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「破!」
法眼が験力を放ち、仏眼を吹き飛ばす。宙に舞った彼の身体は海の中に落ちた。
「この莫迦者がッ、余計な事をしおって!」
法眼が悠輝を怒鳴りつける。
「誰がいつどこで余計な事をしたッ?」
悠輝も負けずに言い返す。
「最後の裂気斬、あれで『鬼』の封印が解けた」
悠輝はハッとした。
「それじゃ仏眼は封印した『鬼』を懐に入れて、持ち歩いていたのか?」
「大事なモノは肌身離さず持っていたいものでしょ」
遙香は気付いていたのか、さも当然のように言う。
「ってことは……」
突然、クルーズ船が大きく揺れた。闇よりも黒く巨大な何かが、海から姿を現した。
海坊主? ちがう、これが『鬼』……
遙香の験力とは異質の強大な力を感じる。だが、それは初めて感じるモノではない、戌亥寺にずっと存在していたモノだ。『鬼』は人の姿に似ているが圧倒的に大きい、このクルーズ船のデッキを遥か上から見下ろしている。
『鬼』が頭上に上げた腕をデッキ目掛けて振り下ろす。
「うわッ!」
紫織の悲鳴が聞こえ、朱理も思わず眼を閉じる。
頭蓋骨に響く大きな衝撃音がした。
「あれ?」
眼を開くと船は多少揺れてはいるものの、デッキは壊れていないし全員無事だ。
「おねぇちゃん、見て!」
紫織が上空を指さすので視線を上げると、験力の壁に『鬼』の拳が阻まれていた。
「今の俺にはこれが限界だ。悠輝、奴を封印しろ」
「断る!」
法眼の命をキッパリと悠輝は拒否した。
「何を……」
「前から言っているだろ、封印してもいずれ蘇る、今みたいにな。その時、封じる力のある奴がいなければ被害は計り知れない。だから、ここでヤツを斃す」
「愚か者ッ、それが出来るなら歴代の鬼多見の誰かがやっておる! やれなかったのは……」
「験力が足りなかったからだろ? それなら心配ない。
姉貴はあいつを斃せるか?」
「あんたね、あたしが今、何人の精神を完全支配しているかわかってんの?」
遙香は面倒臭そうな顔をする。
「姉貴に斃せとは言わないよ。フリーな状態なら斃せるかを確かめたいんだ」
「あたしを誰だと思ってんの? 斃せるに決まってるじゃない!」
当然だと言わんばかりだ。
お母さんって、ホントに何なんだろう?
「あんたと紫織のママよ」
「はい、わかっています……」
紫織が「またやらかしたな」と言いたげに見上げる。
何百年、ひょっとしたら千年以上、何世代にもわたり守られてきた『鬼』の封印。悠輝のように斃した方が安全だと考えた者も居たはずだ。それにも関わらず、現在まで封印が続いていたということは、斃さなかったのではなく斃せなかったのだろう。
朱理は巨大な『鬼』を見上げた。法眼が創った験力の壁を打ち砕こうと何度も何度も拳を叩き付けている。その度に地響きのような音が響く。
「姉貴が斃せるってことは、あいつを斃すこと自体は可能だ」
「遙香に出来ても、御前に出来るわけではなかろう。それに、仏眼の肉体を得て、力を増している」
「足りない力は補えばいい。そもそも封印に白い犬と黒い犬が必要なのも、犬の存在に意味があるんじゃない、足りない験力を補うためだろ?
仮に意味があったとしても、ここには梵天丸と政宗がいるし、朱と紫の姪だっている」
悠輝が朱理と紫織に視線を向ける。
「わん!」
紫織が元気良く吠えた。多分、何かを勘違いしている。
「それに、幸運をもたらす座敷童子までいるんだ。
だから斃せる、そうだろ? 御堂」
「え? あ、はい……」
自分に振られることを予想していなかったのだろう、刹那が戸惑いながら返事をした。
「それじゃ、決まりだ。『鬼』退治を始めるぞ!」
「悠輝ッ、御前が莫迦をしてくたばるのは構わんが、周りを巻き込むな!」
厳しい顔をした法眼が一喝するが、悠輝は全く取り合わない。
「朱理と紫織も戦う覚悟はしてここに来た、それは御堂も同じだ。爺さんは大人しく『鬼』の攻撃を防いでいろ、朱理と紫織が怪我をしないようにな」
「悠輝ッ」
「準備はいいか?」
法眼の言葉を遮り、悠輝は朱理達に尋ねた。
「うん」
「いいわよ」
「わん!」
紫織に釣られて政宗と梵天丸も吠えた。座敷童子は、刹那が命じればいつでも速やかに動く。
「ちょっと待ちなさい。武器も無しに戦うつもり?」
遙香が手をかざすと、デッキの棒状の手すりが一メートルほどの長さに切断され、三本遙香に向かって飛んでくる。彼女が三本を束にして掴むと、ろくろに乗せた粘土のように軟らかく変形し一本の槍となった。遙香も『鬼』を斃す事に賛成らしい。
「はい、伝説の『鬼殺しの槍』」
槍を放り投げると、それは悠輝の手に収まった。二人とも軽々と扱っているが、鉄パイプ三本分の重さがある。念動力で受け渡しをしているのだ。
「今、創ったばかりで、なんで『伝説』なんだ?」
「あたしが創った時点で、すでに伝説なのよ!」
悠輝の理屈っぽい指摘に、遙香が自信満々に答える。
「それから、空」
遙香は従姉を正面から見た。
「あんたはどうするの? このまま黙って見ている? それとも『鬼』に取り込まれた父親をかばう?」
「私は……」
空は視線を泳がせた。自分がどうしたいか判らないようだ。
「あと選択肢は、自分の手で己の人生に決着をつけるってのもあるけど? どれでも良いわよ、もちろん敵対するならひねり潰すけど」
それって、脅しだよね……
軽い口調で遙香は言っているが、邪魔すれば本気で容赦しないだろう。例え数百人の精神を支配したままでも、空一人を斃すぐらいどうという事はないはずだ。仮に遙香が手を放せなくても、『鬼』退治の障害になるなら悠輝が相手をする。異能力の強さは互角だが、朱理は悠輝の方が強いと思った。悠輝の苛烈なまでの激しさを、空からは感じない。
「生憎、迷っている時間はないわ。今すぐ、決めて」
無慈悲に遙香が言い放つ。だが、法眼の験力がいつまで持つか判らない、時間がないのは事実だ。
空は顔を上げ遙香と眼を合わせた。
「仏眼には……いや、父には私が引導を渡す」
空の返事を聞いて遙香は悠輝に視線を向けた。
「分かった。朱理と紫織は梵天丸と政宗に憑依してくれ、御堂は座敷童子の変身を。
で、おれは梵天丸と政宗の分の足場を造るから、おまえは座敷童子の足場を造ってくれ」
「足場?」
言っている事が理解できず、空が眉根を寄せる。
「空中を移動するのに必要だ。さっき、姉貴を閉じ込めてた船室に行った時、おまえも見ただろ?」
「そ、そんなもの造れるかッ!」
今度は悠輝が眉を寄せた。
「どうしてできない? 俺よりも長く呪術の修業はしているんだろ?」
「してはいるが、そんな大道芸みたいなマネは……」
悠輝はやれやれと言いたげに溜息を吐いた。
「謀略ばかりに心血を注いで、修業をおろそかにしているから、こんな初歩的なこともできないんだ」
おじさん、それは初歩的なことじゃない。
空歩術が初歩だったら、異能者の殆どが地に足を付けずにフラフラしているはずだ。勿論、朱理にだって出来ない。
「お前のような脳筋と一緒にするな!」
「修業不足の言い訳をするなッ!」
「お前な……」
「どうでも良いから早くしろッ」
法眼が怒鳴った。『鬼』の攻撃は絶え間なく続いている。
「なんだ、もうギブアップか? 」
「煩いッ、借り物の肉体でやっておるのだ! 今までのようにはいかんッ!」
「今までだって、大したことなかったろッ?」
「おじさんも、お祖父さんも、ケンカはやめて! 『鬼』を早く何とかしないと、みんなやられちゃう!」
見かねて朱理は割り込んだ。
「大丈夫だよ、朱理ちゃん。お祖父ちゃん、これぐらい何ともないから」
祖父が露骨にやせ我慢と判る矛盾したことを言う。
「ま、急いだ方がいいのは事実ね。
空、あんたの法力を『鬼殺しの槍』に込めなさい。そうすれば憑依したのと似たような状態になるから」
空は頷くと槍を握って法力を込めた。その間に、刹那は座敷童子を護法童子に変身させ、朱理と紫織は千手観音真言を唱え犬達に憑依する。ただし、今回の憑依は朱理が悠輝に憑依したときとは違い、意識の半分は自分の肉体に残して置く。犬達を中継して験力を『鬼殺しの槍』に注ぐのが目的だから、完全に憑依する必要はない。
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