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本屋から駅に向かう道すがら、お互いの余計の言動のせいで話を切り出しにくい空気感になった。
もしかしたら、お互いに自分が相手のことが好きだという気持ちが伝わってしまったかもしれないという気まずさと、勢いでやってしまった言動に自分で恥ずかしさを感じているのかもしれない。
今は無言で歩きながら、ドキドキする胸の高鳴りと顔の熱さを感じていた。
耳が熱く、ちょっとの間、岩月君の顔を横目で覗き見ることさえ憚られた。
そして、それと同時に私は選択を迫られていた。
この空気の重さと、少し前の歩道の端に見える風で激しく揺れる旗は、見えた未来と同じ状況なのだ。
怪我をするけどその後岩月君が家に来てくれる未来か、怪我を避けるかわりにその後どうなるか分からない未来。
痛いのは嫌だけれど、その先にそれ以上に嬉しい未来が待っているので、このまま見えた未来を受け入れようと決めた。
だから、風に吹かれて顔に当たる髪の毛を押さえながら目にゴミが入らないように俯き加減にそのまま真っすぐに歩くことにした。
このまま少し歩くといっそう強い風が吹いて旗の向こうから歩いてきたスーツ姿の男性とぶつかる。我慢できない痛みじゃなかった。
その時だった。突然隣を歩く岩月君に腕を掴まれ、進路を変えられる。
「えっ!? なに?」
こんな未来は見ていない。私は自分が見た未来を辿る選択をしたはずだ――。
混乱する頭で岩月君を見上げると、
「スマホ買い替えようかなって思ってたんだよ」
と、言い訳にも似た言葉を発している。たしかに岩月君は携帯ショップの前で客引きをしている女性に近づいてはいる。だけど、どこか違うところに見ているような気がした。
しかし、私からすれば、自分の意図しないところで変えるつもりのなかった未来が現実では変わっていくので、何が起こっているのかまるで分からなくて、パニックに陥りそうだった。
これが仮に未来が見えていないときに起こったのならここまで動揺はしていない。ただ岩月君がスマホを見たいのかなと思うだけだ。
岩月君に腕を引かれながら困惑していると、客引きをしていた女性に「あっ、もしかして興味がありますか?」と声を掛けられた。
その次の瞬間、突風に近い風が吹き抜けた。
そこからの一瞬の出来事が、私の角度からは一部始終がはっきりとスローモーションのように見えた。風に煽られて客引きの女性がバランスを崩して、持っていた看板が岩月君に向かって勢いよく倒れていく。
「あぶないっ!!」
私の声が届く前に岩月君に看板が命中して、岩月君は尻もちをついた。そして、看板が当たったであろう目の上から血がだらだらと流れ始めた。
とっさにハンカチを取り出し傷口を押さえながら、
「だ、大丈夫? 岩月君!」
と、声を掛けるが岩月君はいつもの調子で「大丈夫だよ」と答えていた。店内から出てきた、携帯ショップの責任者らしき男性店員に店内へと促され、応急処置はしたが、もしものことがあるので病院に店員の車で行くことになった。
私はと言うと岩月君の横に座り込んでそっと手を握るしかできなかった。自分でも分かるほどその手が震えていた。
今までは未来が見えるということを深く気にしていなかったが、今回のようなことがありえるというのが怖くて仕方がなかった。
私の知らないところで未来が変わり、岩月君が私の代わりに怪我を負ってしまった。
「ごめんね」
誰にも説明できない罪悪感を抱きながら、ただ謝ることしかできなかった――。
病院に向かう揺れる車中で私は岩月君に後部座席で膝枕をしていた。
そもそもよく知らない人の運転する助手席に座りたくなかったことと、岩月君を少しでも安心させたかったからだ。
岩月君は口では大丈夫と言っていても、少しフラフラとしていた。後部座席で横になった方がいいと思ったが、シートに直によりは枕があった方がいいように思えた。鞄だと硬くて落ち着かないだろうから、私の膝を貸してあげることにした。それは違う意味で落ち着かないかもしれない。
だけど、見知った顔が見えるだけで安心できるはずだ。それに怪我で気分が上下に振れやすい時はそういう人の体温を感じられると心が休まると経験で知っている。
それは幼いころに熱が出て不安な時にそっと触れられたお母さんの手だったり、今回の自分が怪我をした未来で見た体を支えてくれた岩月君の手の温もりだったり――。
外の流れる景色を見ながら落ち着かない気持ちで病院に早く着けばいいのにと思い、ふいに心配になり視線を下にやると岩月君と目が合った。
「大丈夫? 岩月君?」
「なんとかね」
そう答える声には張りが戻ってきているようで少しだけ安心する。
病院に着くと、岩月君の足取りはしっかりとしていて、携帯ショップの店員の男性と共に受付を済ませると、診察に検査に治療にと慌ただしくしていた。
その間、待ち合いスペースで時間を持て余した私は冷静さを取り戻し、さっきの岩月君が怪我をする出来事について考えを巡らせていた。
未来を知っている私の中では岩月君が怪我をするのはありえないことだった。私が変える気がない未来が変わったということは、私以外の誰かが未来を変えたのかもしれない。
じゃあ、その誰かとはだれか。見えた未来とは違う行動をした人間であることは明白で、それは一人しかいない。
岩月君だ――。
私が前から来た通行人とぶつかるのを知っていて阻止したとしか思えない突然の進路変更。その理由も曖昧なものだった。
結果、怪我をするという事象はそのままで怪我をする人が変わった。
そう考えると、色々と辻褄が合う気がした。
普通は見えた未来と同じ選択をすれば、自分以外の人間は全く同じ行動をし、一言一句同じ言葉を口にする。しかし、その法則から岩月君だけが外れているのだ。色々と思い返してみれば岩月君だけは同じ趣旨の発言や行動をしていても、僅かに違うのだ。それはきっと私も同じで。
「じゃあ、岩月君は私にとってのヒーローだ」
そうぼそりと呟き、思わず笑みがこぼれてしまう。きっと岩月君以外には誰に話しても信じてもらえない。だけど、私だけは岩月君が身を挺して私を助けてくれたのだということを知っている。
「ほっんと優しいなあ。惚れ直しちゃうじゃん」
誰にも聞こえないように小声で口にする。私の岩月君への気持ちはいっそう強くなったように思えた。
きっと未来が見えていてもいなくても、仮に違う選択をして違う未来に辿り着いたとしても、何度でも私は岩月君に同じように恋をするのだろう。
それから、帰りのためにお母さんに迎えを頼んだ。病院にいると言ったら、事情を聞かれたので、「友達が私を守って怪我しちゃったんだ」と素直に事情を話す。お母さんは二つ返事で了承してくれたが、
『それで順子。その守ってくれたっていう相手は男の子なのかしら?』
と、見透かしてるような質問をされる。それに答えあぐねていると、電話の向こうから、声を殺して笑っている気配がした。
『もしかして、最近よく話題に出る岩月君かしら?』
「そうだけど、そんなに話題に出してない!」
『そんなことないわよ。最近よく楽しそうに読んでる本も岩月君から借りたものだって言ってたし、試験も頭のいい岩月君のおかげでいい点取れたって言ってたわよね? 他にも――』
なおも続く岩月君にまつわる私が話したエピソードを聞かされ、思わず、うぅっ、と声が漏れる。言われてみれば岩月君がらみの話は口が軽くなっていたかもしれない。聞かれて困ることでもないが、岩月君がらみの話はオープンにし過ぎていたほどだった。
『自分の子ながら、かわいすぎて困るわあ』
「お母さん、やめてよ」
『はいはい。ごめんなさい。それじゃあ、今から戸締りして迎えに行くから』
「うん、お願い」
通話を終えるとドッと疲れたような気になった。きっとお母さんのことだから岩月君にも露骨に絡むのだろう。それは岩月君には申し訳ないという気持ちもありながら、岩月君がどんなリアクションをするのか気になる自分もいた。巻き込まれさえしなければ見てみたい。
そして、診察室の前に戻り、しばらくすると、「ありがとうございました」と言いながら岩月君が出てきた。
急いで駆け寄って、
「大丈夫?」
と、声を掛ける。右目の上にしっかりとガーゼが止められていて痛々しいが、顔色はいいように思えた。岩月君はいつものように柔らかい表情を浮かべながら、
「うん。血がけっこう出た割には傷もそこまで深くないらしくてさ」
と、口にしていて何ともなくてよかったと胸を撫でおろす。そこに携帯ショップの店員の男性が近づいてきて、再度謝罪の言葉と金銭面やその他の話をしていた。
それから、岩月君を送ると言い出したが、私がそれを断った。
岩月君に迎えを呼んでいることを伝え、病院のエントランス前で一緒に待つことにした。
隣に立つ岩月君の顔を見上げると、どうしてもガーゼが目に入る。その怪我も元をたどれば私が原因だけれど、謝るのも何か違う。なんて話を切り出せばいいか悩んでいると、
「そういえば、今さらなんだけど中迫さんは怪我はなかった?」
と、私の心配をしてくる。その優しさが岩月君らしくて、おかしくて思わず笑ってしまう。岩月君は笑われてことに不満げな表情と言葉を並べていたが、
「私はこの通り無傷で元気だよ」
と、目の前でくるりと回って両手を広げて見せる。
「それはよかった」
「うん。だって、岩月君が守ってくれたでしょ?」
岩月君は不思議そうな少しだけ困っているような表情を浮かべている。その表情を見て、私は確信する。
岩月君には私と同じように未来が見えている――。
だから、きっと岩月君は何のことか理解できているが、私が未来を見ていたからこそのお礼だとは気付いていないだろう。
「僕がただ不注意だっただけだよ」
岩月君はそう誤魔化す言葉を並べる。岩月君が話す気がないのなら私も未来が見えていることは話さないでおこう。今までも未来が見えて選択してきた結果が今なら、岩月君は私といる現在を選択してきたということだ。
私と同じように――。
「そう? でも、ありがとう。私は岩月君のおかげで無事だったよ」
今にも抱きつきたくなる衝動をこらえながら、私も何も知らないふりをして再度お礼を言う。
岩月君を見つめていると、表情が緩んでしまう。心が岩月君を求めてしまう。
今すぐにでも気持ちを伝えたいほどに私の気持ちは膨れ上がっていた――。
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