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 抱かれた後の気だるいまどろみのまま、哲郎の腕の中にいる。汗とタバコと体液の混じった獣じみた匂いに包まれていても、体も心も、何かが抜け落ちたように真っ白だった。  「退屈ではないのか」と、ふいに問われ、「いえ別に」と答えたものの、哲郎の真意は計り知れない。気遣われているとしても、愛されてここにいるとは、今でも信じ切れないでいる。  おもちゃを放り出すように、いつ捨てられるかわからない。人を愛する苦悩を思い出した佳澄には、それらが歯止めにならないと知っているから。  受け入れられたのなら、とことんこの男に付き合うしかなかったし、哲郎も、その破滅へ進む感情を思い知っているのだ。ままごとのように時が進むとも思っていない。ただ、この時が、少しでも長く続けばよかった。  哲郎の胸にすり寄り、祈るようにその胸に唇を寄せた。  湿った肌はまだ若々しい張りがある。死神のように背が高く、酔わせるような甘い声で、ジャズを奏で、簡単に人を傷つける。  なぜこんなにもこの男に惹かれるのか。その疑問は時に、哲郎の口から発せられた。  ヤクザの愛人になりたいなどと、「バカな奴だ」と。  あなたのピアノに魅せられた。誰かを想っているその横顔に、心を奪われた。言えば笑って「そうか」と言うだけ。  だったらあなたはどうなのかと。なぜ自分を傍に置こうと思ったのか。傍にいろと言ってくれるのか。それは愛なのか。それとも都合のいい性欲処理なのか。それとも、あなたが狂うほど愛した澪に対する復讐なのか。  哲郎は、自分の中にもう澪はいないと言う。  そんなのは嘘だ。澪に似ていたから気にとめ、澪に似ていたから、あなたの中へ潜り込めた。だけど澪に感謝などしない。会った事もないその男は、きっといつまでも嫉妬の対象になるだろう。自分を見るたびに澪を思い出すあなたを責めるだろう。  これは枷だ。生まれるべきではなかった自分が、人を愛し、その想いを遂げようとした。普通ではない形で。狂ったような快楽が欲しくて。あなたは澪を想いながら抱く。この体の中で熱くなる。体は繋がっても、永遠に心は結ばれない。それでいい。  出会うはずのない自分達が出会い、夢中になり、快楽を貪るためだけの存在になった罪なのだから。  抱かれる度に欲しくなる。その長い指で、ピアノを奏でるように、つま弾いて、声を上げさせて、欲望をかき混ぜて、溺れさせて。過去も未来もわからなくなるくらいに。  腕を背中に回して哲郎にしがみ付いた。
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