青い衝動

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 三矢から、友人二人に会わせろと言われて数日後、たまたま三人で下校する所に彼と鉢合わせた。洋平今日バイト? いや休み、そんな話をしている最中だった。背後からかなり威圧的に「浅野!」と聞こえたのだ。振り返るとそこには、三矢が立っていた。しかも仁王立ち。まずは一人目の大澤雄二が「三年じゃん」と声を出した。続いて二人目の野島朔太郎が「お前何した」浅野に対して呆れたように言う。何したって言われても殴った挙句無理矢理犯しました、などとは言えず、あー、と天井を仰いだ。すると三矢は浅野達に近付き「てんめえ、会わせろっつったろうが」いきなり喧嘩腰で話し掛けてくるのだ。浅野はその勢いにあんぐりと口を開け、三矢を見る。友人らは、誰? と聞いた。えーっとガキの頃幼馴染だった、浅野が言った所で食い気味に「三矢巧だ。よろしく」と、彼は言う。ヤンキー上等の如く凄味を含んだ表情と声に、友人二人もぽっかりと口を開け、その後小さく「よろしくお願いしまーす」と言ったのだった。結局三矢も一緒に下校し、途中のコンビニに寄った。あれこれカゴに入れて行く中で、大澤が「洋平」と呼んだ。その時、三矢は小さく「え?」と浅野を見る。何? と彼を見上げるものの、彼は口を噤んでそっぽを向いた。もう一度、何? と聞くものの、彼は何も言わない。不機嫌になった理由は分からないまま、それでも三矢は友人らとウマがあったようでよく喋っていた。  屋上には今、三矢は居ない。それでも時々、彼の話題は出た。三矢くんベンキョーしてんの? してるらしいよ、嘘だろサボってんじゃんあの人留年するぞ、と笑う二人を横目で見ながら浅野も笑う。そうなったらいいのに、なんて夢見がちなことを考えた自分はおかしいと気付いた。  頭の螺子がどっか行ってんのは俺だ。浅野は空を仰いでそう思った。  結局授業には三限目から出席した。副担任の佐倉の数学の授業だった。彼は浅野を一度見て、安堵した様子を見せる。佐倉には、浅野が入学当初からよく心配をさせていた。一纏めにすると、浅野の素行がいいとは言い難いからだ。他校の生徒に絡まれれば応戦もするし、怪我もする。その流れで遅刻もするし、授業にも欠席する。先生ごめんね、謝罪を聞くことは苦手なのに、結局それをする側になっている。皮肉なことに。  数学の授業は面白かった。答えは一つで、パズルを整える感覚に似ていた。尚且つ、佐倉の授業は分かりやすく丁寧だ。愛情のある厳しさと形の見える優しさを持った佐倉が数学を教えるのが、浅野にとっては意外でもあったし納得も出来た。筋が一本きちんと通っている。浅野にとって佐倉は、そんな存在だった。先生ごめんね、また同じことを考えた。 「浅野」  三限目の数学の授業が終わり、生徒達が個々にざわつき始めた頃、浅野は佐倉に声を掛けられた。返事をする代わりに佐倉を見ると、彼は少しだけ呆れたようでもあったし、また安堵しているようでもあった。 「お前なあ、せめてホームルームくらいは出ないと」 「すみません」 「それより、今日は怪我してないんだな。良かった」  安堵の理由はそれか、と思う。 「あのね、そんな毎日怪我しないですよ」 「あとネクタイ、今日はしてる」 「ああ、はい。まあ」  何となくばつが悪くて、浅野はネクタイを少しだけ緩めた。 「苦手なんだと思ってた」 「苦手ですよ」 「まあ、ちゃんとするのはいいことだ。なるべく着けるようにしろよ?」  浅野は窓の向こう側に目をやった。オレ三年だよ? 三矢は確かそう言った。そうだ、あの人は来年の三月には居なくなるんだ。 「……三月までには自分で結べるように努力します」 「え? 浅野、ネクタイ結べないの?」 「だから、苦手なんだって」 「はは、苦手ってそっち?」  佐倉にまで笑われ、浅野は一層ばつが悪くなる。彼から目を逸らすと、佐倉は柔く微笑んだ。 「何で三月?」 「さあ、何でかな」 「まあいいや。次の授業も出なよ?」 「はいはい」  佐倉は浅野の肩を一度軽く叩き、背を向けて教室を出た。何で三月。あの人が居なくなるからです。浅野はもう一度、窓の外に目を向けた。硝子越しに覗く四角い秋晴れの青空は、今日も涼しげだった。  放課後になり、一度自宅に戻って着替え、適当に時間を潰して十八時頃母親のスナックに着くようにアパートを出た。狭い店内は薄暗く、彼女はカウンターの中に立っている。中で作業をしているのか既に飲んでいるのか、それは定かではない。時々頼まれて来るこの場所は、適度に片付いていて適度に雑多な状態を保っている。昔ながらのスナックで、常連客も多いらしい。少なくとも、大澤の父親はよく通っているようだ。まだ客は居ない。女は一言、洋平、と言った。また幽霊が言ったように聞こえて、急に頭痛がする。 「元気だった?」 「だったよ」 「ちゃんと食べてんの?」 「食ってる」  会話が止まり、一瞬だけ耳鳴りがする。きんと音を立てる。浅野は、物心ついた時からほとんど母親に話をしなかった。特に気まずいという感覚はなく、話すことがないのだと思う。けれど女は、気にすることなく話し掛ける。この人はこういう性質なのだと、浅野はそれで片付けていた。 「俺じゃなくてあんたのオトコとか知り合いに頼んだら?」 「あの人真面目だもん。ハエ退治なんてしないわよ」 「ふーん」  横目で何気なく、カウンターを見る。そこにはまだ、誰も居ない。 「洋平」 「何?」 「あんた、女出来たんじゃないの?」 「出来てねえよ」 「避妊だけはしなよ?」 「あんたにだけは言われたくねえな」  ごもっとも、そう言って女は笑った。浅野は一つ息を吐いた。その後は沈黙が続く。カウンターに入り、母親の隣に立って手を洗った。  その内客がぽつぽつと入り始め、浅野は安堵する。母親に詮索されずに済むからだ。浅野は自然と身に付いた仕事を始める。氷を割り、客に言われたカラオケを入れ、アルコールを作る。そして時々、愛想を振り撒く。それを繰り返す。時間は刻々と過ぎる。母親からの合図はない。ハエは未だに来ない。その時ドアが開く。女が浅野に目配せする。こいつだ。  見た目は二十代後半のチンピラ、構成員では無さそうだった。面倒なことにはならないだろう。浅野はカウンターを出て、男に声を掛けた。 「ちょっといいっすか?」 「何だお前」 「ちょっと」  そう言うと店の外に連れ出し、路地裏に連れ込んだ。 「てめえ、何のつもりだ」 「うちの従業員があんたに付き纏われて迷惑してんっすよ。やめてもらえませんか?」 「ふざけんなよ、小僧」  当然通じなかった。浅野はまた息を吐いた。今度は深く、深く。頭痛がする。とにかく面倒だった。なぜ自分は母親の言うことを聞いているのだろう、なぜここに居るのだろう、もう全く分からなかった。目の前の男は未だに怒声を撒き散らしていて、もはや日本語かどうかも分からない。ただひたすら帰りたかった。もう何も考えたくなかった。頭痛がする。 ああ、頭痛え。  その時、目の前の男が殴り掛かって来た。浅野は素早く屈んで躱し、右ストレートを男の顔面に叩き付けた。鼻の骨が折れた感覚が拳に残る。やっぱ砂かな俺、浅野はそう思った。男は路地のコンクリートに叩き付けられ、頭を打ったのか気を失う。それを見届けてから店に戻った。 「終わった」  カウンターに入ると、母親はどうだったのかと目で訴えている。それを見ることが出来ず、浅野は目を伏せた。そしてただ、声を出した。 「路地で気ぃ失ってる。後は知り合いに頼むなり救急車呼ぶなりあんたの好きにして。今日はもう帰る。金は要らない。あと、こういうのはもうしない。じゃあ」  洋平! また幽霊に呼ばれた気がした。名前を呼ばれた実感が湧かない。じゃあ自分の名前は何だろう、と何気無く思う。店の扉を開け、外に出る。夜は少しだけ冷える。今日は原付で来ていた。駐車してある場所まで歩きながら、ただ頭が痛いと思った。そして、声が聞きたいと。  ポケットから携帯を取り出し、時間を見た。二十二時を回った所だった。着信履歴から三矢の名前を見付ける。今朝掛かってきたからすぐに見付け出せた。通話ボタンを押し、少しの間待った。
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