた塚山の声に、それこそトゲトゲと返し、紬は声を低くした。
『今、君の家にいるから』
けらけらと笑った塚山は、今度はすんなりと、紬の確認したかった言葉をくれた。
「あの、それ、どうゆう事ですか」
昨日の今日での塚山の来訪。何が起こっているのか、紬には想像がつかない。
『詳しくは起きて来てくれたら分かるよ』
「はぁ? ちょ、待って、塚山さん?」
相変わらずの塚山を引き留めにかかるが、明るい声で「じゃあ、待ってるから」と言い残して通話を切られた。
さも、スマホの向こうでひらひらと軽く手を振り、喰えない笑顔を浮かべる塚山が見えるような錯覚に、目眩を起こす。
「何なんだ」
ぐるぐると回る頭を抱え、屈み込みそうになった所で、いけないと立ち上がった。塚山のペースに巻き込まれてはいけないが、勝手に上がり込んでいても相手は客人。
冷静になる前に動かなければ。待たせるわけにはいかないのだ。
早急に人前に出られるくらいの身支度を済ませ、リビングへと急ぐ。
リビングのドアを開ける前から、ガチガチ、カラン。と、何やら賑やかな音がする。
そして。
「とと、まぜまぜ」
一瞬、幻聴かと紬はフリーズした。
「悟、そこ退けよ。危ないだろ」
「悟くん、こっちにおいで。もうすぐ、紬くんも起きてくるから」
何だか勢ぞろいな賑やかさに、軽く目眩を覚える。
紬は恐る恐るドアを開けて中を覗き込んだ。
「あ、むぅだ」
目敏い悟に一番に見つかり、次々と視線を浴びる。
「おはよう、紬くん」
柔らかい笑顔で挨拶をくれる塚山の奥の男に、紬の視線は釘付けになる。
「はよ、紬」
軽く挨拶を飛ばしてきた草悟は、台所に立っていた。
「なに、やってんの?」
昨晩の作り置きは無事かと思うほど、そこは荒れている。
「ちょっと借りてる」
「いや、それは良いけど」
本当に良いのだけれど、何をしているのかを教えて欲しい。
「何か手伝おうか?」
昨日の事もあるので、あまり近寄りたくはない。けれどぎこちなく台所で動き回る草悟は、危なっかしくて冷や冷やする。
「紬は座ってろ」
そう言われ、大人しくリビングのソファーへと腰を下ろすが、落ち着かない視線を草悟へと向けてしまう。
「あ、紬くん、味覚戻ってるよね」
悟とボール遊びをしていた塚山が、何でも無い事を思い出したように聞いてきた。
「はい。昨夜、気が付きました」
どうして分かったのだと、視線で訴えると、塚山は悪戯が見つかった子供のような顔をする。夜中に作り置いた何かを食べたのだろう。
自分の思い込みではなく、人からお墨付きをもらえると少し安心した。
「塚山さん、紬と視線で会話しないでください」
どこから見ていたのか、不機嫌そうな草悟の声が台所から飛ぶ。
「何で不機嫌なんだよ」
いまいち状況が飲み込めないでいると、草悟が手に皿を持って、リビングへと加わりにきた。
「俺、塚山さんに言われて、ずっと考えてたんだ」
草悟は手にしていた皿を、そっと紬の目の前に置く。
「紬は昔から、俺の好きなものばっかり作ってくれるけど、お前の好きなものって聞いた事がないなって」
いつも作るものは、草悟の好物が優先だったから。
「学生時代、どこに食べに行ったとか、何をよく食べてたとか。俺が食ってる光景は思い浮かぶのに、紬が食ってるところ、いっこも思い出さねえの」
当時は草悟の側にさえ居られれば良かったし、今は美味しいって笑ってくれるだけで、幸せになれるから。
「紬は、何が好きなんだ」
それは、もう昨日伝えたはずだ。
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