第20話 黄 雷龍①

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 《東京中華街》の中央広場は異様な熱気に包まれていた。  深雪と黄雷龍(ホワン・レイロン)は睨みあいながら、じりじりと円を描くように移動していた。雷龍も一定の距離を保ったまま、決してそれ以上は踏み込んでこない。  深雪のアニムスを把握(はあく)していない以上、軽々しく攻撃を仕掛けてこないのだろう。深雪の睨んだ通り、この青年はただの戦闘狂(せんとうきょう)ではない。  広場を囲む野次馬(やじうま)は膨れあがる一方だ。大きな歓声につられて、あまり騒ぎに関心のなかった者たちも集まってきている。中には見るからに観光客と思われる者たちの姿もあった。広場の中央で対峙(たいじ)する深雪と雷龍を見て、何某(なにがし)かのショーが始まるのだと勘違いしているのだろう。  そこで天秤(てんびん)にかけられているのが人の命だと知りもしないのだ。 「おい、早くしろ!」 「《中立地帯》の衰退民(すいたいみん)は戦うことも忘れちまったか!?」  なかなか戦おうとしない深雪に(しび)れを切らしてか、野次馬の一人が広場の中央に空の酒瓶を投げ込んできた。酒瓶は割れはしなかったものの、「キンッ」と硬質な音を立てる。  それが開戦の狼煙(のろし)となった。  最初に動いたのは雷龍(レイロン)だった。全身をバネのようにしならせて一瞬にして間合いを詰めると、巨大な青竜刀が流麗な弧を描く。  とっさの判断で飛び退いていなければ、間違いなく深雪の脳天を吹き飛ばしていただろう凄まじい一撃だ。  標的を仕留め損ねた青龍刀は、身代わりとばかりに石畳を盛大に叩き割った。割れた石畳の破片が轟音とともに四散する。 「く……‼」  雷龍の一撃をどうにか逃れた深雪だが、その直後、轟然とした剣圧に薙ぎ払われる。直撃こそまぬがれたものの、皮膚が引き裂かれるかのような衝撃が走った。十分に距離を取ったはずなのに―――深雪は内心で舌打ちをする。  おまけに青竜刀は相当の重さがあるはずなのだが、雷龍はその重量を苦にする様子もなく、ニヤリと笑って見せる余裕まである。 「フン、避けたか……面白え!」   雷龍は地にめり込んだ巨大な青竜刀を片手で持ち上げ、まるで玩具(おもちゃ)のように軽々と振り回すと、優美に湾曲した刀身が再び深雪に襲いかかる。 「……っ!!」  刀身の長さを考えて心持ち大きく後退したつもりだが、雷龍の跳躍力が深雪の予想をはるかに上回った。頭上から振り下ろされた青竜刀の切っ先が、深雪のチャイナ服を掠めただけに留まったのは、運が良かっただけに過ぎない。  寸前のところで狙いを外した青龍刀は、重力をまったく無視した動きで地面に触れる瞬間にクンと向きをかえると、そのまま横薙ぎに斬擊を繰り出す。  深雪は上体を反らせ、あるいは身を屈めて地に手を突き、青龍刀を避けていくが、雷龍も深雪が攻撃を回避することは想定済みなのだろう、次々と連撃を繰り出してくる。  雷龍が青龍刀を振るうたびに剣圧が轟と音を立てる。刃先が届かなくとも、それだけではじき飛ばされそうだ。深雪は間合いを取りつつ、雷龍の攻撃を紙一重でかわしていく。  広場は湧き上がるような熱気に包まれた。雷龍に加勢するかのような声援、逃げまわる深雪への罵声や野次。だが、広場を取り囲んでいる若者たちは、どれだけ熱狂しようとも決して深雪には手を出してこない。  彼らにとって雷龍は絶対的なリーダーであり、雷龍の意に背くことはしないのだろう。深雪は雷龍の獲物であり、子分は『狩り』の邪魔はしない。彼らはあくまで『狩り』を盛り上げ、観客として楽しむために集まっているのだ。 (何とかしてここから逃げないと……!)  暑くもないのに汗が吹き出し、体温を根こそぎ奪っていく。相手の挑発に乗って手を出したら最後、この状況から抜け出すのは不可能となってしまう。深雪としては決定的な事態に陥る前に、何とか戦闘を切り上げたいところだ。  深雪の思考を読み取ったのか、雷龍は唇の端を禍々しく吊り上げる。 「おいおい……このまま何もせずに帰れると思ってんじゃねーだろうな!? 甘えんだよ‼」  雷龍は鋭く叫んで青竜刀の柄を握り直すと、その刀身を地面に向かって垂直に突き立てた。  何をするつもりなのか―――思わず身動きを止めた深雪の目の前で、雷龍は青竜刀をそのまま斜め上へと振り抜く。青龍刀に粉砕された石畳が大小の石礫となって深雪へと襲いかかった。 「つ……‼」  反射的に腕を交差させたものの、粉砕された石礫(いしつぶて)は深雪の全身を弾丸の如くかすめていく。チャイナ服が切り裂かれ、頬を抉り、手足には裂傷が刻まれてゆく。  間髪置かず、雷龍は間合いを詰めると、左上段から青龍刀を一気に振り下ろす。深雪は上半身を思い切り捻って避けたものの、剣圧に半身を持って行かれそうな錯覚を覚えて背筋が冷やりとする。 (くそ……あの青竜刀、大きさも重量もあるはずなのに軽々と振り回すなんて……! これじゃ避けるので精一杯だ……‼)  刀身が長く重量もある青龍刀をやすやすと振り回されたのでは、たまったものではない。 「どうした、もうバテちまったか!?」  追い詰めている手応えを噛みしめているのだろう。雷龍は嬉々として笑うと、追撃するように上段払いで頭を狙ってくる。  その一撃を身を屈めて回避した深雪は、青竜刀が頭上を流れたところを反対方向に逃れるつもりだったが、そこには雷龍の右膝が待ち受けていた。 「なっ……!!」  足技を想定していなかった深雪は鳩尾(みぞおち)に強烈な蹴りを食らってしまう。  一瞬、呼吸が止まるほどの衝撃を受ける――――だが。 (浅い……!)  まだ動ける。そう判断した深雪はとっさに雷龍の脇腹に掌打(しょうだ)を放った。その反動を利用して雷龍と距離を取るためだ。  ところが雷龍(レイロン)はそんな小手先の技などビクともしない。掌打など無かったように上半身を大きく仰け反らせると、深雪の脳天めがけて頭突きを放った。 「うらぁっ……!!」 「ぐっ……!!」  正面から頭突きを食らった深雪が一瞬怯んだところで、タンっと軽やかに一回転すると、その横腹に回し蹴りを叩き込んだ。  派手な青竜刀に目が向きがちだが、雷龍(レイロン)は体術もかなりのものだ。常日頃から肉体を鍛えているのだろう。青龍刀を操る手にも寸分の狂いがなく、それを片手に肉弾戦を仕かける余力まである。強靭(きょうじん)なフィジカルの持ち主なのだろう。  深雪は成す術もなく数メートル吹っ飛んで、石畳の上を毬のように弾みながら転がった。  それを目にした野次馬たちは大きな歓声を上げ、どっと沸き返った。どの顔も興奮し、紅潮している。深雪がどれほど粘って抵抗したとしても、雷龍(レイロン)が獲物を仕留めるのは時間の問題だと考えているのだ。  確かに深雪は格闘術では決して雷龍に敵わない。両者の間には大人と子供ほどの厳然(れきぜん)たる差があるのだ。この数度の『手合わせ』で、はっきりと思い知らされた。  だからと言って、簡単に諦めるつもりも無かったが。  しかし、圧倒的に有利であるはずの雷龍はひどく不機嫌そうに顔をしかめるのだった。 「フン……正真正銘、ただのザコかよ。つまんねえ………」  青竜刀を担ぎ、深雪を見下ろす眼には、先ほどまでの身を焦がすような興奮はない。あるのは失望と軽蔑だけだ。深雪が逃げまわってろくに反撃しないので、ひどく興醒(きょうざ)めし、気分を害しているのだろう。 「お前……本当に《東雲》んとこの《死刑執行人(リーパー)》か? あのバケモノ揃いで、えげつない事も平気でやってのける《死神》と呼ばれる連中の一味なのか?」 「そうだけど……」  深雪はそう答えながら、どうにか体を起こす。全身があちこち悲鳴を上げるものの、戦えないほどではない。よろめきながら立ち上がる深雪に雷龍は苛立ちのこもった声を張りあ上げた。 「じゃあ、この俺を満足させてみろ! 戦い、そして勝利して己の価値を証明してみせろ‼ 隙あらば逃げ出そうとする小者なんざ、《死刑執行人(リーパー)》とは絶対に認め……」
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