朝顔

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 こうも生い茂ると、鬱陶しいというより、怖くなってくる。  縁側に腰掛けた広瀬(ひろせ)誠一(せいいち)は缶ビールを片手に、庭の一角を我が物顔で占領している植物をぼんやりと眺める。  エンゼルトランペットなどと可愛い名で呼ばれることもあるらしいが、ようは、朝顔だ。木立朝鮮朝顔という種類だと教えてくれたのは誰だったか、もう覚えていない。  十数年前、この家を新築したときに親戚が植木鉢でくれて、庭に植え替えたのだが、気がついたときには、どんどん増えていた。  今では、やけに存在感のある花は、鬱蒼とした小さなジャングルを形成してしまった。  朝顔というと、華奢な蔓が伸びていくイメージがあるが、この花は木に咲いているため、茎はしっかりとしており、何より背が高い。ラッパを逆さにしたような大きな花をいくつもぶら下げて、それでも折れはしないのだ。  花の色の種類はいくつかあるらしいが、広瀬の自宅の庭に咲いているものは白だ。  真っ白の花は可憐ではあるのだが、薄闇に包まれた庭に、白く大きな花がいくつもぽっかりと浮かび上がっている様は、きれいである以上に、異様だった。  夜になるとよく立ち上る花の芳香が、夏の夜の湿気を含んでこちらにまで運ばれてくる。ビールよりも、その芳香に酔いそうになりながら、広瀬は軽く鼻を鳴らす。  広瀬しかいない家がガランとしているのとは対照的に、白い花で彩られた庭のにぎやかさが、妙に腹立たしい。  明日にでも、木をすべて切ってしまおうか――。  漠然とそんなことを考えた瞬間、ガサッと物音がして、白い花が揺れた。  一瞬、猫か鳥が庭に飛び込んできたのかと思った広瀬は、驚きのあまり身動きが取れず、ただ目を見開く。  ガサッ、ガサッという音に合わせて花が揺れ、ようやく姿を現したのは――人間だった。しかも、男だ。  ジーンズにシャツという軽装で、年齢は、広瀬の息子と同じぐらいに見えた。いや、多分、同じ年齢だ。  広瀬がそう思ったのには理由がある。突然庭に姿を現した青年が、こう言葉を発したからだ。 「達彦――って、ありゃ、違った……」  冴え冴えと整った容貌の持ち主の口から出るには、やけに間の抜けた言葉かもしれない。青年は、広瀬の存在にひどく驚いた様子で大きく目を見開き、一歩だけ後退る。すると、また花が揺れた。  数秒ほど二人は視線を交わし合ったが、広瀬はやっと、この状況が只事ではないと理解する。  木立朝鮮朝顔のジャングルの向こう側にはコンクリートの塀しかない。つまり青年は、塀を乗り越え、よく生い茂った木の間を掻き分けて、広瀬の自宅への不法侵入を果たしたのだ。  一喝しようと立ち上がりかけた広瀬だが、こちらが声を発するより先に、青年が鮮やかな笑みを浮かべながらこう言った。 「もしかして、達彦のオヤジさん?」  完全に虚を突かれた広瀬は、思わず縁側に座り直してしまう。青年の言葉に反応したこともあるが、庭にもう一つの花が開いたような青年の笑顔に目を奪われていた。 「……君は……」 「あー、覚えてないかな。達彦と高校まで同じだった、正木(まさき)真也(しんや)。あいつと仲がよくて、けっこう何度も遊びに来てたんだけど」  襟首にかかるほど伸びた髪を指先で梳きながら青年はそう説明してくれたが、あいにく、広瀬の記憶にはなかった。そもそも、子供たちが遊んでいるような時間に、自宅にいたことがない。  広瀬の戸惑いを感じ取ったように、青年は皮肉っぽく唇の端をわずかに動かした。 「まあ、もっともおれも、達彦のオヤジさんのことは、ほとんど記憶にないんだけど。ただ、この家にいるから、そうかなって。というか、達彦とばっちり面影が重なる。あいつ、ハンサムだったからなー。オヤジさん似だ」 「――で、達彦の友人だという君が、なんで夜中に、その友人の家にいるんだ」  正木は腰に手を当てながら、背後を振り返った。 「花が……見ごろだと思って。おれ、この花が朝顔だと知って、ガキの頃はびっくりしたんだよね。おれの知っている朝顔じゃないと思って」 「木立朝鮮朝顔」 「そう、そんな名前。最近になって、久しぶりにここを通りかかったら、昔と変わらずこの花が咲いていて、毎日立ち寄って眺めるのが日課になったんだよ。で、今日になって、木の間から電気がついているのがちらっと見えたから、達彦が戻ってきたのかと思ってお邪魔したら……」  そう言いながら、正木から視線を向けられる。ゾクッとするような、冷ややかで鮮烈な流し目だった。
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