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即位
牡丹や桜、梅などが咲き乱れ自然豊かな国・天香国。王都・桜華。
王宮の王妃の宮にて、一人の女性が鶯の囀りを聴きながら、女官の手を借り、襦裙を身に纏っている。
女性の上の衣は若苗色であり、合わせる裙は鮮やかな牡丹色であり、肩に流す披帛は青空を連想させる金春色である。
衣の袖と裙の裾、更には披帛にも王族の証である禁色・桜色の糸で桜が刺繍されている。
更には、胸の辺りを縛る帯の中央と裙のいたる所に、国花である牡丹の花が金色の糸で刺繍され、背には鳳凰が同じく金色の糸で刺繍されている。
「王妃様。髪飾りはこちらでいかがでしょう」
女官は梅の花が施された簪を手に女性に尋ねる。簪に目を留めた女性は目を細め、微かに頷いた。
女官は女性の背中まである雀茶色の髪を、丁寧に櫛で梳くと、髪を束ね簪をさす。
身支度を終え、頭からつま先まで視線を這わせた女官は、首を傾げる。
「些か殺風景ではございませんか。
歩揺を足すか、飾り物を付けましょうか」
女官の申し出に、首を横に振る。
今日は即位の儀が執り行われることになっている。
自分が王妃に即位すると決まってから、儀式の日に飾り物は今身に着けている梅の花を施した簪のみにしようと決めていた。
この簪を贈られたときは、まさか贈り主が王族など思ってもいなかった。
ここまで来るのは決して平坦な道ではなく、幾度となく周囲に反対され、ときには命を狙われたこともある。
だが、どれだけ反対されようと命を狙われようと、自分の想い人と同じ人生を歩きたいという、感情に嘘を吐くことは不可能だ。
襦裙に着替えている間、女性の気持ちは高揚し、それでいてどこか落ち着きがなくそわそわしている。
王妃が女官の手を借り、襦裙に着替えているのと同時刻。
国王の宮でも、男性が内官と女官の手を借り、唐紅色の深衣に袖を通していた。
「いよいよですね。王様。
今日この日を、無事お迎えできたことわたくし、嬉しゅうございます」
内官が笑みを湛えながら言う。
二人が結ばれるまでに、どのようなことがあったのか。
二人の今までの過程を、具に知っているが故に、つい考え深くなる。
「一時はどうなるかと思ったが……」
男性は、これまでの過程を思い起こし、遠い眼をして呟く。
「あの方が、誠に国の母になるなど誰が、予想したでしょう。
わたくしなど、未だに信じられず……」
内官は苦笑いを浮かべる。
「王妃ならば、民の暮らしや苦労に寄り添う、国の母になるであろう。
余はそう、期待している」
男性の言葉に、内官が大きく頷いた。
内官は男性の頭に、金の冕冠を乗せる。
「王妃様。王様の御成りにございます」
御所の外で控えていた女官が、国王の接見を告げる。
いよいよー。
女性は大きく息を吐く。胸が速く脈を打ち、どこか忙しない。
不安がないと言えば嘘になる。
王室と何の関係も持たない自分が、果たして王妃など務まるだろうか。王宮で働く、女官と内廷の主など。
不安が増幅し、知らず知らず裙を強く握り締める。
「王妃様はもう以前のような、卑しい身分の女人ではございません。
この国の母にございます。どうか、堂々となさってくださいませ」
女性の心情を察したのか、女官が柔らかく諭す。
障子が開き、端正な顔立ちの男性が部屋に足を踏み入れた。
外は満開の桜が見頃を迎えており、風に乗って花びらが宮まで運ばれてくる。
男性は国王のみが身に纏うことを許された、唐紅色の深衣に身を包んでいる。
深衣には、女性と同じく桜色の糸で桜が刺繍してあり、胸の辺りに大きな牡丹の花が金の糸で刺繍されている。
女性と女官は男性に、恭しく揖礼を捧げる。
男性は女性の装いに目を留め、軽く息を吐き目を細めた。
「良く似合う。
尚服の女官らに、仕立てさせたが見事な出来だ」
賞賛に女性は、恥ずかし気に顔を伏せる。
女性の手を取り、顔を覗き込むと穏やかに問う。
「王妃。王宮での暮らしは慣れたか。
今までと勝手が違い、何かと戸惑うであろう」
「側仕えの女官らがよくしてくれます故、不便は感じておりません」
顔を上げ明瞭に言い、振り返ると背後に控えている女官と視線を合わせ、花が咲いたような笑みを見せた。
「そうか。
そなたを側仕えの女官に、付けて正解だったな」
男性が口にしたと同時に、彼に仕えている鴨頭草色の深衣に身を包んだ、内官が身を低くし、口を開いた。
「王様。王妃様。そろそろお時間にございます」
内官の深衣が日の光にあたる度、天色の糸で刺繍された桜が浮き上がる。
二人は並び手を繋ぎながら、宮から儀式が行われる外廷までゆっくり歩く。
宮廷内は、桜をはじめ梅や牡丹、菜の花などさまざまな植物が植えられ、さながら庭園のようである。
女性が動く度に、身を包んでいる襦裙がきゅっきゅっと、絹鳴りを響かせる。
背後には、女官や内官、更には護衛の武官からが列を成す。
男性は女性が身に付けている簪に目を留めた。
「覚えているか。
はじめて会ったときのことを」
男性はふとそう口にする。
「勿論でございます」そう答えると、女性は出会ったときに思いを馳せていく。
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