第1章 黒龍の娘

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第1章 黒龍の娘

 アーテノワ国  小さな国は山に囲まれ、それはひっそりあった。その北に位置するひときわ大きく高い山には、心優しい龍が住んでいるのだという。  その姿は誰も見たことがなく、アーテノワ国に住む人々は、この龍を神の様に崇め、(たてまつ)っていたのだそうだ。  その龍とは、龍の最高ランクに位置付けられる『黒龍』。この黒龍がアーテノワ国を魔物の脅威から守り、人々に安全という安心感を与えていた。まさに神龍として崇め奉られていたのだ。 「とうたん、まもの、ばちん、できた」 「そうか、凄いぞ。」 「たべる、いい?」 「解体できるのか?」 「ちぎる」 「まだお前には鋭い爪がないからな。父が捌いてやろうぞ。」 「とうたん、わたしいつ、るう、なる?」 「そうだな。もうすぐ龍になれる筈だぞ。」 「やった、そら、とぶ」 「空へは父がいつでも連れてゆくぞ?」 「わたし、とぶ」 「そうか、自分で飛びたいのだな。」 「とうたん、みたい、なる」 「ハハハ、そうだな。」  ここはアーテノワ国の北にある、一際大きく高い山の頂上付近。そこに黒龍の親子が住んでいた。子はまだ幼く、それは龍の形を成していなかった。その事に子は常に不満であった。自慢である父のような黒龍の姿に、早く自分もそうなりたいと願ってやまないのだ。  母もまた黒龍であった。しかし、子が宿ってから産み出すまでに徐々に弱っていき、産み出してから少しして息絶えた。それからは父親と子でこの山に住んでいたのだ。父親は我が子が可愛くて仕方がなかった。 「おとうたん、ひ、でた」 「火魔法が使えたのか!凄いではないか!流石我が娘だ!」 「おにく、やく、おとうたん、たべる」 「父は焼かない方が好きだが……あぁ、そんな悲しい顔をしないでくれ。そうだな、せっかくだから焼いて貰おうか。」 「おにく、やく」 「……!なんだ!その火力はっ!」 「やけた」 「真っ黒になったな……もう少し小さな火が出たら良かったのだがな。あ、いや、食べるぞ!だからそんな悲しい顔を……うん、旨いぞ!流石は父の娘だ!」 「わたし、すごい?」 「凄いぞ!まだこんなに幼いのに、魔物もやっつけられるし、火魔法も使える。自慢の娘だぞ!」 「おとうたんの、こ、だから」 「そうだな!」  そんなふうに親子は仲良く慎ましく、寄り添うように生きていた。しかし母親同様、父親の様子も日々変化する。日に日に痩せていき、もう空を飛ぶ事が出来なくなった。 「おとうさん、おみず、のんで?」 「その水は……」 「てからでた。のんで?」 「凄いな……水も出せるようになったのだな。」 「はやく、げんきになってほしい」 「そうだな。まだお前をひとりには出来ぬ……」  父親の黒龍は日に日に元気が無くなっていく。もう動くことも出来なくなった。子は魔物を狩り、父親に食料を持っていく。けれど、もうそれを口にすることも出来なかった。 「お父さん、見て!私、龍になれたよ!お父さんみたいに強い爪も牙もあるよ!翼もあるよ!お父さん!私、お父さんと同じになれたんだよ!」 「…………」 「お父さん……?」  ゆっくりと目を開けて、愛しい我が子を見て微笑んだ父親の黒龍は、それから静かに目を閉じ、その生涯を終えた。  その時、それまでアーテノワ国全体を守るように覆われていた黒龍の加護が途切れ、その脅威が無くなったと感じた魔物達が活性化する。アーテノワ国はこれより、魔物の恐怖に怯える事になるのだ。  父を亡くした龍の子は、どうすれば良いのか分からずにただその場に佇んだ。何度も何度も呼び掛けるが、父は何も言わない。水も食料も口元に持っていくけれど、父は食べてくれない。悲しくて悲しくて、龍の子はひとりで泣き続けた。  その泣き声を聞き付けたのか、一際大きな魔物がやって来た。その脅威は凄まじく、これまでひっそりと暮らす脆弱な魔物のみを狩っていた龍の子は、その猛威に恐れおののいた。  震える体で父親の亡骸に急いで隠れる。何度も何度も、「お父さん!お父さん!助けて!お父さん!」と泣きながら訴えても、強かった父はピクリとも動かなかった。  その魔物は大きな牙を持ち、大きな爪で襲いかかってきた。怖くて父の尾の方へと急いで逃げる。と同時に、肉を引き裂くような音が鳴り響いた。恐る恐る見ると、父の立派な翼がその魔物の爪によって傷つけられ、引き千切られていた。あの立派な翼が、私を乗せて豪快に飛ぶ父の格好良くて重厚な、輝く鱗が綺麗でそれが自慢で憧れであったあの翼が、見るも無惨な状態へと化していた。  それからも魔物は父を引き裂く。何度も父の体を引き裂く。あの逞しかった父の姿が、その姿を成さなくなってゆく。  悲しかった。凄く悲しかった。けれどそれよりも怒りがフツフツと湧いてきた。お父さんはもう空を飛ぶことが出来なくなった。強いお父さんが無茶苦茶に傷つけられた。それがどうしても許せなかった。  涙が流れる瞳を、キッと魔物に向ける。悔しかった。何も出来ずに隠れる事しか出来なかった自分に腹が立った。自分がどうなろうと、あの魔物を撃ちたい気持ちになった。  向かってくる魔物と目が合った瞬間、魔物がピタリと立ち止まる。その魔物に駆けて行って、爪で足を引き裂こうと腕を奮う。けれど、その攻撃は傷一つ付ける事はできない。噛み付いてもみるけれど、その牙は深く刺さることはない。  そんなささやかな攻撃を受けて、その魔物はゆっくりと後退り、そこから離れて行った。  そしてその場に残ったのは、父の無惨な姿のみだった。  優しかった父の、強かった父の、自慢だった父の、格好良くて大好きだった父の、その立派で凛々しかった姿はもう形を全く成してはいなかった。  その場から動けなくて、強靭だった父のバラバラになった鋭利な爪を抱きしめてひとり泣き続けた。その場所にいるのが辛くなって、父のその姿を見るのが辛くなって、龍の子は思わずその場から離れた。  翼をはためかせ、初めて大空を舞う。父の爪を胸に抱えて、父が飛ぶ姿を思い出して、同じようにして空を飛ぶ。危うく何度も落ちそうになるけれど、何とか持ちこたえて飛び続けて向かった先は人間の住む村だった。  前に父に教えて貰った事がある。私たち黒龍は、人間に崇められているんだと。父の背中に乗って、人間の村をそっと遠くから見た事がある。きっと人間に会ったら、私を見て喜ぶに違いない。そう思って、龍の子は勢いよく村に降り立った。  しかしそこにいた人間たちは驚いた顔をして、それからすぐに叫び声をあげて、慌てふためいて逃げ出した。その光景に戸惑っていると、棒の様な物を持った人間達が龍の子を取り囲んだ。  人間達はいきなり攻撃してきた。それには龍の子が驚いた。父は、人間は小さく脆いけれど、優しくて可愛いものだ。そう言っていたから、いつか人間に会いたい、そう焦がれてやまなかったのだ。  石を投げて来たり、棒の先に付いた鋭利な刃で突いてきたり、銀に輝く鋭利な刃の様な物で切りつけてくる。  悲しかった。怖かった。どうすれば良いのか分からなくなった。  それからすぐに逃げ出すように飛び立って、ひとり森の中へ降り立った。 「痛いよ……痛い……お父さん、人間、怖かった……」  みるみるうちに、龍の姿では無くなってくる。まだ長く龍の姿ではいられないんだ、と更に悲しさは胸を襲う。身体中にできた傷を撫でて、龍の子はひとり痛みに耐えながら泣いていた。  その時、何かがこちらにやって来る音がした。逃げ出そうとしたけれど、足が傷付いていて動く事ができない。怯えて震える龍の子の目の前に現れたのは、人間の男達だった。 「なんだ?なんでこんな所に子供が?!」 「丁度よかった!こいつを連れて行こうぜ!」 「見ろよ、こいつぁ上玉だぜ!」  男達は何かを喋っているが、その言葉を龍の子は分からなかった。震える体を抱えあげられ、どこかに連れて行かれる。何をされるのか分からなくて、すごく怖くて震えるしか出来なかった。ジタバタしてると、お腹を殴られたみたいで、段々と意識が朦朧としていった。そうして目の前が暗闇へと化していく。  気づくと、そこは檻の中だった。傷を受けた所には包帯が巻かれてあり、治療のあとが見られたが、何もない部屋にポツンと置かれた檻の中に龍の子は閉じ込められていた。そしてそこにはもう一人、人間の男の子がいた。 「目が覚めたね。大丈夫?」  彼もまた、分からない言葉を発していた。困った顔をしていると、自分を指差して大きく口を動かして、「レ・オ・ン」と言った。同じように、「れ、お、ん」と言ってみると、男の子はパアッと笑顔になって何度も頷いて、今度は龍の子を指差した。名前を聞かれた事に気づいて、一生懸命名前を伝えようとする。 「う……あ……、ゆ……あ……」 「ウア?ユア?」 「る……あ、ゆ……あ……」 「ユア?うん、ユア!名前はユアって言うんだね!」 「なまえ、ユア」  レオンと名乗った男の子は喜んで、手を差し出してきた。戸惑いながら、ユアと呼ばれた龍の子は、その差し出された手を握った。その手は温かく、微笑んだレオンの顔を見ると嬉しい気持ちになった。  初めて仲良く出来そうな人間に会えて、ユアはすごく嬉しくなったのだった。
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