【603号室 枦山 道(とやま みち)】

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「…………」   目と目が合うと、塔子はわずかに首を傾けて、ハハ、と言った。 思いがけず正解だったらしい。 そう確信した瞬間に、俺の酔いは半分ほど醒めた。 「そうなんだ。変なところで勘が働くな、俺も」 「今年のバレンタインの義理チョコのお返しです。ホワイトデーに」 「へぇ。なんか塔子って、義理でもバレンタインとかあまり興味なさそうだけど」 「そうですね。お世話になってる伊崎課長にだけ渡しました」 「ふーん」   塔子がソファーのところまで来て、ポスンと隣に座った。 俺は意味もなくイライラしていた。 ……いや、意味はわかっている。 ただ、あまりにも格好悪くて認めたくなかった。 「なんか、ちょっと機嫌悪いですか? 枦山さん」   控えめに覗き込んでくる塔子を見ると、酔いに眠気も手伝ってか彼女の顔が無性に可愛い。 いつの間にか眼鏡を装着済みなのに、それでもなお、その奥の目がキラキラして見える。「……塔子はさ」 「はい」 「塔子は……」   伊崎さんに気があるって自覚してる?  ていうか、伊崎さんにさっき、幼すぎて恋愛対象じゃないと暗に言われてどう思った? 「…………」   見つめ合ったままの沈黙が微妙な空気を作り、だんだん塔子の瞬きが増えて頬が紅潮してきた。 「あの…………枦山……さん」   この物理的な距離の近さに反比例する心の距離。 もはや笑えてくる。 「…………」 何も言えないままでいると、ゆっくりと彼女の指がこちらへ伸びてきた。 俺はその人差し指をぼんやりと目で追う。 近すぎてピントが合わなくなってきた時、その指の先は俺の鼻の頭を掠った。 「泡、ついてました」
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