山縣農場

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山縣農場

 僕は11月が嫌いになりそうだった。大好きな彼女が死んでしまった。エリカとは高校1年生のとき、同じクラスだった。それが運命の出会いだ。  僕は若い頃、自分が何者なのか怖かった。どこから来たのか?そう思っていた。でも最近じゃ、あまり考えなくなった。自分が何者なのか考えるとき、それは物事があまりうまくいかないときだ。最近、派遣先の食品会社で嫌なことがあった。上司が殴ってくるのだ。そして、毎日のようにこう言うんだ。 『おまえみたいなのを社畜っていうんだ?』  栃木弁って語尾が上がるから、いちいち尋ねているみたいに感じる。  上司は中牧徹平というゴリラみたいなオッサンだ。  僕はこんなことの為に頑張って来たのか?親に金出してもらって、大学まで出て。鏡を見たらゲッソリとした自分の顔が映った。自分を見失いそうになるのを恐れているうちはまだいい。それに気がつかなかったときがあぶない。有頂天な自分、気弱な自分、怒りっぽい自分、優しい自分、肉体は1つだけども、人は様々な自分を持っている。そのいくつもの自分をうまくコントロールしなけりゃいけないんだ。  エリカは落ち込んでいるときによく言った。 『自分を愛せない人間は、他人を愛せないよ?』  僕はあのとき、部品工場に派遣されていて仕事を切られそうだった。 『死にたい』と、彼女の家でウィスキーを飲みながらつぶやいたとき彼女に叱られた。 出会ったのは18歳だったけど、実際恋人としてつきあいはじめたときには19歳になっていた。あの頃、フジテレビでやってた『天体観測』を2人とも見ていて、バンプのアルバムを買ったりした。  18歳までに童貞を卒業するって密かな夢は叶わなかったが、19歳の夏にウチでした。あの頃はまだ親父やおふくろも働いていて、昼間は家にいなかった。大学をサボってエリカと気持ちいいことをした。ベットが古びていたから壊れないか心配だった。親父とおふくろは農家を営んでいた。大人になったあの秋、エリカと農場を散歩した。サバ雲の下に赤とんぼがたくさん飛んでいた。林にはカラスウリがまるでルビーみたいに実をつけていた。 『夕焼けの色みたいだ』  エリカは詩人みたいなことを言っていた。  秋は月や星が澄んで見える。  エリカは不思議なことを言っていた。 『私ね?この世界の人間ではないの』  僕は冗談を言っているのだと思っていた。 『私、キスをすると魔法を使えることが出来るのよ?』  つきあってから3回はしたはずだ。  財布を列車の中で失くしたが見つからなかった。11月のひどい雨の日だった。  エリカに黒磯駅近くにある一軒家に連れられてやって来た。  表札には『月島』とあった。チャイムを押すとふくよかなおばさんが出てきた。 「どちらさま?」 「こちらに財布ありません?」  エリカは鼻が痒いのか手で鼻の穴をかっぽじりながら言った。 「警察呼びますよ!」  階段をパタパタ降りる音がした。 「違うよお母さん!僕が悪いんだ!」  お坊ちゃまタイプがおろおろしている。 「洋一、どういうことなの!?」 「僕がこの人のポケットからすったんだ」  洋一はお母さんにおもいきりビンタされて泣き喚いた。 「申し訳ないことをしました!ワァァ~!」  洋一から財布を返してもらった。  農場に猪がやってきたことがあったが、エリカは魔法を使って追い払った。炎や電撃など痛そうなのではなく、ただ単に逃げ去っていく。MPもそれほど減らないらしい。 「あと1回しか使えない」  満月の夜、耕運機の陰からゾンビが現れた。エリカは魔法で追い払おうとしたが、ゾンビは逃げなかった。 「どうしよう!このままじゃ喰われる!」  もう魔法は使えない。  僕はエリカに舌を絡めてキスをした。  畑から巨大なカボチャのモンスターが現れてゾンビを食い殺した。  エリカは呪文を唱えなくても魔法を使えるようだ。  山縣農場は箒川を挟んだ那須野が原に隣接する高原山山麓の矢板市にある。  山縣有朋が1869年~1870年に欧米に対抗するために渡欧して、ドイツの貴族の農場経営の手腕に魅せられ、政府は那須野が原の広大な第三種官有地を払い下げることになり、開拓団が発足した。栃木県令の三島通庸、青木周蔵、山田顕義、大山巌、西郷従道、松方正義など錚々たる面々であった。  有朋は那須ヶ原への入植を希望したが、平地のほとんどは他の高官や旧藩主らによりおさえられていた。  有朋は、渋沢栄一が払い下げを希望しながら、地元の反対で断念した那須野が原西部に隣接する伊佐野(現矢板市伊佐野)について、許可を譲り受け、地元の同意を取り付けて払い下げにこぎつけ、1886年(明治19年)、伊佐野農場(のちの山縣農場)を開くことになる。  有朋は、開墾にあたる人員の募集の際に、土地を持たない農家の次男・三男という条件をつけた。 「この地は日本を豊かにしてくれる、我々からしたら神様みたいだ」  有朋は大山たちを見回し、言った。 「もう、あんな悲しい思いをするのはたくさんだ」  兄を田原坂の戦いで失った西郷従道は呻くように言った。  一定の条件を満たした小作人に土地を与えて自作農を育てることを目指した。住まいを用意して、入植者の子弟のために学校を開いた。  1910年(明治43年)には有朋は以下のような歌を詠んでいる。 『篠原も畑となる世の伊佐野山 みどりに籠る杉にひの木に』  私の父親も農業を経営していた。稲刈りに田植え、寝る間も惜しみ働き心労がたたり私がハタチを迎える頃になくなった。  華族農場の多くは平地にあり、耕作を小作人に任せていたため、第二次世界大戦後の農地改革などの影響を直接受けたが、田畑の多くを小作人に譲渡済みで山林主体の経営となっていた山縣農場だけは、農地改革の影響をそれほど受けなかった。  有朋はもともとは長州藩士で、陸軍軍人、政治家、内務大臣を経て内閣総理大臣(第3・9代)  1883年(天保9年)に長州藩領内の蔵元仲間、山縣三郎有俊の子として生まれた。幼名は辰之助だ。小助→小輔→狂介と改名した。  幼少期に両親んを相次いで失い、親代わりだった祖母もノイローゼで入水自殺している。1865年(元治2年)の3月だった。そういった残酷な青春時代が、簡単に人を信用しない猜疑心の強い有朋を作り上げた。  1858年(安政5年)7月、長州藩が京都へ諜報活動要員として派遣した6人のうちの1人として、松下村塾仲間の杉山松助(入塾を勧めた人物)や伊藤俊輔(のちの伊藤博文)らとともに京都に潜伏する。尊王攘夷派のボスキャラ、久坂玄随や梁川星厳、梅田雲浜に呼応し、10月の帰藩後に吉田松陰の松下村塾に入塾した。  だが、井伊直弼が触手を伸ばし始める。  1859年(安政6年)の安政の大獄で吉田松陰や梅田雲浜が刑死すると、有朋の幕府への反逆精神はさらに強まることとなる。  1863年(文久3年)2月に再度京都へ向かい、高杉晋作と出会い親しくなる。  6月、晋作が創設した奇兵隊に入って頭角を現した。晋作は身分にとらわれずに有能な人材を登用した。長州藩からは足軽以下の平民と大差ない平民が輩出している。  12月、教法寺事件が勃発。晋作の奇兵隊を快く思わない、藩士からなる長州の正規部隊である先鋒隊との軋轢が生じた。現代風に言えば、正規社員と非正規社員の争いだ。 「高杉の奴、百姓の分際で、百姓兵だ」 「いやいや、それを言うなら烏合の衆ですよ」  晋作たちも負けてはいなかった。下関戦争の際に敗退した先鋒隊に『腰抜け侍』と罵詈雑言を浴びせた。  奇兵隊は前田砲台、先鋒隊は壇ノ浦砲台を担当しており、毛利定広が両砲台を視察することとなった。最初に奇兵隊が銃隊の訓練・剣術試合などを披露し、続いて先鋒隊が披露することとなっていたが、時間が押して日没が近づいたために先鋒隊の披露は中止された。 「おのれ、彦輔の仕業か」  ゲラゲラ笑っている奇兵隊士の宮城彦輔の陰謀であると、先鋒隊は怒り彦輔を襲うことになった。  真犯人にされた彦輔は激怒した。 「何故、儂が……うぬぬ!」  奇兵隊士数十人は先鋒隊の屯所、教法寺に押し寄せた。 「敵襲!」  驚いた隊士の多くは逃走したが、病臥中だった蔵田幾之進が奇兵隊士に斬殺された。 「うぎゃあっ!」  それを知った先鋒隊は報復として、奇兵隊用人の奈良屋源兵衛を殺害した。    藩は騒動の原因となった宮城彦輔に切腹を瞑した。宮城は8月27日に教法寺において切腹した。晋作は切腹は免れたが事件の責任を問われ、結成からわずか3ヶ月で奇兵隊を罷免された。河上弥市と滝弥太郎の2人がその後任となった。  河上弥市は討幕の先駆けとなり、七卿落ちの公家である沢宣嘉を主将に奉じ、幕府直轄地で生野銀山のある生野代官所を占拠するため、但馬国で平野国臣たちと挙兵するが、生野の変で敗死した。まだ21歳だった。  但馬国は小藩の豊岡藩、出石藩以外は天領が占めていた。同国の生野銀山は幕末の頃には産出量が減少し、山間部の住民は困窮していた。豪農の北垣晋太郎が農兵を募って、海防にあたるべしとする『農兵論』を唱えた。北垣は後に京都府知事になったときに琵琶湖疏水を計画し、1890年(明治23年)にこれを完成させている。  弥市が亡くなると、赤根武人が3代目総官となる。有朋は副官としてサポートした。    ススキが風にフワリと揺れた。  木田賢人が私の目の前に立っていた。 「エリカが悪いことをするなんて信じられませんよ」 「まだ悪いことをしたと決まったわけではありませんが、JKやお城、氷などの隠語をふざけて使うとも思えません」 「もしかしたらJKは北里淳のことかも知れません」 「誰ですかそれは?」 「エリカの弟です、矢板駅の近くにある介護施設で働いてます」 「ヘルパーさんですか?大変な仕事でしょうな?木田さんは何をやってるんですか?」 「農家ですよ、本当は教師になりたかったんですけどね?現実は厳しかったです。仕方なく派遣の仕事してました。食品や部品工場、5社以上はやったんじゃないかな?最初は正社員にするとかいいこというけど、奴隷みたいな扱いだったな?それで、一念発起して農業の世界に入りました」 「超氷河期でしたっけ?今の若い人は大変ですよね?」 『あんたに何が分かるの?』みたいな冷たい視線を木田は投げてきた。 「リーマンショック、東日本大震災……嫌なことばかりですよ。もしかしたら、氷ってのは『超氷河期』のことかも知れませんね?」 「なるほど」 「冗談ですよ。城ってのはシロじゃなくて、ジョウって名前かもしれませんね?」 「そういや、城ってサッカー選手がいましたね?」 「どこですか?ヴェルディですか?」 「最初はジェフ市原だったんですけど?マリノス、レアル、ヴィッセル、横浜FCって転戦してます。城彰二、知らないんですか?」 「あんまりスポーツ見ないんですよ?」 「それじゃあラグビーとかも?」 「見ないですねぇ?面白いんですか?」 「リーチ・マイケルすごかったじゃないですか?」 「試合って長たらしくて、あんなのを見てる時間がもったいないです。あっ!」  木田は突然、大きな声を出した。 「どうしました?」 「そういや?随分前だったけど、気味の悪い奴とあっていたな?ゲッソリ痩せて、ボサボサの髪で腕にサソリのタトゥーが入っていた」  かなりの収穫だ!私が女だったら木田にキスをしたいほどだ。 「名前は分かりますか?」 「ん~とね?内山、違うな、えーとねぇ?内田じゃないし?内村じゃないしな?あっ!内本だ、間違いない」 「木田さん、ご協力ありがとうございます」
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