「おはよう」

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「おはよう之治」 母が挨拶を返してくる。これも日課になっている。 無言で手を合わせたあとに味噌汁を口にする。 「…うん、美味しい」 普段通りの朝だ。白菜の浅漬けも絶妙に美味しい。白米がすすむに進む。まさに旧きよき和食だ。 手早く料理を口にしたあと、手を合わせて小さく「ごちそうさま」と呟いたあとに、食器を流し台に運ぶ、ちょうど母も食事を終えた所だったので、まとめて洗う。それを母が手際よく拭いて片付けていく。これも、毎日の日課だ。 「…して、東亜共和国の発展に寄与した先代の…」居間に置かれたブラウン管テレビからは、今日も偉人と呼ばれる人々の武勇伝が流れる。 「…先の大戦で、九州まで追いやられた我々は彼の尽力により、1918年に提唱された日本の分かれ目である糸魚川-静岡構造線まで追い返し、今の協定線として残る…」 にたような話は五万と聞いてきた。つまりはこうだ。 日本は終戦後、アメリカの統治下となることになるはずだった。しかし、当時のソ連はそれを良しとせず、西側から支援を行い始めたのだ。…つまり、間接的にアメリカへ攻めいったのである。しかし、直接戦争は第三次世界大戦へ繋がってしまう。そして、行われたのが「代理戦争」だったのだ。それも日本列島という小さな島のなかでだ。始まりは、終戦から2年後の1947年、そして2度目の終戦は1949年だった。 死者の数は多くないが、新潟、長野、静岡から東は「日本連邦」として。そして、隣り合う富山、岐阜、愛知から西は「東亜共和国」として、それぞれ資本主義と社会主義の国として独立してしまったのだ。 「…我々の目指す平等で幸せな…」 短波ラジオからはお約束の言葉が流れて、番組は終了した。 今日もいつもの和服で職場に向かう。日連の人々は「時代錯誤だ」とか「人類進化への溯行だ」とかいろいろ言っているらしい。だが、そんなことはすでにどうでも良いのだ。町を歩く人は少なくともみな似た格好だし、不便は少ない。そして、何よりも私の仕事は… 「それではみなさん集まりましたね、多山さん号令を」 「きりーっつ!」 そう、私は学校教員として、この辺境の旭町(あさひちょう)にて働いている。 すぐ近くには大きな塔が二つ。 その向こうはかつて「新潟県」と呼ばれた場所。 「おはよう」 続けて私は言うのだ 「諸君のたゆまぬ努力こそが、東亜共和国の発展の礎だ。清く、正しく、生きることに感謝して、今日を生き抜いていくのです。」 今日も正装である和服を靡かせ、私は働く。 空は今日も青空が広がっていた。
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