エピローグ

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エピローグ

 見渡してみれば、見慣れた一人暮らしのワンルームマンションだった。  東城は床に大の字になって伸びている。身体がきしんで痛い。夜勤でよっぽど疲れて寝落ちていたのだろうか、窓の外はもうすっかり真夜中の暗がりに沈んでいる。  あちゃーと頭を掻きながら、彼は伸びをして、首をかしげる。  なんだか今まで、とても奇妙な夢を見ていたような……。  とさり、と動いた拍子に地面に何かが落ちる音がする。  転がってくるそれが足に当たって見下ろせば、小さな赤い傘だった。  小さな小さな、掌サイズの修学旅行の紙細工の土産。  東城は思い出す。  昔、まだ小学生だったころ、お小遣いもほんのわずかだった。だからちゃんとした大きな傘ではなく、小さなこの掌サイズの傘を買った。  初恋の子に、引っ越す前に贈ろうと思って。  ……もう十年も昔のことだ。  顔も名前もおぼろげなあの子、いつも雨の日に傘を差して立っていた。  わかれるとき、去りゆくあの子の名前を呼んで、反応するように振り返った彼女が、目を見開いてからふわりと優しく笑った。傘の影だったが、確かに彼女は笑っていた。  ありがとう。  そう、唇が動いたのを、覚えている。  拾い上げた傘のミニチュアを掌で転がしながら、東城は苦笑する。  せっかく買ったのに、結局渡せなかったんだよなあ。俺って本当に、弱虫。  ほろ苦い初恋の思い出に浸っていると、ポケットの中のスマートフォンが震えた。慌てて取り出してみれば、ドタキャンしてしまったサークル仲間の飲み会の様子が送られてきている。苦笑する東城だが、同期の女子から二次会に来ないかというお誘いを見つけると、手早く参加の返信をして立ち上がった。  夏はまだ続く。彼は青春を満喫するつもりだ。  少年の日の思い出をなくさないように貴重品棚の中にしまってから、慌ただしく東城は部屋を飛び出す。  駐輪場のチャリを出そうとして、ふと顔を上げると変な奴が突っ立っているのを発見した。  真っ白のブラウス、黒フリルだらけの赤いミニスカート、まぶしい絶対領域を作り出す魅惑のニーハイ、そして裏面が赤い真っ黒な傘。そして縦ロールだ。いやしかし、縦ロールの似合う美人だ。赤いカラーコンタクトをしているようだが、ある意味とても似合っている。  ゴスロリだ。ゴスロリ女――いや少女か? 実物は初めて見たかも。  思わず立ち尽くしてしまう東城に向かって彼女は鼻を鳴らし、妙にハスキーな声で言い放つ。 「あんた、オレに会ったことある?」  しばらく硬直して、右を見て左を見て他に誰もいないことを確認してから自分が名指しされているんだと悟った。ぶんぶんと首を横に振る。こんな個性の暴力、一度会ったらいやでも覚えているに決まっている。  すると美少女はハッと鼻を鳴らす。 「オーケーオーケー、念のため確認したけどアフターケアの方も大丈夫そうだな。これに懲りたらもう二度と怪異と交わらないこった。あと女相手に適当に粉もかけるなよ。じゃーな、スケコマシ」  どう見ても東城より年下なのに、なんだこの無駄にでかい態度は。中二か、マジモンの中二って奴なのか。しかも心あたりのないことばかり黙って聞いていれば好き放題言いやがって。  そう思っている東城に背を向けて、つかつかと少女はどこかに歩いて行ってしまう。  思わず興味本位で後をつけてしまった東城だが、曲がり角から顔を出しても既に雲隠れしたかのように姿がない。狐につままれるとはこのことだろうか。  あっけにとられていた東城だが、スマートフォンが再び震えると慌てて自転車を走らせる。  何にせよ、今日の飲み会の話のネタとしては十分かもな。  彼はのんきにそんな風に考えながらペダルを踏みしめる。  夕立後のひんやりとした空気が、東城のパーカーを揺らしていった。
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