シノザキハルカの葬列

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 シノザキハルカを知らない人はどこにもいない。彼女は光り輝いている。  類まれなるお金持ち。文字通りの華麗なる一族。元銀幕のスターだった母譲りの美貌。潤沢な資金と行動力で稼業の製陶事業を世界中に展開する大企業に成長させた父譲りの商才。  SNSのフォロワー数は3億人を突破。この国の人口よりも多いのだ。日本語のみならず、英語中国語フランス語を使いこなす彼女のフォロワーたちに国境はない。  旧華族の血を引く彼女が私達の眼前にあらわれたのは、彼女が産まれて間もない1999年の7の月。寿引退後もますます美しい母の腕の中で、豪華なレースの縁取りがついた純白の産着に包まれてぐっすり眠っていたという。 「まるで天使だったのよ」 と、リアルタイムでテレビ越しの出産会見をみていた私の母は思い出す。 「入院中ずっと、ハルカちゃんに夢中だったわ。あなたにおっぱいをあげていても、おむつを替えていても、あなたをあやしている間もずっと。天使が産まれた少し後に出産したことがすごく誇らしかったわ」  シノザキハルカは、3歳でモデルデビューした。育児系だけじゃない、色々な雑誌の表紙を飾った。国内外のランウェイを歩いた。彼女の出番には、特別な演出がなされた。  東京とハワイとパリと香港で育った彼女は、飛び級をして14歳でカナダの寄宿学校に入学し、15歳でティーン向けねアパレルブランドを立ち上げた。このブランドは、シノザキハルカの成長とともにターゲットの年齢層が変わる、成長するブランドだった。  大学生になると、香港に飲食業界向けのエージェントを立ち上げて、日系レストランの海外展開を支えた。  学業と平行して、世界中を仕事で旅行で勉学で飛び回り、高級ホテルやプライベートリゾートやレストランや自社ビルの高層階オフィスなど、各地のゴージャスな写真をたくさんSNSにアップした。  素晴らしい風景を撮りたい、シノザキハルカと同じ場所に立ちたい、そのためならどれほどお金と時間を犠牲にしても構わない、なのに、 「これはどこから撮ったんですか?」 そんな質問に、 「お友達の別荘からです!」 シノザキハルカは、つれなく答えるのだ。  シノザキハルカが泊まったホテル、食事したレストラン、立ち寄った店には例外なく客が押し寄せ、予約待ちの行列ができた。  店の品物はすべて売り切れ、店主が喜びの涙を流す様子がニュースに取り上げられた。  シノザキハルカが来た、と詐称する店もあらわれた。シノザキハルカのサイン色紙を量産して、ネット販売する輩もあらわれた。  テレビのコメンテーター達は、軒並み 「シノザキハルカの友人」 を名乗り、シノザキハルカとのツーショットを意気揚々とSNSにあげた。  成人を迎えたシノザキハルカは、彼女と同じ青年実業家との婚約を発表した。  巨大なダイヤモンドが眩しい婚約指輪をはめた左手を恥ずかしそうに示すシノザキハルカの頬は上気し、例えようのないみずみずしさだった。  シノザキハルカは、SNSにプロポーズの瞬間をアップした。    ドレスアップしたシノザキハルカが、絶え間なく装飾を施された螺旋階段をゆっくりと登ってくる。  真紅のベルベットで目隠しをされて、左手を華奢な手すりに預け、虚空に差し伸べた白い右手を、ロレックスをはめた、力強く分厚い手が包み込んでいる。  目を伏せたふたりの侍女が、シノザキハルカのドレスの裾をうやうやしく支えている。  ドアが開く。  光がそそぐ。  アールデコ調の広いバルコニーに、真紅のバラが敷き詰められている。  バラの海を割る小道にいざなわれながら、シノザキハルカは目隠しをとる。  そして、タキシードでばっちりキメた恋人を見る。  音楽が響いている。  歓声があがる。  花火が咲く。  シノザキハルカが中庭を見下ろすと、ドレスアップしたダンサー達が乱舞している。ダンサー達は一斉に、地面に膝をつき、笑顔でバルコニーを見上げると、真っ白な布を芝生に広げた。 『Will you marry me?』  目を大きく開き、口元をおさえるシノザキハルカ。膝まずき、シノザキハルカを神のように見上げる恋人。  捧げるはもちろん、永遠の輝きが宿る金縁のジュエリーボックス。  シノザキハルカは、シノザキハルカ以外全員の、夢を生きている。  それも、ごく自然に。  だれもかれもが、彼女に恋をしていた。  だれもかれもが、彼女を崇拝していた。  シノザキハルカは、だれとも違っていた。  シノザキハルカの前には、彼女より価値のある人間などだれひとりとしていなかった。  彼女が生きているからこそこの世界は素晴らしかった。  彼女が生きているからこそこの時代は安泰だったのだ。  ある夜、目がくらむほどの強い光の柱が空から降ってきて、シノザキハルカが住む邸宅を塵も残さず焼き尽くすまでは。  私達はわからなかった。  ニュースキャスター達が泣き濡れて、シノザキハルカの訃報を伝えているのに、それがなにを意味するのか、わからなかった。  ふざけたことをいうなと激怒する人が続出し、各テレビ局のクレーム窓口がパンクした。  ほぼ毎日更新されていたシノザキハルカのSNSは、沈黙を破らなかった。それでも数日間は、皆、期待していた。  シノザキハルカは死んでなんかいない。  シノザキハルカは、ちょっと私達をからかっているだけだ。  きっと、シノザキハルカのSNSは何事もなかったかのように更新されて、私達に日常が戻ってくる。  シノザキハルカの婚約者は、主要な街の街頭広告に黒いバラの告知をした。  シノザキハルカが亡くなったこと。  邸宅の焼け跡から遺品を集めている最中だということ。  生前のシノザキハルカは、この国に生まれてこの世界に生まれて、この時代を生きて本当に幸せだと繰り返し感謝していたということ。  ついては、不幸にも一瞬ののちに命を燃やしてしまったシノザキハルカを追悼し、天国への門出を祝うべく、街の中心で葬儀を行うということ。    私達は花屋へと走った。  そして我先に、マリーゴールドを買った。  聖母マリアの黄金の花。花言葉は『変わらぬ愛』。  シノザキハルカが、一番好きだった花。  マリーゴールドがなくなれば、別の花を買った。  街中の、国中の、世界中の花屋から花が消えた。  私達は手に手に花束を抱えて、我先にシノザキハルカの祭壇へ向かった。  むろん、こんなに多くの人達が一斉に入場できる門はない。  長い長い行列ができた。  宇宙からも見えるくらいの長い長い行列。万里の長城をゆうに越えた。  行列に並ぶ人達に、食べ物を売る屋台ができた。生活雑貨を売る屋台ができた。シノザキハルカが好きだった、服や宝飾品や食品やアートグッズを売る屋台もあった。  シノザキハルカが愛したホテルやレストランは、臨時の仮店舗を即席で建て、お金に余裕のある人達が静かに、穏やかに快適に、シノザキハルカを偲ぶ空間を作り上げた。  悲しみを抱えた私達を慰さめに、有名無名問わず様々な音楽家がやってきた。目当てのライブを見るために、場所取りを望む人が増えて、『並び屋』がうろつくようになった。  なかにはがらが悪い人もいたが、同じシノザキハルカを悼む者同士だ。たいていの『並び屋』は、マナーが良かった。  行列のそこここにはテントや、コンパートメントが立ち並び、私達はお金を払ってそこで休むことができた。  高級ホテルには叶わないけれど、どこも、こだわりの内装とベッドを採用していて、私達はぐっすりと眠ることができた。  食べるものも、そうではないものも、休むところも、眠るところも、シノザキハルカの思い出にあふれていた。  シノザキハルカが愛した天蓋付きのベッドには、繊細な刺繍が施された布のランタンが無数の星のように吊り下げられていたはずで、藁を敷き詰めたマットレスもどきに生成りのシーツをかけ、生成りのシーツを天井に取り付けた真鍮のフックで吊るしてあるなかに、ボロ布に包まれた豆電球がときどきショートしながら浮遊しているのではないし、シノザキハルカが愛したロンドンの会員制寿司店の白子と蛸の自家製柚子味噌和えも、着色したタピオカに吸盤の溶けた蛸を薄切りにしてかんぴょうで巻いたものとはまるで違っていた。  シノザキハルカが愛用していた、GUCCIのシルクパジャマも、明らかに麻の肌触りの無地に『ぐっち』とひらがながペン書きされているのではないのだ。  それでも、私達は幸せだった。  毎回のランチに10万円を支払えるわけでもない私達は、各店舗の創意工夫と挑戦とシノザキハルカへの尊敬の念を讃えた。  実際、それらはチープだったが、暖かかった。  私達はシノザキハルカの消滅を嘆き、行列の進度を嘆き、花になけなしの水を分け与えて、シノザキハルカの祭壇まで花を枯らさないよう心がけた。  私達は、普段の吝嗇を封印し、おおいに金を使った。買って買って買って買った。  シノザキハルカはもういない。  私達が生きる意味ももうない。  朝は眩しい。そして、むごい。  私達は朝とともに目覚め、シノザキハルカが闊歩する夢から引き剥がされる。  私達はただ、涙を流すしか術を持たない。  光の柱がどこから来たのか。  どうしてシノザキハルカの邸宅を焼き尽くしたのか。  万人の怒りの矛先は、政府めがけて放たれた。  シノザキハルカ殺人事件緊急解明室を新設し、不眠不休の対応をとると、国のリーダーは約束した。  各テレビ局は、特命調査員が缶詰めになっている建物の前に陣取り、一挙手一投足をリアルタイムで私達に届けた。  行列の随所に巨大スクリーンがお目見えし、私達は目を皿にして真相究明に没頭することができた。  いつものように、映し出された建物の外観を見ながらあれやこれやとコメンテーターが騒いでいたとき、急に画面が国会に切り替わって、国のリーダーが映し出された。 「シノザキハルカ氏の尊い命をむごたらしく 奪った犯人がわかった」 と、リーダーはいった。  それは、何万光年も離れた場所にある惑星の住人達なのだという。  その惑星は太陽系の遥か彼方に位置し、光がなく、永遠の夜に閉ざされた場所なのだという。  その惑星に光はなかった。   だからなんの問題もなかった。  問題は、その惑星の科学者が、タイムリープ機能を搭載した宇宙船を発明し、銀河系一周に成功したことなのだ。  はじめて太陽を見た科学者は、光のエネルギーに魅了された。   そして、惑星に帰任後、光をもたらすべく人工太陽の精製に着手した。  長年の試行錯誤の末、科学者は、小さめではあるけれど、太陽を作り出すことができた。  そしてその太陽を、特製の宇宙船に取り付けて空に浮かべてみた。  宇宙船は高く高く舞い上がり、暗闇しかなかった惑星に光が降り注いだ。  地は、歓声で満ち溢れた。  ある程度の高さまで飛ばしたら、宇宙船をホバリングさせて、永久の光を享受しようとしたらしい。  しかし、うまく行かなかった。  宇宙船が暴走したのだ。  制御不能に陥った宇宙船は、高く高くさらに高く、惑星の隣に位置する星を、木っ端微塵に砕きそうな位置まで上昇した。  このままでは、砕かれた星のくずが光を遮って、また、惑星が闇に包まれてしまう。 「と、いうわけで」 と、リーダーはいった。 「あわててタイムリープをさせたら、誤って地球に衝突してしまった。しかも、シノザキハルカ氏の邸宅に」  だから、シノザキハルカが亡くなった理由はなんなんだ。  私達の怒りは頂点に達した。  そんな理由で、シノザキハルカは死ななければならなかったのか。  納得できなかった。  理不尽すぎた。  長く並ばせられている疲れも頂点に達していた。  花は枯れてしまったのだ。  私達は罵詈雑言をわめきちらし、スクリーンにごみを投げつけた。  音楽家達は凶暴な音を奏で始めた。  芸術家達は服を引き裂いて、無防備な抗議を始めた。  私達も、負けていられない。  私達は泣きわめいた。叫んだ。お互いに首を締めあった。舌を引き抜いた人もいた。喉から血が出るかと思った。  リーダーは、静かな顔で私達の地団駄を見下ろしていた。  そして、おもむろに、いった。  「先程、あの惑星の科学者博士と電話で話したのです。博士は、このたびの事故に大変心を痛めておられます。博士は、タイムリープの技術を応用して、この星の時間をもう一度、シノザキハルカ氏が亡くなる前夜に巻き戻したいと申し出てくださいました。そして、他の惑星に迷惑をかけてしまうであろう太陽を打ち上げる実験は永久に、永久に禁止すると。つまり、シノザキハルカ氏は死なないのです。みなさんも、巻き戻されたぶん、若返ります。みなさんの記憶には、シノザキハルカ氏を失った悲しみが宿り続けるでしょう。心配は御無用です。シノザキハルカ氏の姿をひと目見れば、たちどころに霧消するでしょうし、それでも治らなければ、無償で心のケアを提供しましょう」  私達は一瞬静まった。  シノザキハルカが生き返る。  シノザキハルカの死が、なかったことになる。  かちどきが、どこからともなく、あがった。  冷たい涙は、喜びの雨に変わった。  だれからか、万歳の声があがった。  私達は歓喜に満ちて、枯れた花を空に撒いた。  ただ、私達は知っている。  シノザキハルカは死んだのだ。  そして私達は、彼女の葬列に並んだのだ。  いまや、私達は自分達の人生を生きていた。  もう、シノザキハルカのSNSは必要なかった。  私達は、私達の足で立ち上がっていた。  たまからいまさら、シノザキハルカの死が取り消されたとしても、彼女なしで生きていけると知ってしまっているのだ。  シノザキハルカのための場所は、私達のなかから失われている。  そのことが、私達をおおいに動揺させ、そして安堵させた。 〈了〉
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