【Overture】

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【Overture】

辿々しい旋律。けれども、それは確かに心へと染み渡る音を奏でて、聴いた人間を情緒豊かにさせた。 「ふふっ。やっぱり、奏は素敵ね。ピアノがとっても上手」 「本当ですか、母上!」 「ええ……貴方は奇跡の子よ」 ピアノの前、母親に抱かれ、笑顔を溢す。そこには、二つの琥珀色が宝石のように輝いていた。 その様子を、物陰に隠れながら憎悪の眼つきで睨むもう一つの琥珀色。 光などとうに失われ、輝く事などない罅の入った宝石。 「此処に居たか」 「あら、貴方……」 「父上。今日は、喜びの歌を母上から教わっていました」 「ほう……鼓(つづみ)、あまり指を酷使させないように。次の訓練に響く」 「ええ、そうね。無理はさせないよう、努めるわ」 父親に頭を撫でられ、またも笑顔を浮かべる。その顔は、不幸をまるで知らない。 あの大きい手の平に、あの暖かそうな温もりに触れられる兄が羨ましくて、心底憎たらしい。 容姿はなんら変わりないのに。何なら、見分けがつかない程に瓜二つで、声だって、ふとした仕草だって、そっくりなのに。 元は同じ遺伝子。それが奇跡か不幸か解らないけれど、たまたま二つに分裂しただけ。 同じように産声を上げた筈なのに、何故兄だけが愛され、才能に恵まれたのか。 同じ人間なのに、何故こうも自分は除け者なんだ。違いなんてなかった筈だと。 除け者なんて呼び方は、まだ可愛いのかもしれない。 父親も、母親も、律には無関心を極めていた。 いつからか視界に入れば、ゴミを見るような目で彼を拒絶していた。そればかりか、次第に奏への接触さえも許さなくなった。 ただそこに、ぽつんと在るだけの存在。家族に居場所なんて皆無の子供。 過去に戻りたい。昔はこうではなかった。 そんな弱音を吐き出す環境すら、とうに失われていた。 幼き身体に溢れ返る程抱えたものは、元気や勇気なんかじゃなくて。嫌悪。羨望。苦悩。憎悪。執念。 親にそれを吐き出せたら、まだ違ったのに。 律にとって、両親は恐怖と執着の対象でしかなく、負の感情は全て奏に集約されていた。
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