勃発

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勃発

 下野国(栃木県烏山町)城主那須氏は、源平屋島の合戦で平家方が舟上に立てた扇の的を射落とした源氏の武者、那須与一を輩出している。与一の末裔の資晴に私の祖先、犬塚半兵衛は仕えていた。資晴は同じ下野国の宇都宮氏、常陸国の佐竹氏、陸奥国の岩城氏らと戦い、天正13年(1585)3月には下野国の薄羽ヶ原で宇都宮国綱の軍勢を破り、さらには喜連川や鷲宿などの敵城を奪還した。だが、天正18年(1590)に小田原合戦が起きると、大田原、大関、伊王野、芦野などの那須一族が豊臣秀吉に恭順し、ボスだけが参陣しなかった。豊臣秀吉は北条氏を降伏させ、陸奥国に向かう途中、大田原春清がボスの子、藤王丸をともなって秀吉に拝謁するが、認められなかった。所領を没収され、那須郡で5千石を給された。慶長5年(1600)、関ヶ原の合戦には徳川家康に属して、嫡子資景(藤王丸)の領地と合わせて1万3百石に加封、同7年には父子それぞれ千石ずつ加増された。  私は広大な複合扇状地を眺めていた。那須連山や大佐飛山山麓……いつ見てもこの景色は素晴らしい。北は那須川、南は箒川に区切られており、中央には熊川や蛇尾川(両方水無川)が流れている。へびおがわではなく、これでさびがわと呼ぶ。  川といっても扇状地で伏流し、大雨のとき以外は水が流れない。  河川には蛇尾川ダム、八汐ダム、蟇沼用水などがある。那須塩原にある乃木神社の境内には用水路があるが、蟇沼用水から水が送られてきている。この神社には明治期の軍人、乃木希典と妻の乃木静子が祀られている。乃木夫妻は明治天皇崩御の後を追う形で殉死している。  私は去年まで宇都宮にある東武警察署刑事課に勤務していた。部下の飯島純が何者かに撃ち殺された。その犯人を逮捕することなく定年退職を迎えてしまった。 『課長、俺はいつかあなたみたいなボスになりたいです』  亡くなる前日に飲み屋で飯島は言っていた。  犬塚家には人魚の油が伝わる。火をつけると雨風関係なく燃えるし?目や耳、鼻、股間などに塗ると冷水にも耐えられるし?刀に塗ると鉄でも切れるようになる。   私はソファに座り紅茶を飲んだ。『相棒』の右京さんみたく高級なものではなく日東のティーパックだ。愛犬のジョンがすり寄って来た。ダックスフント、顔は面長で尾が長い。クンクンと鼻を鳴らしている。  胸騒ぎがする。普段、こいつはあまり懐かないんだ。こいつがすり寄ってくるときは何かが起きる。飯島が死んだ夜もそうだった。  マホガニーの机の上のスマートホンが鳴った。液晶画面には『長尾』と出ている。私の一番弟子だ。私が東武署に配属されたのは東日本大震災の前の年だった。2010年、もう9年も前だ。画面をタップしてスマホを耳に当てた。 「長さん、どうした?」 《課長、お久しぶりです》 「おう、ボス……元気だったか?」  長尾は私の後任になった。 《相変わらずですよ。それより、梅田康夫が死んだのご存知でしたか?》 「マジかよ?」  梅田は有権者に酒食を振る舞って投票依頼をした悪徳議員だ。  3年前に逮捕したが、どういうわけかすぐに釈放された。  その梅田が鹿の湯近くで殺されたらしい。黒焦げの車から梅田の焼死体が発見された。頭部左こめかみに銃創があったらしい。 《長年の俺の勘からすると、こいつぁ自殺ですね》 「そんなこと私に話してどうなるんだ?」 《那須署に手柄奪われたくないんですよ、梅田はうちの署で逮捕したホシですからね?》 「そんなこと言われても私はもう刑事じゃないんだぞ?」 《そこを何とか頼みますよ?今度うまいものでもご馳走しますよ》 「寿司最近食べてないなぁ」 《うまいところ知ってるんですよ》 「よ~し、分かった」  私はトレンチコートを着て刀を研磨で磨き、ブルドックソースの空き容器に入れた人魚の油を塗って鞘に納めた。さらにパスケースに入れたライセンスをダウンのポケットに入れた。犯罪者の処刑が許可される特別な資格だ。日本には私も含めて7人しかいない。  部屋を出て螺旋階段を下りると、台所から妻の美奈子が顔を出した。 「あら竜二さん、どちらかへお出かけ?」 「うん、ちょっと散歩にな?最近は物騒だからな?」 「東武駅で爆弾テロが起きたばかりですね?」  今年の9月に東武宇都宮駅構内にあったゴミ箱が爆破して10名が死亡、7人が重軽傷を負った。時限爆弾が仕掛けられていた。 「気をつけていってらっしゃい」  現場は焦げ臭い匂いが漂っていた。せっかくだから鹿の湯に入ることにした。1300年前に猟師に撃たれた鹿がここの温泉で傷を治したことから、その名がつけられた。めちゃくちゃ熱くて入ることが出来ない。かぶり湯をしてそれで終わりだ。なんか損した気分だ。  私は監察医の朝沼って老人に憑依して、梅田の遺体を司法解剖した。  検死の結果、左側頭骨の射入口から弾丸が25度の角度で頭頂骨右内側に撃ち込まれていた。雑木林から拳銃が発見された。梅田の遺体に遺されていた弾丸と一致した。拳銃はワルサーPPK、『ルパン三世』でおなじみの拳銃ワルサーP38の末裔だ。ワルサーP38は第二次世界大戦のドイツ軍に制式採用されたオートマチック拳銃だ。PPKは警察用拳銃で、7.65ミリ(32口径ACP弾)もしくは、9ミリ(380口径ACP弾)が使用される。7.65ミリなら8発、9ミリなら7発装填できる。梅田の頭部から見つかったのは9ミリだ。  ワルサーPPKのマガジンの弾は空だった。6発は既に使われしまっているようだ。  黄昏が訪れ、私は眠気に襲われた。大きなあくびが出た。  私は那須警察署の山縣俊樹警部に憑依して、大山参道近くにある梅田のアジトにやって来た。後輩の柴涼子いわく、山縣有朋の末裔らしい。大山参道の紅葉のトンネルは真っ赤に色づいている。11月もあと3日で終わりだ。JRの西那須野駅から徒歩5分だ。緑から黄色、黄色から赤まるで信号機みたいだ。  なんとなくおならみたいな匂いがすると思ったら銀杏が落ちている。  大山元帥の墓地をぐるりと回る、大山巌は陸軍軍人にして政治家だ。薩摩藩士、大山綱昌の次男で、同朋の有馬新七に触発されて過激派に属したが、文久2年(1862)の寺田屋事件で公武合体派に鎮圧され、大山は謹慎処分になる。戊辰戦争では新式銃隊を率いて、鳥羽・伏見の戦いや会津戦争などに参戦した。鶴ヶ城の戦いの折、山本八重に撃たれ、弾丸が右股を内側から貫き重傷を負う。『八重の桜』のときの綾瀬はるかは美人だった。  西南戦争では親戚筋の西郷隆盛と戦うが、西郷を死なせてしまったことを気にして2度と鹿児島に帰ることはなかった。明治13年(1880)には陸軍卿になり、第1次伊藤内閣において初の陸軍大臣となった。日清戦争直前に右目を失明、日清戦争では陸軍大将として第2次軍司令官となった。明治32年(1899)に参謀総長に就任、元帥に列せられる。日露戦争では元帥陸軍大将として満州軍総司令官を務めた。同郷の東郷平八郎と並んで、『陸の大山、海の東郷』という異名をとった。  大正5年(1916)、大正天皇に供奉し福岡県で行われた陸軍特別大演習を参観した帰途に胃病から倒れ、胆のう炎を併発して療養中の12月10日に帰らぬ人となった。臨終の枕元には山縣有朋、川村景明などの盟友が一堂に顔を揃えた。余談だが、大山元帥は夏目漱石が亡くなった翌日に死去している。    私は涼子と手分けして梅田のアジトを調べた。裏庭のゴミ箱や冷蔵庫の中などを猟犬の如く嗅ぎ回った。 「課長!」  階段の上から涼子の声がした。 「どうした?」  私は階段を上がった。山縣はまだ40代だ、足取りが軽やかだ。若いってのはいいな? 「これ見てください」  天井裏から白い粉の入ったビニール袋が出てきた。 「麻薬だろうか?」  刑事ドラマなんかじゃ指で粉を舐めて、『こりゃあシャブに間違いありませんな?』と、ベテラン刑事が渋い顔をする場面があるがフィクションだ。 「鑑識に調べさせましょう」  涼子が毅然と言った。それにしても彼女は胸がでかい。私がもっと若かったらものにしていただろう。私はベットをひっくり返した。ナイフやロープなどの凶器が出てきた。 「どうやら梅田は汚職以外にも手を染めていたようだな?」  凶器の入った黒いケースの中にはゴム紐もあった。私はこんなトリックを想像した。庭木にゴム紐でワルサーPPKを結び、銃を家の中まで引っ張り込む。引き金が自動的に引かれて銃弾が発射、梅田の頭を射抜く。 「ワルサーPPKってヒトラーが自殺で使った銃でもあるんですよ?」  涼子のうんちくは、上田晋也顔負けだ。  翌朝、意外な人間が東武署に出頭してきた。  SPの芦野敦って若い男だった。 「どうして梅田を殺したんだ?」  取調室で長尾と梅田が睨みあっている。 「友人の仇です」  なんと、芦野は殉職した飯島の警察学校の同期だった。 「僕は飯島を愛していました」  長尾の側近、野田勇に憑依していた私は壁に凭れかかり唖然していた。  署を出て路地裏に入った私を数人の男が取り囲んだ。 「野田!死ねぇ!」  フルフェイスの男が懐から銃を抜いた。指がくの字に曲がった。  バンッ!キィーン!冷たい金属音が響き渡る。  私は刀で弾丸を弾き飛ばした。跳弾に当たった刺客は血飛沫を口から吐きながら死んだ。映画みたいな展開に私は苦笑した。 「ナニモンだ!?貴様!」  残る3人のうちの巨漢の男が叫んだ。 「おまえらクズに誰が教えるかよ!?死にてぇか?あぁっ!?」  刺客たちは一目散に逃げ去った。  飯島を殺したホシが見つかったのはよかったが、再び地獄の日々に舞い戻ってしまった?あぁ、普通の暮らしに戻りたいなぁ?  
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