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新しい仕事
「変わらないねえ、岸川さん」
ランチでもどう?と連絡を受けた時ちょうど長い待ち時間だったため、長谷の誘いに乗った。
「長谷さんもハンバーグ好きは変わらないですね」
入った店は洋食系のレストランで、長谷はチーズハンバーグを注文した。
いろいろと相談に乗ってもらった頃を思い出す。
「ああ、はっはっは」
蒼が彰人の経営するNコーポレーションを辞める少し前、長谷に告白されたのだが、結果的にはお互い忘れようということになった。
告白といっても『好きな人いるの?』とか『男だけど俺と付き合う可能性ある?』など遠回しな質問ばかりで核心に触れなかったし、何より長谷が「男でも好きだ」と言わなかったからだ。
もし今同じことを言われたら、とても困るのだが。
「最近、社長と連絡取った?」
「いえ、新しい仕事決まりましたって報告してそれきりです」
同居しているのも、いわゆるお付き合いをしているのも秘密。
男同士だからオープンにできないと自己判断で決めて、徹底している。
「へえ。まあ忙しそうだしね。知ってる?うち他の会社、吸収合併したの」
「え?いいえ」
朝食のときに彰人がそんなふうな話をしたような気がするが、ここのところ蒼も環境が変わっていっぱいいっぱいだから聞き逃していたかもしれない。
「うちは税務とかコンサルの会社だけど、つねづねITの人材が欲しいって言ってたんだ。そしたら提携してるとこで、売ってもいいよって会社があって。社長同士が親しいから、話がとんとん拍子に進んだらしい」
これまでIT関連の業務が生じた時は外注で済ませてきたが、これからは内部でやれるとのことだ。
「箔付けのために無理してでっかいビルにオフィス借りてたけど、人数が増えたから引っ越すことになってさ。コストは減ったのかもね」
確かに、彰人は名刺に書かれた会社の場所が重要なのだと言っていた。
郊外で安く借りるのと都会の真ん中で借りるのとでは、人に与える効果が異なると。
「それはそうと、こないだ社長の言ってたことが気になってるんだけど。『もっと会社を大きくして、本物の秘書が雇えるくらいの社長になる』って」
「本物の……?」
「うん。まあそりゃ岸川さんは秘書の仕事はあんまりしてなかったけどさ、なんか引っかかっちゃってね」
「そんな、気にしていただくようなことはないですよ」
言ってはみたものの、確かに気になる。
辞めてしまった今となっては何の発言権もないけれど、まるで会社にいなかったように扱われるのは心外だ。
「やっぱ社長も男だし、美人秘書といちゃつくのに憧れてたりするのかなあ?」
蒼は秘書ではなくボディガードだったから会社にとっては戦力外で、秘書だったとしても男だから美人秘書ではない。
綺麗な秘書を連れ回すのは権力者のステイタスだと話していた彰人自身、蒼を秘書扱いしていなかったというだけのことだ。
「小さい会社でもちゃんと仕事して、みんなが生活していけたらいいって方針なのかと思ったんだけど。これから会社がどんどん大きくなると、いろいろ変わるのかなって不安もある」
「そうですよね……」
以前、彰人が会社を大きくするのに興味を示している様子はなかったと思う。
ただ少人数規模だと取引相手に侮られるとは言っていた。
食後のコーヒーを飲み終え、代金を置いて長谷は店を出ていった。
なんだか体中の力が抜けていくのを感じる。
見るともなしにスマホを見ると、スタイリストの相原からメッセージが届いていた。
『時間ある時でいいからスタジオに来て』
いま蒼が担当している女優の朝倉麻友は映画の撮影に入っている。
専属スタイリストの相原小夜子は彼女専用の控え室で待機しているはずだった。
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