8,ヒーローがヒーローを演じる

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 何も答えずにいると、熊谷さんはそのまま話し続ける。 「今の時代は俺たちみたいなのより、一月くんみたいに細くてシュッとした子がもてはやされるんだろうけど。アニキもあれで男前だから、昔は顔出しの俳優としてのオファーもあったらしい。それでもあの人はずーっとアクションひと筋でさ。セリフとか覚えらんねえとか言ってるけど、ヒーローものへの思い入れがあるんだよ。だからしんどくてもああやって、カメラの前に戻ってくる」 「しんどくても?」  その言葉が気になって聞き返すと、熊谷さんがハッとした顔になった。 「あれ、一月くんは知らないのか。アニキは去年の今頃、飛び降りのスタントで首を痛めて。それで1年休養してたんだ」  確かに怪我で休養という話は、(ちまた)でも(うわさ)されていた。けれど首というのはただごとでない気がする。下手をしたら後遺症が出るような怪我だったのかもしれない。  汗を拭きながら監督と話している、彼の首元に目が行った。  すると熊谷さんに笑われる。 「そんな心配そうな顔しなくても大丈夫だから。アニキは俺たちのヒーローだ、今回も最後までカッコよく演じてくれる!」  その言葉を理解するにつれ、じわじわとした鳥肌が浮かんできた。  羽田さんは、スーツアクターとしての活躍を夢見るみんなにとってもヒーローなんだ。ヒーローがヒーローを演じる。これ以上のヒーローがあるだろうか。  けれど、彼には別の顔もあって……。  みんなはそのことを知らないんだろうか。顔会わせの日、倉庫の小部屋で見たあの人と、目の前の羽田さんとが重ならない。 (どっちが本物の羽田さんなんだ)  コートの上から腕をさすり、自然に浮いてしまった鳥肌を押さえつけた。 「準備はいいかな? それじゃ、次行こうか」  監督の声に、羽田さんが手にしていたタオルを椅子の方へと投げた。彼はまた〝完璧な〟仮面を被ってカメラの前に立つ。  何十人もの真剣な目が、羽田光耀という一点に向けられた。  そんな現場の熱気を余所に、遠巻きに見ている俺をザワザワとした風が撫でていく。  何がなんだか分からなくなってしまった。
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