220人が本棚に入れています
本棚に追加
/215ページ
満員電車の地下鉄は、靖成が苦手なものの一つだ。
憂鬱な顔で、ひょろっとした、やや猫背のスーツ姿でホームに佇む中年サラリーマンが、実は陰陽師でしたなんて誰も思うまい。いや、知ったところで何もないんだけど。
「……うおっ」
轟音とともに、反対車線に車両が入線してきた。不意をつかれて靖成は間抜けに呟く。小声のはずだが、午前中の半端な時間で人がまばらなホームでは、思った以上に響いたらしい。隣のドア列に並んでいた男性が、ちらっと靖成を見た。
あ、やべ、と靖成は気まずいながらも、知らぬふりをする。しかし、男性は靖成に近づいてきた。
「篠目じゃん」
快活な、いかにも爽やか運動部にいました的な笑みを浮かべて近づいてきたのは、短髪がよく似合うサラリーマン。身長は靖成より5センチほど低いものの、筋肉質で姿勢もよく、飾らない笑顔がよく似合う大型犬のような印象を与える。
「須坂」
そう、野球部の須坂くんであった。靖成は学生時代もずっと都内で過ごしているため、知り合いに会うのは珍しくない。
しかし、小学校からの同級生で、いまだに話す相手は稀だ。須坂は見た目通りの人懐こいやつで、人とあまり関わりたくない靖成を、いい迷惑……いや、お節介にも休み時間のドッヂボールに連れだしたりしてくれた。実家も近く、職場も都内なので、たまたま会う確率は高いし、靖成も会えば思った以上に話をする。地元の知り合いとはそういうものだろう。
「なんだよ。仕事か?そういえば転職したんだっけ」
「……もう五年以上前だぞ。須坂はずっと同じところか」
彼は銀行員だ。
「ああ。場所だけよく変わるけどな」
配属の店舗が、という意味か。大きな口を開けて笑う須坂は、靖成とは違い、人好きのするタイプだ。きっと仕事も順調なんだろうなと考え、ふと、その左手薬指に目がいった。
「あ」
靖成の口から間抜けな声が出た。そうだ。須坂は既婚者である。結婚式には靖成も呼ばれている。奥さん元気?とか軽く言えないのが靖成であり、それに対して、照れた笑顔を見せる元野球少年、須坂の笑顔が靖成にはとてもまぶしい。
「子供も、五歳になったよ。やんちゃでさ、有美はもう大変そうで。すっかりお母さんだよ」
「あ、あ。浅井さん」
相づちか、質問か、名字を言おうとしたのかわからないくらいぎこちない返事をしている靖成、独身。
最初のコメントを投稿しよう!