問掛噺1「砂時計」「チョーカー」「海」

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問掛噺1「砂時計」「チョーカー」「海」

◇◇◇  海とは相性が悪い。  昔からそうだった。  湿りと澱みに引き寄せられた幾多のこの世ならざるモノが混沌と渦巻く場所。  こんな場所にいるモノたちはまた一段と陰に湿った厭やらしい性質のモノが多いのだ。  それでもまだ爽やかな秋晴れと心地よい風が陰気な気配などとは無縁に感じられるのが救いか。参加必須の社員旅行でさえなければ決して足を向けようとは思わないけれど。  喧騒と酒気漂う海辺のバーベキュー場からふらりと抜け出し海岸を散策していると、不意に人が目も向けないような建物と生垣に挟まれた小道とも言えない隙間に目が向いた。  なんだって誰も見向きもしないような場所を見たかと言えば、そこに人影があったように思えたからだった。  キイ、    キイ、  それは始め首に巻くチョーカーかと思えた。白く細い紐のようなものがヒタリと首に貼りついている。     ぴちゃん。  ぴちゃん。  次に認識したのは空色のベストとスカート。どこかのOLの制服とチョーカーというミスマッチに頭の片隅に瘤のような違和感が生じる。  キイ、    キイ、  その次に見たのはストッキングに包まれた両足。風に揺れるつま先からは雫が滴り落ちている。    ぴちゃん。  ぴちゃん。  一気に膨れ上がる違和感の中で最後に見た……正確に言うと“見えないことに気が付いた”のは、首から上にあるべきもの。  キイ、    キイ、     ぴちゃん。  ぴちゃん。  血の気の感じられない青白い首から上は掻き消えたように虚空となり、首に巻き付いた白い紐が木の枝の下で華奢な身体をゆらゆらとぶら下げている。  頭が無くしてなお呪縛から抜け出すことを許されない身体は全身が濡れそぼり、力なく垂れ下がった四肢からぽたりぽたりと雫を落とす。  首吊り女性の霊――。  心霊とは不可解なものだ。その存在を目にした瞬間はそこに何かが“在る”としか思わない。意識を向けた瞬間からじわりと違和感が膨らみ、常識では在りえようもない異常な部分が見えてくる。  あるいは彼らはそうやって、人の無意識下から日常へと侵食してくるのかもしれない。  キイ、    キイ、     ぴちゃん。  ぴちゃん。  反射的に目を背けようとして思い留まった。  何故ならそこに首吊り霊が注意を向ける別の存在がいることに気が付いたからだ。  人は時として理屈の通用しない脅威に否応なく晒される。しかしそんな恐ろしく脅威的な存在と遭遇してしまうのは何も私だけではない。  首吊り霊の側には今にも泣き出しそうな表情の幼い少女。  サラサラの金髪を可愛らしい髪留めでツインテールに結い、旅行者だろうか、キャラ物の大きなリュックを背負っている。  不安と怯えに彩られ潤んだ青い瞳。  そして――、  その手は首吊り霊のスカートをしっかと握りしめていた。 ◇◇◇ 『mama……』 『ああ、困ったわ……』 『……mama……uee……』 『どうすればいいのかしら……日本語も通じないし、誰も通りかからないし……』 『mamaaaaueeeeeeee――!!』 『あああっ、泣かないでっ? 泣かないでっ?』  そう。この首吊り霊は今『言葉も通じない年端も行かない外国人の子どもの迷子』という脅威に脅かされていた。  大べそをかく少女をおろおろしつつも一生懸命なだめすかす首吊り女性の霊。見た目は恐ろしいはずがどこか気の抜ける光景である。  いや……子どもの生命力が邪気を払うってこういう事じゃないと思うんだけど……。  頭があるべき場所にはなにもなく、首に巻き付いた紐からは力なく四肢が垂れ下がり、地面から浮いて、おまけにちょっと透けている、そんな存在を前にママがいないと泣きじゃくるこの幼女は将来大物になるに違いない。  なにやらもうしばし観察していたい気もするもののそうもいかない。  私は首吊り霊をみない振りしつつ幼子に声をかけた。搔き集めた英語力で一緒にママを探しに行こうと説得してその場から連れ出す。  首吊り霊の存在は徹底的に無視だ。自分が見える人間だとは悟らせない。  離れる間際、背後から声が届く。 『良い人がいてよかったわね……この子のことよろしくお願いします』  めっちゃ良い人……!!  この女性の霊めっちゃ良い人だよ……!!  あんな人があの場所で呪縛に縛られ続けることにどうしても何故とか憐れむ気持ちを抱いてしまう。この世ならざるモノに過度に入れ込むことは本当は良くないことなんだけれど。  頑強な岩が河の流れに削られいつか細かな砂となるように。  いつか彼女の呪縛が時を経て消え去ってくれることをせめて祈ろう。 ◇◇◇  さあ、ママを探そっか。  気を取り直して幼子の手を引いて歩こうとすると、突然幼子が立ち止まった。 『ありがとう、お姉ちゃんやさしいね』  まってまって突然日本語喋れんの!?  しかもものすごく流暢!  さっきの首吊り霊とのやり取りなんだったの!? 『お礼にこれ、あげるね』  幼子が差し出したものを思わず受け取って顔を上げると、そこにはもう誰の姿もない。  手に残されたそれは砂時計だった。  一体何が起きたのかと理解するより先に砂時計がスルリと手から滑り落ちる。  ひとりでに……そう表現するよりない程あっという間のことだった。 『……恒河沙の時は流転しなお廻る……』  落下する砂時計がクルリと反転した瞬間、  世界が反転した。 つづく
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