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9年目の告白
チャイムを押すと、中からバタバタ足音がしてまもなく、玄関のドアが開いた。
「ただいま、かあさん」
「おかえり、遅かったね」
かあさんは居間に進みながら、エプロンで両手を拭いて、僕に仏壇に手を合わせるよう言った。
途中、来るのが遅いとか、ご飯が冷めちゃったとか、小言をいいながら不機嫌を装っていたが、かあさんのほっぺたが少しだけ持ち上がっているのはバレバレだった。
目の前には一本の線香と父の写真が構えている。
僕は最後に軽く手を打って、立ち上がった。
それを合図に、かあさんがご飯をよそう。
「いただきます、なんかすごいね」
夕飯の内容は、肉じゃがと、茹でただけのパスタと、インスタントのカレースープという異色の組み合わせだった。
「あら、文句?」
「……肉じゃがは、相変わらずおいしいよ」
「ちょっとー、パスタとスープも作ったんですけど?」
「作ったって言っていいの?これ」
かあさんは、わざとらしく口を尖らせながら、2つのカップに麦茶を注いだ。
「あんたさ、もうちょっと帰ってこれないの?」
「今帰ってきてるだろ?」
「お盆なんだからあたりまえでしょ。お正月とか、なんでもない日にも来なさいよ。たいして遠くに住んでるわけでもないんだし」
「いや、なにかと忙しいからさ」
「そんなこといってー、ご飯とかちゃんと食べてるの?自炊しなきゃダメよ?」
「食べてるよ、かあさんより料理得意だし」
懐かしい。三年前、父がいた頃もよくした会話だった。でも、僕はこの会話が大嫌いだった。
「あんた好い人いないの?そろそろ連れてきなよ。お父さんもきっと喜ぶよ」
この会話も何度したことか。
父はいつも何も言わなかったが、きっと本当にそれを望んでいただろう。
今となってはわからないが、あの頃、父は多少なにかに感づいていたような気がする。
「……好きな人ぐらいいるよ」
かあさんは驚いたような顔をして、すぐにパァッと顔を綻ばせた。
「なになに?だれだれだれ?どんな子なの?」
さっきまでのふてくされた顔はどうしたのか。
まさか僕から浮いた話が出てくるとは、聞かせてくれるとは思わなかったのだろう。妙なテンションだ。
「誰だと思う?」
「えっ、私の知ってる子なの?」
「さぁ、どうだろう」
「もったいぶらないで教えてよー!」
「しりたい?」
「しりたい!」
かあさんは食卓の下でばたつかせていた足をピタッと止めて、僕をじっと見つめた。
なので僕も箸を置いて、かあさんを見つめ返す。
ごくり、と、かあさんが唾を飲みこむ音が聞こえた。
「かあさんだよ」
「…………っふ、あははははははは!」
かあさんは堪えきれず吹き出してしまった。
「もー、冗談言わないでよねー」
僕は置いていた箸を手にとって、パスタを啜った。
「お母さんが好きなんて、小学生じゃあるまいし」
カレースープとなら案外、あわないこともない。
「やめてよねー、ほんと…………」
けれど、パスタもカレースープも、どうしても肉じゃがとはあわなかった。
「………………やめてよ」
かあさんは食卓に突っ伏して、か細い声で言った。
「…………義母さん、肉じゃがおいしいよ」
義母さんは何も言わなかった。
顔をあげてくれなかった。
僕は、義母さんの携帯の画面がまだ、父との写真だと知っていたのに。
カチャカチャと、食器の音だけが居間に響いた。
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