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何も見えていなかった
恋は盲目。とは、よく言ったものだ。
例えば貴方が見つめるだけで、優しい愛の言葉を紡がれるだけで、愚かな私はそれを信じ有頂天になっていた。
これを見るまでは。
本当に心の底から、少しも疑うことなく信じていた。
「愛してる……君だけを愛してるよ」
どうして来ちゃったんだろう。
久しぶりに残業もなく定時に終えた私は、少しだけ浮かれていたのかもしれない。
真っ直ぐに帰れば良かったのに。
約束などしていないのに。
連絡も入れず会社近くの貴方の家に足が向いたのは、会いたい気持ちもあるがほんの気まぐれと悪戯心を多分に含んでいた。
驚かせようと思ったのだ。
そして、笑って抱き締めてもらうつもりで。
なのに……
開けた扉の先で、ドクンと鼓動が波打つ。
見つけた赤いヒールが私の声を奪った。
そこで帰れば良かったのだ。
何も見てないと、知らないと、過ぎった考えを振り切って。
そうすればまだ、私は夢に浸っていられた。
貴方に愛されているという、甘い甘い幻想のような夢に。
自ら進んで壊すべきではない。
真実などいらない。
本気で好きだから。貴方しかいないから。
突き止めたら自分がどうなるかなんて分かりきっている。けれど、奥へ向かう足を止めることが出来なかった。
迷うことなく一番奥の部屋、寝室の扉を緩りと開ける。慎重に、音も立てず、気取られない程度の隙間を保って。
一瞬、息が止まった。
目にした光景に胸を抉られたらしい。
裸で絡み合う男女の姿。
熱気が充満する部屋の中の2人は私に気付かない。
もういい。見なくていい。十分だ。
分かっていても身体が動かなかった。
床に張り付いた足の裏は、瞬きすらもさせない瞳は、まだだと、もっとと、残酷なまでに真実を突き付けてくる。
貴方が今、腕にかき抱いた女は私じゃない。
蕩けるような、熱に浮かされたような瞳に映るのも、捧げられた睦言も、激しい息遣いも粘膜を擦り合わせた肌がぶつかり合う音も。
私じゃない誰かを欲していた。
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