掟其ノ一:ほかの人とはシないでください

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 多分、いい話じゃないんだろうな――  そう感じて、一か月ぶり以上になるデートの待ち合わせ場所にお気に入りの『喫茶珈琲屋』を選んで指定した。  喫茶珈琲屋はマスターのこだわりで、丁寧にサイフォンで一杯のコーヒーを出してくれる。  そして、私が初めてコーヒーの美味しさを知ったお気に入りのお店だ。  だけど、久須見(くすみ)さんはこの店があまり好きじゃない。  出てくるのが遅くて煩わしいらしい。  おまけに紅茶派の久須見さんにとって、コーヒーへのこだわりなんて不要なのだと優しく微笑んで(たしな)められた。  それからは、デートの場所に喫茶珈琲屋を選んだことはなかった。  デートには使わなくなったけれど、良いことがあったときや、逆に落ち込んだ時に一人で来る店として据えてあるとっておきのまま。  けれど今日は……悲しいことがあっても、どうか耐えられますようにって願いを込めてこの店を選んだ。  だってほら――  久須見さんは、この店を選んだのに了承の返事をくれたから……本当にいい話じゃない気がする。  約束の時間の30分前に来て、一人で窓の外を見ながら、ゆっくりと珈琲を味わっていた。苦味の中の甘みと、深い味が口の中に広がる。  雨の降り出しそうな空が、自分の気持ちと重なる。ところどころ黒い雲が混じっているのが見えて、なんだか少し、珈琲が苦く感じたような気がした。  カランコロン  独特の濁りある懐かしさを感じる音色が店内に響くと、扉にはあまり元気のない久須見さんの顔が見えた。けれどそれを隠すように、目の合った瞬間、ほんのりと微笑んでくれた。  私の知っている、頼りなげに見えるけれど、温かさを感じさせてくれる笑み。  穏やかで優しそうな雰囲気が、いい人だと感じさせる第一印象はずっと変わらない。
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