【跋文】

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【跋文】

   平成二十九年、十一月、七日。    物語の本筋をお伺いする合間に小耳に挟んだ零れ話だが、伊澄家には、昔からソファーがないという。  そう聞けば確かに台所にもダイニングテーブルはなく、つがいとなる椅子もない。理由は特に思いつかないそうだが、お金がないわけではく、そもそも欲しいと思った事がないそうだ。今でも畳敷きの居間に座って、卓袱台で食事を取るのが習わしなのである。  友穂さんのお話に登場した、かつて彼女が住んでいた東京のアパートで使用していた赤い円形の机でこそないが、やはりお二人は畳に座って卓袱台で食事をされる姿が、とてもよくお似合いだと思う。  古めかしい雰囲気だとか、昭和な装いだとか、そういう事が言いたいのではない。距離感の話である。  洋風のテーブルに向かって椅子に座る事が悪いわけではないが、御夫婦のお話を聞き終えた今強く思うのは、これまで共に暮らしてこられた四十年という日常における、お二人の距離の近さだ。それは主に、友穂さんが銀一さんの隣に腰を降ろす当たり前の行動が、銀一さんを思うがゆえに椅子やテーブルに邪魔されない距離にまで歩み寄らせる、という事なのだ。  綺麗に磨かれた卓袱台の傍らには、いつも座布団が並んで置かれていた。  隣り合ってはいるが、くっ付いているわけではない。しかし、間に誰かが入れるほどの隙間はない。  私がこちらの家に訪れる度、決まって最初にお盆に乗せたお茶かコーヒーが出され、それを運んで来る友穂さんのもう片方の手には、彼女らが普段愛用している座布団があり、「これ使って」と手渡された。私はいつも少し照れながら座布団を受け取り、ほとんど土下座するように頭を低くした状態から、両膝を乗せた。  そして使い込まれたその座布団は、年季の入り具合とは裏腹に、とても清潔で良い匂いがするのだ。  この座布団の上に正座して御夫婦の前に相対する時間が、私にとって掛け替えのない幸福であった事は、もはや改めて記すまでもないだろう。  だが、それも今日で最後である。  庭先の水やりを終えて戻ってこられた銀一さんが私の前に腰を降ろされるのを待って、私は最後の挨拶を口にした。銀一さんの隣では、先程駐車場でお会いし、ご自宅まで共に歩かせていただいた友穂さんが背を伸ばして正座している。私のつたない口上に黙って耳を傾けるそのお顔は、穏やかで美しく、そして少女のように清らかですらあった。    それから数年の後、皆さんはそれぞれ御入籍されましたね…。  最終日とはいえ、あくまでも前回の続きという体裁を崩さずにエピローグ用の質問を口にすると、一瞬銀一さんは驚いたような顔をされた。見ると友穂さんも破顔されており、私が何かおかしな事を言ったのだと分かった。 「いや、そこいくまでにもよ、面白い話はあるんだよ、だから」  銀一さんはそう答え、友穂さんは笑顔で大きく頷いた。  その返答を受け、私も確かに笑ったように記憶している。しかし私の目からは堪え切れなかった涙が大量に零れ落ち、優しいお二人を慌てさせ、またもや迷惑をかけてしまった。  私が流した涙にどんな理由があるのか、それは自分自身でよく理解している。  銀一さんの仰る面白いと話は、決して楽しいだけの笑い話ではないのだ。苦難を乗り越えた美談を面白いと表現しているわけでもない。彼は、いや彼らは皆、いつ終わるともしれぬ毎日を、許された時間、残された時間であると認識しながら生きているのだ。あの事件で命を落とした人間と、生き残った人間と、その両者の間に明確な根拠の伴った線引が出来ないのだと、そういった意味の事も仰っていた。自分たちが今ここにいて話をしている事も、特別だとは思わない、たまたまなんだよと、そんな風に仰る方々なのだ。  私の知る限り、ここまで全てを受け入れて生きている人間には、伊澄さん御夫婦に出会うまではお目にかかった事がない。似た性質の人には出会っている。しかし、銀一さんと友穂さんは少し、年齢的な意味合いも含めて次元が違うように思えるのだ。  穏やかな人柄だが、むろん、怒らない人達ではない。喜怒哀楽の感情表現は人よりも豊かなくらいだし、泣いて、笑って、怒り狂って生きてこられた。だがそれらひとつひとつを懐かしみ、あの時は辛かった、あれは不幸だったと自慢するでも嘆くでもなく、今ある全てはあの時の事があったからだと、笑ってそう受け入れている。  だが、それはきっと、望んで導き出した答えではない。そういう風に、事は流れたのだ。  私が御夫婦からお話をお伺いしたこの半年の間で、どちらかお一人にしかお会い出来なかった事は一度もない。それはお二人が常に行動を共にしているという意味ではない。この「取材」とは名ばかりで、ただ私が御夫婦の半生を一方的にお伺いするという他力本願極まりない時間に対して、「記憶違いがあってはならない」、「補足出来る部分はお互いで補い合おう」と、お二人で決めて取り組んで下さったのだ。御夫婦がどれほど真面目な性格であるかが伝わって来るエピソードである。と同時に、良い意味で頑固な一面も窺い知れる。こちらからは強要もしなければ、口約束すらかわしていない御夫婦だけの信念であるはずが、半年間の取材でただの一度もお二人が顔を揃えない日がなかったのだ。  そんなお二人だからこそ、取材を始めてすぐに気が付き、ずっと聞けなかった疑問を最後になってようやく尋ねてみる気になった。それは、伊澄さん御夫婦だけでなく、東京に暮らす彼らの幼馴染全員が、今は標準語で話をされている事だ。昔話を聞かせていただく内、だんだんと訛りが強く出るようにはなった。しかし初めて出会った今年の一月や、取材を開始するにあたって何度か通わせて頂いた時も、お二人はずっと標準語で話をされていたのだ。  銀一さんは珍しく顔をしかめた。しかし怒っているとか不機嫌だとかではなく、答え方に迷いが生じているように、私には思えた。 「言い出したのは、多分、間違ってなければ、竜雄なんだよ」  と、銀一さんの顔を見ながら、友穂さんが仰った。銀一さんは頷き、 「あいつらしいなあと、まあ、そう思うわな」  とだけ仰った。友穂さんはそんな銀一さんに頷き返し、 「でも、間違ってないんだと思う」  と、噛み締めるようにそう言った。  現在、東京にお住まいなのは伊澄さん御夫婦だけではない。  池脇竜雄・千代乃御夫妻。善明和明・円加御夫妻。そして、神波春雄さんは亡くなられてしまったが、奥様である響子さんもまた、伊澄家とそう遠くない場所で暮らしている。彼らは皆、各家の子供が十三歳になる同年、赤江を出て東京に引っ越して来た。四家族が、一斉にだ。この件に関しては、以前伊澄さん御夫婦の息子である翔太郎さんを始め、彼の幼馴染である池脇竜二さん、神波大成さんらに、四家族の集団転居にまつわる悲哀をお聞かせいただいた。(『芥川繭子という理由』、参照)  私が今疑問に思うのはそこではなく、西日本にある地方の閉鎖的な街で生まれ育った彼らが、東京に移り住んだという理由だけで、染みついた故郷の言葉遣いを易々と捨て去れるものだろうか、という事だった。 「俺達は負けたんじゃ、って、そうやって言うわけ」  そう、友穂さんは言う。 「負けて逃げ出すんじゃ、って。俺達は、ガキどもに全部を捨てさせる為に赤江を出た。なら俺達こそが、イチから、ゼロから、やり直さんと示しがつかんのと違うかって。うん、そやって言いよったね。…はは、あかん、やっぱり、この人に話聞かせよるせいでどんどん昔の言葉が出てくる」  そう言って笑う友穂さんの目にうっすらと光るものが浮かび、思わず私は目を逸らした。  子供たちに全てを捨てさせる為。ひどく重く辛辣に聞こえる言葉ではあるが、赤江で地獄のような日々を生き抜いた御夫婦から話を聞いた今では、自然と納得してしまう感情が否応なしに勝ってしまう。 「中途半端が許せんのよ、あいつは」  と銀一さんが言う。 「東京に移るいうことは、赤江を捨てるという事で、赤江を捨てるいう事は、東京でイチから人生を始めていかにゃならん。そしたらば、恥ずかしいだの格好悪いだの言うとらんで、東京の人間にならんといかんじゃないかって。それがだから、地方出身の意地とか故郷への愛情とか言い出すと面倒やけど、言うて、最初からそんなもんあるかいやって話やもんな」  笑い飛ばす銀一さんに、友穂さんもケラケラと明るく笑い、 「そうよ、そいでそっからやもん。この人と春雄がまー、無口んなってさあ!喋らんのよ、びっくりしたもん。今までどんだけ下らん笑い話でゲラゲラ腹抱えよった思うん。それがもう、もともと東京におってこっちの言葉に馴染んどるはずの春雄がさあ、いざとなったら全然標準語話せんの。それがもう、おっかしくて」  銀一さんと春雄さんが無口で怖がられていた、という話を息子さん達から聞いていた私は、その裏側に隠された愛情に溢れた秘密を知って、大いに笑い転げた。  当時二十二歳だった銀一さんと友穂さんは、今年で六十七歳だ。  私がお伺いした話は全て、四十五年以上前の思い出という事になる。もちろん全ての出来事を鮮明に覚えていたわけではなかったようで、私があらかじめ伝えておいた取材日に合わせ、響子さんや円加さん、竜雄さんや和明さんと都合を付けて、わざわざ昔の話を皆で思い出して下さったという。千代乃さんは現在、若年性アルツハイマーを患っており、状態の思わしくない時などは二十代に戻ったような口振りで、思い出話を繰り返す事があるそうだ。そんな千代乃さんに対して友穂さんはよく、「一人だけ若返りやがってさー」と口を尖らせるのだが、「却って昔の事思い出すのに役立ったよ」と、親友の病にすらあっけらかんと前向きな捉え方をしている横顔などは、本当の気持ちを推し量れない私のような立場からすれば、眩しく、格好良くさえあった。  何度も、何度も何度も、私は彼らに、嫌な記憶を呼び覚まさせたはずなのだ。それでも、私の目に映るお二人は、いつも笑っておられた。 「唯一気持ち悪いのがよ、結局、今日という日まで、あの男には会えてないって事なんだよな」  成瀬秀人を名乗った人物について、銀一さんはそう語る。  例の手紙が一度来た切り、消息は一切不明だそうだ。事件後、知遇を得た三島(伊藤)要次から何度か捜査の報告を聞く機会があったそうだが、そもそも警察は事件解決や真相の究明を求めてなどおらず、事件そのものの風化を待っているようにしか見えなかったという。当然成瀬秀人に対する捜索など行われず、秀人自身がどこまで計画的に先々を読んでいたかは分からないが、結果的には彼の思惑通りの顛末を迎えたのだろうと推測出来た。 「そもそもあいつが何をしたかったのかよう分からんけど、竜雄が言うには、まあ、回り回った恩返しというか、少なくとも敵ではなかったんやろうと。ただそうは言うて、じゃあ敵って何、と。な? 色々、ややこしい計画みたいなのが裏であったのは分かる。けど、そのひとつひとつをつぶさに見つめた所で、俺には分からん。俺にはただ、血を流し、倒れ伏せた奴らの痛々しい姿しか、見えてこんのよ」  銀一さんは、事件について父親である伊澄翔吉さんと後日話をしたそうだ。しかしそこに、この二年間で起きた一連の殺人事件及び、天童権七の企みによる様々な被害について、納得のいく答えがあるわけではなかった。 「結局父ちゃんの口から、何をした、誰に何をしたっていう具体的な話は聞けず終いでな。俺の方から、こうなんか、そうなんかと問い詰める事をしてはみたが、おそらく、認めるのが怖いのと半分半分で、俺が真実を知る事でまた何か別の事件に巻き込まれるのと違うかっていう、そういう不安もあるように思えた。それは親心ではあったが、まあ、納得はでけんかったな」  志摩太一郎と天童権七の口から語られた真実によって、銀一さんは発狂寸前に陥る程の精神的な衝撃を受けた。十六歳という若さで心に大きな傷を負った、最愛の友穂さんに関連する事件の真相である。そこをうやむやにしたままで、銀一さんは翔吉さんと普段通りに向かい合う事が出来たのだろうか。 「父ちゃんのせいで友穂が巻き込まれた。それがほんまかウソかを聞く事も出来たが、それは、俺の方が聞きとうなかった。こいつはきっと、俺の父親に頭下げられたくなんぞないやろうし、俺はそれを見た瞬間、気が狂うやろうという本音もあった。下手したら、俺は」 「理由なんてない。それもこれも、全部ひっくるめて事故。事故っていうのはそういうもの。理由があってもなくても、事故は起こるの」  友穂さんが銀一さんの膝に手を置き、さすり、励ます。銀一さんの顎にぐっと力が入り、口を開きかけたが、何も言わずに、頷いた。  普通であれば、女性の立場で友穂さんと同じ言葉は言えない。言ってはいけないようにも思う。だが、友穂さんには一般的な常識や、性被害に対する模範的なフォローの理解などは当て嵌まらず、本人も無頓着さを自覚しているという。 「人それぞれやと思うよ。徹底的に相手を追い詰めてもええし、落とし所としてどういう解決を望むのかは当人の意志が全てよ。覚悟があるなら、相手殺してもええんと違う。あるいは忘れてしまう、考えないようにする、色々あってええと思う。ただ私の場合、悲しいかな、時代と環境が最悪すぎてね、ああいうの、ほんま、私だけやないんよね。状況は色々やけど、よう聞く話やった。だからっていうと軽く聞こえてしまうのは嫌やけど、…うん、まず、そういう所におるのは嫌やったの。居場所の話と違うよ。その、…しがみ付くっていうと違う意味になるけど、とにかく離れたい、そこから。そういう自分から。そういう時間から。うん。…事故っていうのは、そこに置き去りにして全部忘れてしまいたいっていう、そういう願望やったのかな。もう知らん、終わった事やから、私は関係ないって。だから、どう表現するかの違いはあるけど、響子も千代乃も、あるいは円加も、多分同じように思ってたのと違うかなぁ。だからかな、もうそこに私はいないから、うん、だから、こうやって話が出来るんと違うかなぁ」    志摩太一郎という人物について、今でも銀一さんたちの間では普通に話をする事があるそうだ。  辛くはないのかという率直な疑問に、銀一さんは照れたように眉を下げ、 「いや、却って話を、してやりたいというかな」  と答えた。 「だから今となっては、春雄とか、アキラの話をするような、そういうのに近いかな」  神波春雄さんは今から二十八年前、勤務中の事故が原因で、三十九歳で亡くなられた。アキラというのは、善明和明、円加さん御夫婦の息子さんである。彼は膵臓癌を患い、三十歳という若さでこの世を去った。 「あいつらは死んだけど、和明流で言うたら、ただそれだけやから。春雄は俺らの幼馴染で、アキラが息子らの親友やった事は何一つ変わらん。それに、結局志摩はほら、俺や竜雄が事件の事で疑ってた部分があって、変な話に聞こえたやろうけど、蓋開いてみたらなんのことはない、あいつも時代や赤江の被害者みとうなもんで。だから忘れんと、話をしてやるほうが喜ぶやろうし、俺らもどっかで、気が楽になるというか。響子も、ええ顔するしな、やっぱり」  事件直後、響子さんは心労の為何度か入退院を繰り返した。良い時もあれば、当然悪い時もあって、突然前触れもなく昏倒したり、不整脈を発症する事もあったそうだ。やがて春雄さんとの入籍を経て神波響子を名乗るようになり、少しずつ精神状態は安定し、健康を取り戻していったという。その後、念願かなって保母さん(保育士)の資格を取られた。今ではとある保育園の園長先生を務められている。  入籍の順番で言えば、和明さんと円加さんが最も早かった。  忽然と姿を消した千代乃さんと竜雄さんを気遣い、一旦は誰もが結婚をためらったそうだが、円加さんがそれを良しとしなかったのだそうだ。 「円加は偉いよぉ」  目を細めて、友穂さんはそう語る。 「気を使いあう事がほんまの友情なんやとは思いません。千代乃さんが戻って来た時皆が幸せで、早ようあんたもこっちへおいで、幸せになろうって言える事が、私らに出来る友情やと思います!って。はぁー、凄いなぁー言うて」 「それは言い換えたら竜雄に(千代乃さんを)待っとけって言うてるのと同じやから。何もあいつらの事情を知らんとそれを言うてるんなら、凄い事言いよんなぁ思うてな」  銀一さんの言葉に友穂さんは体を揺すって笑い、 「な。ほな有言実行せえよって皆で手叩いてな、勢いみたいな部分もあったけど、それは気持ちの話じゃなくて、切っ掛け待ちでしかなかったから。その次が春雄と響子で、そいでうちで、最後に竜雄と千代乃が籍入れたんよね」  取材を終えた後は、資料をまとめて整理し、本格的な執筆に入る。  これまでもいくつかの場面を物語として書き起こし、お二人に読んでいただいた事がある。細かな修正点や推敲などの作業が入るにしても、おおよその雰囲気は伝わっているはずだ。また何か不明な点に気が付けば、お話をお伺いする事もあると頭を下げた時、友穂さんが不意に立ち上がり、別室へと移動された。  銀一さんは黙ってそれを見送るだけで、特に何も仰らずにお茶を啜っていた。  戻られた友穂さんは手に封筒を握っており、私の前に正座するなりその封筒を畳の上で滑らせた。  少し黄色がかった、古惚けた白い封筒である。表書きは何もなく、消印などもない為、少なくとも郵便物でなさそうだ。しばらくその封筒を眺めていた私の背筋に、突如旋律が走った。 「実を言えば、俺も、この手紙が残っとるのを昨日知った」  銀一さんはそう言い、友穂さんの頭に自分の手を置いた。 「人前でやめて」  そう笑って払いのける友穂さんはやはり嬉しそうで、そしてどこかで、ほっとしている様子でもあった。 「これをこの人に見せる時は勇気が要ったよ。ずーっと黙ってたから。けど、時枝さんが来てくれたのはやっぱりこれは縁やろうと思ったし、今思えば隠し通す程の事でもなかった。気に喰わんならそうやって怒られて、捨てれば良かった。それだけの話なんやけど」  その封筒には、成瀬秀人を名乗った人物が書いた手紙が入っているという。  正確に言えば、原文を友穂さんが自らの手で書き写したもの、という事になる。 「なんとなく、その手紙を読んだ時に、この人はきっとこれを捨てるか燃やすかするって直感した。私に読ませたのは義理とか筋を通すとかそういうもので、結果論やけど、この手紙を竜雄や春雄や和明には読ませてないのを後で知って、ああ、やっぱりな、銀一らしいなって。だから読んだその日の内に、この人が寝た後で、全部書き写して今日まで保管しとった。けどその事は誰にも言うてなかったから、いまだに竜雄たちは手紙の存在を知らんのよ」 「読んでええぞ」  銀一さんはそう言って、手紙には触れようともせずに顎をすくって私に促した。  私は息を呑んで手を伸ばし、そして引っ込めた。 「怖いやろ」  と銀一さんは言う。怖いです、と正直に答えると、友穂さんが不意に声のトーンを落として言った。 「世の中には知らん方がええことや、関わったらいかんことって、やっぱりあるんよね。私らにはもう必要のないものやから、時枝さんが持って帰って話の足しにするでも、ええようにしてくれたら構わんのやけど、あくまで自己責任でお願いします」  言うや否や、友穂さんを見つめていた銀一さんが膝を叩いて豪快に笑った。    最後にもう一度感謝の意を述べて、頭を下げた。  もう終わりか、と銀一さんは名残惜しそうな顔でそう言い、そして友穂さんと視線をかわした。 「ほな、俺から最後にひとつ。約束通り、友穂を笑かしたってくれてありがとう。俺はもうええ年こいた爺やから、四十年も前の話なんぞ、普段せんのだわ。けどあんたが来てくれとった半年は、翔太郎らが外へ(渡米)出てしもうてなんとのう寂しい顔をしとったこいつの表情が、パリっと華やかになったんよな。それはこいつにとっても良かったんやと思うし、俺もまた、友穂のそういう明るい顔を見れて嬉しかった。せやし、…第二弾待ってるわ。おもろい話、まだまだあるからな。いつでも来い」  目尻に浮かんだ涙をそっと指で拭い、友穂さんは朗らかな微笑みを浮かべた。  はっとする程美しく、温かな笑顔だった。 「じゃあ、私からも。…あれはー、先週かな、それぐらいの時に銀一と夜中に、あれは一体なんだったんだろうねって、そういう話をして。けどまあ、それをしながら、時枝さんが途中で書いてくれた物語を、二人でまた読み返してね。やっぱり、恥ずかしい部分だってあるし、複雑な思いはするんだけど、するけど、最終的に今胸ん中にある思いっていうのは…感動なんだよね。自分で言うのは気持ちが悪いけど、客観的に昔の自分達を見つめて、ああ、そうそうそう、こんな風だったって思いながら、どうしようもなく泣けて来た。おお、春雄やーって、思ったらもう、それだけで。春雄がシチュー焦がして響子と大笑いする話、私大好きでさあ、涙が止まらなかったよ。和明は今でもぶっ飛んだ男なんだけど、昔は本当に舞台俳優かっていうほど美少年だった。優しい男でさ、よく助けられた。竜雄は…何も変わらない。昔から頼れる男前だった。千代乃の事を疑ったりもしなかったし、別にウソならウソで、何か深い事情があるならそう言ってくれれば、そこからまた始めて行けるからって。そういう男なんだよ。千代乃は思いつめる所もあったけど、心根の優しい、真面目なしっかりものだった。本当は人に言いたくなんかない重たい過去から逃げずに、真正面から竜雄と向かい会ってた。円加は、底抜けに明るくて、いつも私らを引っ張るムードメーカーやったよ。あの和明に喰らいついていける女は、きっと円加だけよ。姉弟思いで、自分で稼いだお金は全部家族に使ってた。都内で、念願やった小料理屋の店出した時は、ほんまに嬉しかったなぁ。響子は、私らの中では、一番強い人間になったんと違うかなぁ。誰よりも辛い経験をした。それでもあの子は乗り越えた。それに誰よりも、私を支えてくれた。あの日々は悲しい事だらけやったけど、そうや、あの頃私達は、頑張って生きてたって。そういう大事な事を、思い出す事が出来た。経験せんでええような辛い事が一杯やったけど、今私らはここにいて、あの頃の自分達を思い出すと今も胸が熱うなる。それはやっぱり、死ぬような思いをしながらも、精一杯生きてたって胸を張って言えるからなんよ。他人に自慢したいような事やないけど、自分達が今幸せなんは、あの頃の彼らが血反吐吐いて頑張ってくれたからなんや。私は、時枝さんが書いてくれた物語に出て来る銀一たちに、ありがとうを言いたいよ。よう頑張ったなぁって言いたい。今も、こうして私の隣におってくれる銀一に、言いたい。ありがとう。おかげさまで、私は毎日幸せです」  
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