【 第2章 新しい生活 】

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 優は、食事の後片付けを終えたあと、チラッと有李斗の様子を見に行った。いつものように集中している。家でやる時はスーツ姿ではなく、もっとラフな格好で、そこに仕事用の眼鏡を掛けている。その姿は今でも優が大好きで、どんなに見ていても飽きる事はない。できる事ならば、ずっと見ていたいのだ。  【あ~。集中してる。ずっと見てたいな~】  そう思いながらも家事を再開した。そして、合間にクッキーを焼く事にした。  今日から作るクッキーは、子供たちもいるので、同じ味でも2種類作る事になる。今までと同じ分量の大人の分と、大が言っていたように、砂糖などを半分以下にしての分量の子供たちの分。  「ママ、何作ってるの?」  李花が優の所に来て、今作っているものを見た。  「今はね、クッキーを作ってるんだあ。あっ、そうだ。李花も一緒にやる?」    李花は女の子だし、一緒にやれるかもと思って言ってみた。  「いいの?」  「うん。一緒にやったら楽しいよ?じゃあ、よく手を洗って」  手を洗った李花と一緒に、生地を型取っていた。それを見た月斗が走ってきた。  「ん~、僕も~。僕もやる~」  優のエプロンの裾を引っ張り、自分も一緒にやりたい事を伝えてくる。  「そう?じゃあ、月ちゃんもよく手を洗って」  月斗にも手洗いをさせ、3人で型取り始めた。  子供たちが傍を離れた翔は、3人がやっている事を見には来たが、自分には無理そうだったのでテレビを見ている事にした。  「さて、これをオーブンに入れて焼くよ~」  3人で型取った生地をオーブンの鉄板にのせ、焼き始めた。  「これは簡単に焼けるのだからねえ。すぐにできるよ~」  鉄板の上で焼けていく生地を、月斗と李花はジッと見ていた。  20分くらい経って、オーブンのチンと言う音が鳴り、優が取り出した。部屋中が甘い香りになり、焼けたばかりのクッキーを見て、2人が声を上げた。  「「わあ~」」  「上手に焼けたね。これをここに置いてっと」  焼けたものを、冷ますための網にのせ、次は有李斗のコーヒーを淹れる。  「さあ、パパを呼びに行こうかな」  優がそう言うと、2人とも一緒に行くと言うので、3人で寝室へ行った。  「有李斗?」  いつものように、一度目は声だけ掛けてみるが、やはり集中していて気づかない。そこへ月斗と李花が、有李斗のズボンを引っ張って呼んだ。  「「パパ」」  それに気づいた有李斗が足元を見ると、月斗と李花がいた。  「ん?」  子供たちを見ただけではよく分からなかったのか、不思議そうな顔をしていた。顔を上げて正面を見ると、優の姿があった。  「どうした?」  有李斗のキョトンとした顔を見て、優はフフッと笑みを浮かべた。  「お茶にしよう?」  その一言で、自分に声を掛けられた意味が理解できた。  「あ、ああ。うん」  「大丈夫?」  「ああ。いつもと違う呼ばれ方だったから、状況が理解できるまでに時間がかかったんだ」  「うん。そうなんだね。僕はねぇ、他の人が見た事のない有李斗の顔を見られたから嬉しい」  ニコニコしながら、有李斗の手をそっと掴んで、自分の頬に持ってきた。  「優、どうした?」  「ううん」  有李斗の足元では、子供たちがニコニコそながら2人を見ていた。  「さあ。有李斗も少し休憩して。今日はね、月斗と李花とクッキーを焼いたんだあ」  「そうか。それは楽しみだ」  4人はリビングへ行く。テレビの前にいる翔は、何か気になる番組があったようで真剣に見ていた。  「翔、お茶にするぞ」  有李斗が傍まで行き、声を掛けた。  「あっ、はい」  随分と真剣に見ていたようで、有李斗に声を掛けられた翔は驚いたのか、身体をピクッとさせて有李斗を見た。  「おお、すまん驚かせて。それ、面白いのか?」  「うん」  「その時は…」  リモコンとテレビ画面を見せながら、録画方法を教えた。  「これで、あとからでも見られるからな」  「ありがとう」  翔が気になっている番組も録画し、ゆっくりとみんなでお茶の時間を過ごす。  「有李斗はコーヒー。僕と翔は紅茶ね。月ちゃんと李ちゃんは、大から貰ったフォローアップミルクっと」  それぞれの飲みものとクッキーを出し、食べ始める。  「うん。美味い」  「ありがとう」  「パパ、李花たちも作ったんだよ」  「そうか。どうりでいつもよりも美味しいと思った」  有李斗の一言で、李花はとても嬉しそうにしながら、自分の前にあるものを食べ始めた。  「美味し~」  李花は一口食べて喜んでいた。月斗も美味しいようで、無言でパクパク食べていた。  「月斗、もう少しゆっくり食べなさい。お腹がビックリしちゃうぞ」  有李斗に自分のお腹をツンツンと指をさされ、ウヒョウヒョと声を出して喜んでいた。  「お前は、よく笑うな」  とても温かい笑みで、月斗を見た。  「翔、美味しい?」  優が、翔に聞く。  「うん。これは何て言うんだ?」  「これはね、クッキーって言うんだよ」  「そうか…」  「翔も好きそうだね。良かった」  みんなで美味しく食べられて良かったと優は思った。研究所では、みんなサプリ中心で、こういったものは口にしない。時々はパンで何かを作ったり、手先の器用さを見るために簡単な料理をする事はあったが、もちろん、お菓子なんていうものは出ない。だから、子供たちも含め、普通のものを3人が食べられるのか心配だった。それに加え、これからの食事の内容も変えないといけないのも悩みの1つになった。  「優?」  「は、はいっ!」  急に自分の名前を呼ばれ、驚いてしまった。  「ど、どうした?」  驚いて返事をした優の声が、思っていたより大きかったせいか、同時に有李斗まで驚いた。  「ごめ~ん。ちょっと考えてたから…。有李斗まで驚かせちゃって、ごめんなさい」  「いや、それは気にしなくていい。何を考えていたんだ?」  「う~ん。みんなのご飯の事。これからは、どんなものを作ればいいのかなと思って。今日のお昼はうどんにしたけど、僕も有李斗も、そういうのあんまり食べなかったでしょ?だから、どうしたらいいかなあと思って」  子供がいると食事の内容も変わってくる。洋食で軽いものが多かった優と有李斗には、和食は意外と重い。それを食べやすくするには、どう作るかと考えていた。  「ネットで調べてみるか。お前1人ではなく一緒にな」  「いいの?」  「お前が1人で悩む必要はない。それに…」  有李斗がニヤリとして優を見た。  「それに、一緒に調べた方が楽しいだろ?」  「う、うん。でもね…」  優は、あの有李斗のニヤリとした顔が気になっている。  「ううん、何でもない。あとで一緒に…、お願いします…」  言葉の最後の方は声が小さくなっていた。  ――「さて、俺は仕事の続きをさせてもらうよ」  「うん。僕も色々終わらせて行くね」  「ああ。待ってる。一緒に楽しく調べたりもしような」  有李斗はまたニヤリとして、そのあとは何もなかったように寝室へ行った。  【もう…(笑)】  優は顔を赤くしながら食べ終わったものの片付けをした。子供たちと翔は、またテレビを見始めた。  寝室では、有李斗がPCで作業をしながら考えていた。  【相変わらず、あいつに出席して欲しいと思ってる大学も多いんだな】  季節的に、今来ている出欠ものは大学が多かった。スマホから大へ連絡をする。  「おう、どうしたよ」  「今、忙しいか?それと、昨日は悪かったな」  「いや、気にすんな。で、どうした?」  「あのな、今仕事をしているんだが…」  有李斗が言いかけると、大が大きな声で言った。  「お前、仕事してんのか?何やってんだよ~。俺、休める時に休めってメールしなかったか?」  電話の向こうで怒り出した。  「まあ、そうなんだが、時間ができたからな。仕事も自宅でやってるから問題ない」  「問題ないだと?大ありだ!!優を出せ」  「何でだ?あいつに何を言う気だ?」  大は有李斗と言い合いになっても、優を間に入れた事はない。なのに今は優を間に入れようとしている。  「いいから、優を出せ」  「いいって。仕事の話ができないのなら切るぞ。じゃあな」  全く仕事の話ができないまま、有李斗は電話を切った。  【何なんだ、あいつは】  しばらくイライラした気分を落ち着かせてから、PCの方を見ようと向きを変えていたら、優が来た。  「有李斗?大と何があったの?」  大との話がリビングまで聞こえたのかと有李斗は思った。  「いや、とくには」  「そんな事ないよね?今、僕の所に電話来て怒っていたもの…」  【あいつ、何だよ。わざわざ優にまで電話したのか?】  「有李斗?」  「・・・・・」  優の問いに答えずPCへ向かう。しかし、自分の背中に優の視線が刺さってくるような気がして仕方なく答えた。  「俺が仕事してるって言ったら、あいつが怒っただけだ。俺は聞きたい事があって電話をしたのに、それを言えないまま途中から優を出せってしつこいから電話を切った。ただそれだけだ」  「うん。でも大は、昨日の事があるから心配だったみたいだよ?」  「それは分かってる。でもな…」  「うん」  優は一言だけ返事をすると、有李斗の傍まで行き、有李斗に抱きついた。  「心配だったんだよ。でも、大は声が大きいからね(笑)」  「ああ」  ほんの今まで、大が怒ってきた事でイライラしていたのに、優に抱きしめられ、自分の話を聞いてもらっただけで、何となく気分が落ち着いてきた。  「悪かったな。お前を俺たちの間に入れさせて」  「ううん、それはいいの。でも仲直りは早目にね」  「ああ、分かった。で、あいつは他に、お前に何を言ったんだ?」   大が優に言った内容を最後まで聞けていないので気になっていた。  「ん?あんまり無理させないで、ちゃんと休ませなさいって。仕事をする時間があるのなら… …」  話の途中で、優は言うのを止めてしまった。  「どうした?その先は何て言ってたんだ?」  優は、有李斗に言おうか迷っている。  「優?」  少し考えてから、有李斗の耳元で言おうとした。有李斗は優の話しやすいように態勢を変えた。  「仕事をする時間があるなら… …キスの1つでもしなさいって…」  有李斗に言ったあと、優は恥ずかしさのあまり、両手で自分の顔を隠した。有李斗は、優に言われてすぐに抱きしめ、何とも言えない感情でいた。  【あいつ、どんな顔で優に言ったんだ?】  優との電話を切ったあとの大にニヤニヤ顔が、有李斗の頭に浮かんだ。  「そうか…」  有李斗は、その一言だけ言い、再度優を抱きしめ、リビングにいる翔の所へ行った。  「翔、頼みがある。今夜なんだが、子供たちが寝たあと、自分たちの寝室で寝てもいいか?夜中、何かあれば起こしに来てくれて構わない。優と少しゆっくり話がしたくてな」  有李斗が翔にお願いしている横で、いつもと違う表情の優がいる。それを翔は気になりつつ返事をした。  「分かった」  「今日は、ずっとお前に頼み事ばかりしてて悪い。明日からはこんな一遍には頼まないようにするから、今日だけ許してくれ」  「気にしてない」  「そうか。本当に悪いな」  「うん」  「さて、俺は仕事の続きをする。優、そういう事だ」  優の頭を撫でて、ニヤリとしながら有李斗は寝室へ戻った。そのあとの優は、ニコニコと機嫌がとても良く、それを見ていた翔は、不思議に思っていた。  家の事を終えた優が、有李斗を手伝うと伝えるために、翔の傍へ行く。  「翔、あのね。家の事が終わったから、有李斗を手伝ってくるよ。僕は有李斗みたいに周りが聞こえなくなる程の集中力はないから、何かあったらすぐに声を掛けてね」  「うん、分かった。――あのさ、優。聞きたい事があるんだけど…」  翔は、優と有李斗の会話や行動で気になっている事がある。それを思い切って聞こうと思った。  「な~に?」  「あのさあ、優は有李斗さんと話をする時に、よく顔が赤くなったりするよね。その時って、有李斗さんが頭をいじったり、口と口とでその… …。何でそうなるの?それで、そのあとの優は機嫌が良くて、嬉しそうで」  翔の質問の内容を聞いて、優は顔を赤くしてオロオロし始めた。  「う~ん。何でって。アハハハ。う~ん。有李斗が好きだから?」  「でも、俺やこいつらにはならによね?」  「好きでも種類が違うの。アハハハ。何て言ったらいいんだろう…。有李斗はね、みんなが知らない僕を知ってて、僕もみんなが知らない有李斗を知ってる。それってね、凄く大切で、う~ん、自分の命よりも大切でね。言葉にするのは難しいんだけど…。ごめんね。上手く言えなくて。でも、そういう人だから、その人に触られたり、言葉を掛けられると、とても嬉しいし、恥ずかしくなったりするの。僕にとって有李斗は特別な人。愛おしい人。… …なの…」  恥ずかしいのもあったが、どんな風に好きなのかを言葉にするのは、どれも当てはまらなくて、自分の想いよりも軽い気がして、翔にどう伝えればいいのか分からなかった。  「翔、ごめんね。上手く言えなくて。研究所での知っている言葉を使えば、子供を作ってもいい相手かなあ。まあ、僕たちは男同士だから無理なんだけど…。でもね、研究所で見たビデオとは全然違うんだよ?もっと空気が甘くて澄んでて。言葉にするにはどれも違うの。言葉では言えない、そんな感じなの」  最初はヘラヘラしていた優の態度が途中から真剣で、でも柔らかくて、温かい感じの表情で、翔に話をしていた。それを見ている翔は、ハッキリとは理解できなくても、何となく、優から来る甘い空気が普通とは違う特別なものなんだと分かった。  「そうか。俺も優の話を聞いて、あんまり分からないんだけど、でも俺が今まで感じた事のないものっていうのは分かった。ありがとう教えてくれて。でも良かったな。そういう人に会えて」  「うん。――じゃあ僕、有李斗を手伝ってくるよ」  「うん。こいつらは大丈夫だから」  「ありがとう」  翔との話を終えて、有李斗の所へ行く。  寝室に入ると、PCのキーボードのパタパタした音が響いていた。イスに座っている有李斗の後ろから、ゆっくりと抱きしめた。  「どうした?」  「ううん。有李斗の匂い。有李斗の温もり。有李斗を充電…」  「珍しいな。お前からしてくるなんて。何かあったのか?」  「ううん。でも、この2日くらい、有李斗にあまり触れなかったから」  「そうだな。こっちにおいで」  座っているイスを半回転させ、優を自分の足の上へ乗せる。  「急な事、初めてな事ばかりやらせて申し訳ない。でも、お前となら、この先も楽しくできると思っているんだ」  「うん」  有李斗は、優の頷きを見てから、そっとキスをした。  「ありがとうな。俺の傍にいてくれて」  「僕の方こそ。いつもありがとう。僕の事を一番に想ってくれて」  2人は、おでことおでこを合わせてクスッと笑った。いつもとは違う、軽いスキンシップ。それでも2人には心地良かった。  そのあと、しばらくしてから仕事を始めた。優は、有李斗から仕事を回してもらい、メールの返信用の文章を考えて有李斗に確認をお願いする。  「いいんじゃないか?このまま送っていいな」  「は~い」  「優、仕事と関係ない話をしていいか?」  「うん」  「あのな、月斗の事なんだが、あいつ畑でミミズを食おうとしてな、」  有李斗がそこまで言うと、優の驚く声が部屋に響いた。  「ええっ~!?」  「(笑)。まあ、でも1年半以上も外暮らしだったわけだから、何となく予想はしてたろ?」  「えっ?有李斗はそう思ってたの?僕はそんなの思ってもなかった。それこそ、翔と月斗はオオカミだから、何か動物でも捕って食べてたのかなあって。… …ミミズかぁ」  さすがの優も、ミミズと言う名を聞いて固まっていた。  「その時、先生もいてな。これは保育園とか以前の話だろうと言ったんだが、子供は意外とやるらしいんだ(笑)」  「そ、そうなの?」  「まあ、ミミズまではいかないと思うが、それに近い事はあるらしい。でもな、月斗の場合、人前でやりそうだろ?しかも、食事というよりオヤツ感覚だったんだ(笑)」  「ねえ有李斗?さっきから話の合間に笑ってるけど、笑い事じゃないよねえ。どうしよう。李花は大丈夫かなあ。女の子だよ?」  優が、段々と母親のような表情を出してきた。たった2日か3日なのに、節々で出す優のこれは、有李斗にとって、理性を飛ばす要素の1つになってきている。  「ああ」  急に有李斗の言葉数がなくなり、気になりつつも、優は話を続ける。  「それより、病気とか大丈夫かなあ。李花はちゃんと検査したけど、月斗と翔は途中までだもん。大に電話して、今すぐ検査してもらおうか。どうしよう」  優の心配が大きくなってきた時、有李斗が優に近づき、深いキスをした。そして、そのままベッドへ連れて行く。  「んぁ…有李斗どうしたの?」  「お前が綺麗になっていくのが悪い」  「んん…えっ?何?…んぁ…」  「お前も男なのに、こんなに可愛くて、母親になった途端、綺麗になっていく。俺にどれだけ我慢しろと言うんだ」  有李斗は、優の身体のあちこちにキスを落とし、強く抱きしめる。  「はぁん…何の話?…ダメ…そこドア開いてる…んん…」  有李斗は優の言葉で、スタスタとドアの方へ向かい、ドアを閉め、カギを掛けた。  「夜まで待とうと思っていたが無理だ。優、お前が悪いんだぞ?」  そう言うと、ニヤリとして優を抱き始めた。  「えっ?…有李斗…はぁ…あぁ…どうしたの?…何で…はぁん…」  優はわけが分からず、有李斗にされるがままになっていく。  「んん…ダメ…本当に…はぁぁ…有李斗ぉぉ~」  有李斗は、優から呼ばれた自分の名前を聞いて全身に力を入れる。息を飲み、俯く。そして優から離れ、ベッドの縁に座り、髪をかき上げる。  「ごめん…」  小さい声で優に謝った。  「ううん」  「ダメだな俺。お前の事になると、傍にいるだけで何もかもが保てなくなる」  「ありがとう。――僕だって本当は同じ。有李斗の傍にいると、有李斗を触りたいし、独り占めしたくなっちゃう。他のお家のお父さんやお母さんってどうしてるのかなあ。そればっかり考えちゃう」  「ああ。そうだな。ん~。ダメだ」  そう言って、優を抱きしめる。  「はあ。すまん。悪かった。これじゃあ月斗の事、言えないな。俺だって野獣みたいなもんだ」  「有李斗、野獣って(笑)」  「笑い事じゃない。お前が最後に俺の名前を強く言わなかったら、野獣のように抱き潰しているところだった」  有李斗は時々、極端な表現を使う。でもそれは優にとって、身体の中を熱くさせるものだった。  「もう…有李斗は…」  「今は我慢した。その代わり、今夜は覚悟しておけよ?」  「うん…」  優は有李斗の言葉に返事はしたものの、自分の何がそうさせるのかは、よく分からなかった。  「有李斗、僕、飲みもの持ってくるね」  「ああ」  優は寝室を出て台所へ行き、息を深く吐いた。  有李斗は優が寝室をでたあと窓を開け、外の空気を吸った。  【このままじゃまずいな。これじゃあ、大が言っている事のようになる】  スマホを出し、大に電話をする。さっきの事もあり、電話に出た大は無言でいた。  「さっきは悪かった…」  有李斗から声を掛けた。  「ああ。で、何だ?」  「いや。また今度にする。ただ、用件は他にもあるんだ」  今の優との状況を聞いてもらいたい気持ちだったが、そこはやはり何となく話しづらく、今度言えた時にしようと思った。  「実はな、月斗と翔の検査をすぐにお願いしたい」  「ああ、ミミズ食ってたってやつか?」  「何で?――ああ、先生か」  「おう。李花のが異常なかったから大丈夫だとは思うけどな。明日の昼にでも診るよ」  「悪いな。あとな、お前宛に色んな大学から講義とか、特別授業に出て欲しいと来ているんだが、全部断っていいのか?そろそろ1つくらいは出てもいいんじゃないか?お前はそれだけ認められてるって事だろ?ダメなのか?」  仕事の話をしたからか、大は黙ってしまった。  「もし、お前がそういうものに出る事になれば、俺と優がちゃんと付き人するぞ?まあ、多田のようにはなれないがな。それでもダメか?1ヶ所でも出れば、お前、医者として1つデカくなれんじゃないだろうか」  大は何も答えない。  「そうか。悪かったな。仕事の話をして。――今夜、優との2人の時間を設けたから。心配掛けて悪かったな。大学の話は忘れてくれ。今まで通り、全部断っておく。じゃあ切るな」  大の答えも聞けないまま、電話を切ろうとした。その時にやっと、大が口を開いた。  「おい、待て」  急いでスマホを耳に当てる。  「ん?」  「週に2日くらい、夜、子供ら預かれっから。気にせず連れて来い。俺が仕事に出る時に保育園に連れてきゃ問題ない」  大の申し出に、有李斗は一瞬、言葉を飲んだ。  「ん。わ、悪いな。ありがとう。――お前が一番最初に言ってた事が、今になって身に染みてる。俺はさっき、優を…、優の声を聞かずに抱き潰そうとしたんだ。部屋にカギを掛けて。この俺がだぞ。まあ、優からすれば、俺だからかもしれんがな(笑)。まあ、そういう事だ。お前が言ってた事は間違ってなかったよ。でもな、それでも今のまま子供たちと一緒に暮らしたいのは変わらない。そこだけは分かって欲しい。手探りだが、優と一緒に少しずつ進むよ。まだ3日なのに、こんな話で情けないだろ?でも、これが俺だ。お前はどう思っていたかは分からないが、俺はそんなカッコイイ男じゃない。先生が言ってるような男じゃないんだ。今更だが、そこは訂正しておく」  言いづらかった優との事を、大の話で言いやすくなり、口から言葉が出た。一度出ると、恥ずかしいはずなのに次々と自分の気持ちが大に向かって行った。  「ああ。お前が俺よりカッコイイなんて、一度も行った事ないだろ?知ってたよ(笑)。――明日、昼頃そっちへ行くから、美味い昼飯頼むって、優に言っとけ。そういう事だ。じゃあな」  「ああ。明日な」  電話を切り、開いている窓辺へ行った。  あんな話をしたのに、大はバカにしない。少しの揶揄いと、温かく見守るような声のトーンで言葉を返してきた。  ――〈コンコン〉  ドアをノックする音がした。  「お電話終わった?入ってもいい?」  何処から聞いていたのだろう。優が開いているドアをノックし、確認をしてから部屋へ入ろうとしている。  「ああ。終わった。大と仲直りはしたぞ。明日の昼に、月斗と翔の検査の続きをするから来るって言っててな。優に美味い昼飯を期待してたぞ」  「うん。分かった。お肉がいいね。大だから(笑)」  「そうだな。買い物へ行くなら言ってくれ。車出すから」  「うん。ありがとう。はい、コーヒー」  「ああ。頂く」  コーヒーを受け取り、窓から外を眺める。  「さっきは悪かった」  「ううん。有李斗だから仕方ない(笑)」  優の言葉に、聞かれたくない所のほとんどを聞かれていたのかと、窓の外を見る視線を、優に向けられないでいた。  「ああ」  それだけ答え、優の頭を撫でながらPCの前に移動した。優も、PCの所へ行った。  「さて、やろうかな。続き。文章考えたら見てね」  「ああ。――あのな。大にな、何処か1ヶ所でも、講義なり授業へ出たらどうだと言ってみたんだが、やはり行きたくないみたいなんだ。あいつの性格を考えたら、人前でも極度に緊張するとかはないだろうしな。何をあんな頑なに嫌がるのだろうか。」  ずっと気になっている事を優に話す。  「有李斗は聞いた事ないの?――不思議だね。お付き合い長いのに。僕はすぐに聞いちゃったよ?」  「お前には話したのか?」  「うん。あれ?有李斗も聞いた事あるの?聞いてないから知らなかったのかと思ったよ。きっと恥ずかしいのかな?」    「俺が聞いても、はぐらかすからな。あいつ」  「そうかあ。でも、そんな気にする事でもなかったよ?大らしいなって言うか。――1つお話を受けちゃうと、次々他からも来ちゃうからって。しかも、他は行ったのにうちには来ないとかの争いになるからって言ってた。1ヶ所でも行かない所ができちゃうと、感じ悪いとか悪口言われるから、それなら何処にも行かない方がスッキリするからって言ってた」  確かに、そういう事はよくある話だ。呼ぶ側は何十件もあるが、行く側は1人。全部を同じようには受けられないのは当然な話。日程や、行く場所の距離によっても変わってくる。なのに、行けなければ陰で色々言われるのだ。有李斗はそれを嫌という程、経験している。きっと自分に言わないのは、それを知っているからだと思った。  「お前が俺に言った事、大には言わなくていいぞ。俺も聞かなかった事にする。あいつが俺に言わない理由は俺だ。俺を見ていたから、行かない事に決めていたんだろうな」  有李斗からの話を聞いて、優が聞く。  「どうして有李斗が理由なの?」  「俺は、早瀬にいる時に何度も経験をしているんだ。色んな所から講演を頼まれてな。でも日程が合わなかったり、行く場所が遠すぎて、スケジュール上、無理があって行けなかったりな。そうすると、行く場所がどうしても偏ってきてしまう。そのうちに裏で色々噂が出てくるんだ。悪い噂がな。しかも、俺には全く身に覚えのないものが。それをあいつは、何処かで耳にしたり目にしたんだろう。そんな事になるなら、初めから全部断ってしまえばいい、行かなければいいと思ったんだろうな」  自分が早瀬の会社にいた時の事を思い出した。あの時の自分は、今では考えられない生活だったと思い返していた。  「有李斗?」  「ん?」  「話してくれてありがとう。偉い人になるって大変なんだね。一生懸命にお仕事しているだけなのに、知らない人からそんな事言われたりするんだね。…そっかあ、そうなのかあ。僕は偉くなんてなりたくないな。このままでいい。有李斗と2人で大のお仕事手伝って、みんなでのんびり暮らすの。このくらいが丁度良いね」  「そうだな。このくらいが丁度良い」  窓から入ってくる風に当たりながら、2人はクスッと笑った。  そして、今までと同じように、各大学には全て欠席の返事を出した。  夕方になり、優からの声掛けで有李斗は仕事をストップし、優の手伝いをする事にした。寝室から出てみると、リビングのテレビの前が今までとは違い、賑やかに物が散らかっていた。  「う~ん…」  有李斗はそれを見て唸っていた。それを台所から見た優は、クスクスと笑っている。  【これは、大の一人暮らしの時の事は言えんな】  まずは、月斗と李花をソファへ座らせた。  「いいか、これから話す事をちゃんと聞くんだぞ?」  有李斗が真面目な顔で何か言ってくるので、月斗も李花も、有李斗の顔をジッと見た。  「今、遊んだものを片付けてから次の遊びをするんだ。――言ってる事分かるか?」  「「う~ん…」」  2人ともポカンとした顔で有李斗を見る。  「そうだよな。今言っても分からないよな…。優、こういう時って、どう言ったらいいんだ?」  「そうだね~。――最初、何して遊んだの?」  2人に聞く。  「ぬりえ~」  李花が答えた。  「じゃあ、その次は?」  「う~んとね~、折り紙~」  「そうかあ。折り紙ね。――あのね、ぬりえをお片付けしてから折り紙をやろうね。前のを片付けてから次のを出すんだよ?じゃないと…、よく見てみてここ」  少し離れた所から、散らかった場所を見せた。  「グチャグチャ~」  月斗が指をさしながら言った。  「うん。そうだよねえ。これじゃあ、クマさんたち座りたくないって」  有李斗と優の大切にしているクマのぬいぐるみを指さして教える。  「それに、ここは、みんなでご飯食べる所でしょ?これじゃあ、今日の夜ご飯は食べる所がないよ?それでもいい?」  優が、ゆっくり言葉を選びながら、月斗と李花に説明をする。  「「ヤダ~」」  「ね?だから次からは、お片付けをしながら遊ぼうね。分かった?」  「「は~い」」  「うん。じゃあ、ちゃんとお片付けして下さい」  優の子供たちへの対応を見る度、有李斗は感心してしまう。  「優は凄いな」  「そう?」  「俺は、あんな風に上手く言えんからな」  「フフフ。その時は、僕が今みたいに言えば。ね?」   優の言った事は理解できたようで、子供たちはすぐに後片付けをした。片付いたあと食事にし、今日は畑で遊んだりもしたので、子供たちを少し早目に寝かしつける事にした。  「月斗、李花、そろそろ寝る時間だ。行こうか」  有李斗は、子供たちの手を取り、部屋へ行く。布団へ寝かせ、自分は子供たちの間に横になった。昨日は、大もいて話をしながらいられたが、今は1人だ。どうやって寝かしつけるか考えていたが、絵本を読んでみる事にした。  「今日は、これを読んでみるか。2人とも、聞きながらちゃんと寝るんだぞ」  「「は~い」」  有李斗にとって、声を出して本を読むのは、小学校の授業以来だった。正直、もの凄く恥ずかしい。それでも、父親ならみんなやっていると聞いた事があるので思い切ってやってみた。その声が、静かになったリビングまで聞こえていた。  【えっ?この声って有李斗だよね?こんなに上手なの?】  優と会ってから、かなり普通にまで話すようになったが、それまでは本当に必要な事以外は話さない人だったと、優は聞いている。確かに、普段も言葉数が多いとは言えなくて、知らない人から見れば少し冷たい話し方。そんな有李斗が子供たちに呼んでいる声は、普段の有李斗とは違うものだった。適度な声の高さで、温かい透き通った感じの声だった。その後しばらくは、有李斗の本を読む声が聞こえていたが、そのうちに子供たちの部屋も静かになり、有李斗の声も聞こえなくなった。優が様子を見に行くと、朝見た光景と同じように、子供たちに挟まれて有李斗も眠っていた。  【お疲れさま。今日は畑にも行ったし、子供たちの事もやってくれて、お仕事もして疲れちゃったよね】  夜の約束もあったが、このまま寝かせてあげたい方の気持ちが強いので、そっと布団を掛けてそのままにした。  「翔、あのね。今日は有李斗をあのまま寝かせてあげようと思うの。だから、夜のお願い事、明日にしてもらってもいい?」  「うん」  「ごめんね。あっ、そうだ。多田さんが作ったゼリーがね、まだ残ってるの。食べる?それともアイスにする?」  昼間、有李斗が買って来てくれたアイスを食べるタイミングがなくて、翔にも出していなかった事を思い出した。  「ゼリーがいい」  「はい。今、持ってくるね。せっかくの多田さんの手作りだから、僕もゼリーにしようかな」  冷蔵庫からゼリーを出し、2人で食べる。  「おいしいね。みんなに出しそびれちゃった。明日の朝ごはんのデザートに出そうかな」  優はゼリーを食べながら、独り言のように言っていた。  ゼリーを食べ終え、優は翔に言う。  「僕は、寝室で調べものをするね。僕を気にしないで眠くなったら寝てね」  「うん」    翔の返事を聞いてから寝室へ行き、PCを開く。みんなに合うような食事のレシピを調べ始めた。  【う~ん、なかなか中間ってないなあ。どっちかになっちゃう。あっ、そうだ。明日のお昼は大も来るんだっけ】  色んなキーワードを入れて調べてみるが、重いか軽いかしかなくて、なかなか気になるものがなかった。  【本屋さんでも行って見て来ようかな】  そう思いながら、料理に関するものは調べるのを止めた。その後に、ゼリーのお礼を多田にしていない事を思い出し、メールをした。  ――多田とのメールも終わり、 寝ようかとも思ったが、昨日からたくさん寝ていたのであまり眠くない。有李斗との仕事で、まだ途中のものがあったので、それをやる事にした。  誰もいないせいか、集中して作業をしていた。明日、有李斗に見てもらう文章も作り、自分だけでできるものも終わってしまった。  時計を見ると、深夜1時。翔も寝たようで、リビングには誰もいなかった。水を飲んでから、みんながいる部屋を覗いてみる。気持ち良さそうに寝ていた。子供たちが布団を剥いでいたので掛け直しに行く。傍まで来ると、月斗が自分の掛け布団の上に寝てしまい、有李斗の所へ潜って寝ていた。  【月斗は(笑)】  クスッと笑ってから、月斗の下にある掛け布団を掛け直し、有李斗が寝やすいように整えた。その時にふと思った。  【う~ん。もしかして、今日も僕は1人で寝るの?】  2日も有李斗と離れて寝るのは、優にとっては寂しかった。  李花は寝相がいいので、朝のように翔の横へ寝かす事にした、もしベッドから落ちてきても、自分が下にいるので大丈夫だろうと思った。  一度寝室へ戻り、寝る支度をする。各部屋を一回りして確認をし、そのままみんなのいる部屋へと行った。  李花を翔の横へ寝かせ、李花がいた所に自分が寝る。寝室から持ってきた掛け布団を有李斗と一緒に使うようにした。そして、いつものように、有李斗にくっ付いて目を閉じた。  【これで、グッスリ寝られそう】  そう思いながら眠りについた。
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