【4】

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 (しるし)、と、二神の爺様は言った。  一般的によく使われる言葉だが、主に超常的な事件・事故を捜査する俺たち公安部、『広域超事象諜報課』所属の人間や、爺様たち拝み屋が口にするその言葉の意味は、たった一つしかない。  呪いを受けた、その兆候である。  かつて俺は、とある事件の捜査中、当時俺の上司だった一人の女性職員を失った。名前を、中之島亜弓(ナカノシマアユミ)さんと言った。そしてその時、アユミさんを死に追いやった呪いを俺自身も喰らう破目になったのだ。  相手は今世紀最凶と称された霊魂の集合体、九坊(くぼう)。書物に記す場合には「九人の坊さん」という意味の当て字を用いるが、本当は別の書き方をする。九坊はあまりにも強すぎる呪いを撒き散らすが故に、口にする事も字を書くことも禁じられて来た。事件現場でたまさか遭遇する事があったとしても、まともに向き合う事は避け、決して単独で調伏にあたってはならないという暗黙の仕来たりが、業種、職種の垣根を越えて広く流布されてきた。その為、状況によっては俺たちの間では「ク」という一文字だけでも意味が通用する程に、別格扱いされている。  俺はその九坊によって上司と自分の命を同時に奪われ、そして二神七権によって救われた。救われたのはしかし、俺一人だけだった。だがそれももう、二十近く前の話である。  『七権』という名が示す通り、かつて二神の爺様は、七つの眼をその肉体に宿し、強力な霊能者七人分の力を同時に行使するという、当代きっての化物として恐れられていた。当時、九坊に単身で相対する事が出来た唯一の人間であり、実際俺を救うと同時に九坊を退けたのもまた、二神の爺様だった。  そして爺様が現役を退き、「有事に際し万全を期して迎え打つため」との言葉を残し、丘の上の奇怪な要塞に引きこもるようになったのも、その事件が切っ掛けである。  確かに十年前、『黒井七永』の出現によって爺様は屋敷から外へ出た。だがそれは、自らの意志ではなかったのだ。その証拠に、あの時屋敷を訪れた『天正堂』の三神三歳を一度は退けているし、おそらく自分が治める土地を黒井七永に攻め込まれていなければ、最後まで爺様が出て来ることはなかったと思われる。  ところがだ。そんな二神七権が、齢九十を超えて、自らの意志でこんな街中まで降りて来たのだ。もちろん、ただの徘徊なんかじゃない。意表をついて、この俺に『九坊』の記憶を呼び覚まさせたのだから。 「一体、何がどうなってやがんだ」  ――― さんッ。……さん!……っば! 「んだようるせえなあ!」 「坂東さん!大変です、三神さんが!」  掛かってきた電話の相手は、新開水留(しんかいみとめ)という名の男だった。怖がりで、辛気臭い面構えの、しかし何故か女受けの良い、腹の立つ霊能力者だ。  仕事で超常現象を調べるうちに現場で顔を会わせるようになり、早くも十年が過ぎた。出会った頃は色々な部分で他力本願な甘ちゃんだったが、俺が斡旋する仕事をこなすうち、最近じゃ割とまともな顔つきをするようになってきた。  だが、いけすかねえ。電話越しにデカい声を張り上げるなんざ、まだまだ青い、甘い、あんぽんたんのあほんだ ――― 「なんだよ新開。奇天烈軍団のナンバーツーがどうかしたのか? まさかお前ぇ、三神のオッサンが呪われちまったーなんて言うんじゃないだろうなぁ?」
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