「おはよう」

1/2
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/2ページ

「おはよう」

ふと、目が覚めた。 朝日が暖簾の隙間から差してくる。柔らかい日差しというには、あまりにも刺激的な光だ。 今日も朝からじんわりと蒸し暑さがにじり寄ってくる。寝汗で甚平もしっとりと感じてしまう。日本列島の夏はこんなに暑かっただろうか。 長く艶のなくなってしまった髪の毛を掻きながら寝床から立った。潰れてしまって柔らかさの欠片もない布団を尻目に、洗面所へと向かう。 大河原之治(おおかわらゆきじ)部屋に置かれた鏡の前で、だらしなく佇む姿が間抜けに見える。…それが私だ。 齢は28だ。独身、恋人も居ない。周りからもとやかく言われる年頃だが、意に介さず生きている。家には足の悪い母一人、慎ましく生きている。 ぎしぎしと音をたてる木造の築40年の我が家はいつ床が抜けてもそう不思議ではないだろう。 「ガガガーピー…ホンジツハセイテンニメグマレ…」 古ぼけた短波ラジオを聞きながら身支度を整えることが日課になっている。テレビは先週から叩いても写らなくなった。…斜め45度からのチョップで直るなんて噂は嘘だったのか。 (ガラガラガラ) 立て付けの悪い窓を開けて、東の空を見上げる。山間からの突き刺す太陽の光に、一度は目を背けてしまったが、明るさに慣れてくるとその視界に飛び込んでくるのだ。 この生活とは大きく不釣り合いな、どこまでも空へ続いていく二つの鉄塔が。そして、その鉄塔の奥には、全く違う世界が広がっているのだと知ったのは、18の夏だった。 そう、ここは東亜共和国。そして、その鉄塔の向こうは、日本連邦。一つの島を二つの国に分断されてから早くも70年。今は西暦2019年8月。お隣の韓国はすでに併合を果たしたのに、この日本列島は、未だ冷戦の遺産を引きずっていきているのだ。 「おはよう」 私は意味もなくただ毎日の日課として、開け放たれた二階の窓から、不気味な色合いで輝く鉄塔に向かって呟いた。忌々しい思い出をはきだすように。 ふと、一階からは美味しそうな味噌汁の香りが漂ってくる。 ふうっと一息、考えることをやめて私は階段を下りていった。 「おはよう」 母親に向かって今度は優しげに語りかけて、私の一日は始まった。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!