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第二十四話 こぼれてあふれて
結局、長本准教授は大学に残ることになった。故意に不正や横領をやらかしたわけでもなければ、業者に便宜を図ったわけでもないんだから当たり前だ。世間もあの騒動のことなんかすっかり忘れて、今はもっぱら政治家のスキャンダルに夢中だった。もちろん凌介にとっては忘れられないどころか、思い出す度に腰のあたりが情けなくざわつく出来事だったけど。
「ってか何百回おんなじこと書かすんだよ……」
住所、氏名、保護者の氏名、学歴、職歴、そしてまた住所と保護者の氏名。書いても書いても減らない書類に思わずペンを握る指先が震えた。なるほどこんなにアナログじゃ搭乗券の半券を提出しろなんて言っても驚かないし、佳樹でなくともミスを犯す。ようやくすべての書類を書き終えたときには時計の針は正午を過ぎていた。
居間のテレビでは、母の好きな連続小説がちょうど次回予告に差しかかったところだった。今期の作品舞台は沖縄の離島らしく、見ればたしかに主人公の家の前には展示パネルみたいな石塀が立っていた。ヒンプンと呼ばれるその壁には邪悪を退ける役割があるのだと、あの日、ホテルを出るときに佳樹は恥ずかしそうに教えてくれた。思い出して微笑ましい気分になりながら、凌介は書き終えた書類を封筒に収めた。
高専編入制度で大学を受験したいと凌介が告げたとき、両親は驚きこそしたものの、息子の希望に口を挟んだりはしなかった。どちらかと言えば呆れ果てていたのはナベセンのほうで、とっくの昔に卒業した教え子の推薦書を書くなんて長い教員生活で初めてだと言っていた。それでも凌介が筆記試験に受かったと報告したときは、喜びと驚きのあまり椅子から転げ落ちたという。現役生を差し置いてよくも、と。
とにかくそうやって一歩一歩進んできた。季節が巡るのは本当に早くて、凌介は今年の桜を見た記憶がない。自分で言うのもなんだがそれだけ一生懸命だったのだ。
佳樹とももちろん何度かやりとりをした。勉強も大事だが手続き書類がとにかく面倒だから覚悟しておけと、佳樹ならではの実感のこもったアドバイスをくれたっけ。もちろんほかにもいろいろ教えてくれたけど、二次の面接にいるなんてことはおくびにも出さなかったから、面接室のドアを開けた瞬間、凌介は大いに咽せこむ羽目になった。まぁ、でも入試情報を受験生に漏らしたりしたらそれこそ懲戒免職ものだろうから、仕方ないと言えば仕方ない。そういうところは真面目に「先生」やっているのだ、彼は。
そんな成り行きでお互い予定より早く顔を合わせたせいで、すっかり調子が狂ってしまった。本当なら面接の出来はどうあれ、筆記試験突破のお祝いに食事を奢ってもらう約束だった。美味しいものを食べて、もちろん軽くビールだって飲んで、ホテルはその後のつもりだったのに、それもこれも長机の端っこでヒコーキ柄のネクタイなんか締めていた佳樹が悪いと凌介は思った。
「あの、先生、これ、大したものじゃないですけど、地元のお菓子です」
「まだ「先生」じゃないし、お菓子で裏口入学とか絶対あり得ないから」
「そんなことしたらまた不祥事になっちゃいますもんね」
「凌介、お前ふざけんなよ」
そんな怖い顔がサマになるくらいには元気になった佳樹と今日こそ凌介は思いを遂げる。地元銘菓の紙袋を筆頭に、ジャケットやワイシャツや靴下がベッドまで飛び石みたいに散らばるのにそれほど時間はかからなかった。
「てか、まじで佳樹が面接官だと思わなかった」
「私だって思わなかったよ。あ、言っとくけど、面接官っていっても私はなんの権限もないただの記録係だから」
「そうじゃないとほんとにやばいよね」
たまらず佳樹の頬にキスしながら凌介は自分たちがどう見えるかを想像してみた。受験生に押し倒される面接官だ。枕営業に見えるにしろ脅迫に見えるにしろ、どちらも本気で洒落にならなかった。
「っ……そもそも専攻も違うし、試験についてはほんとに何にも教えてやれない。だいたいあいつら私が口答えできないからってすぐ雑用おしつけやがって」
「はいはい、わかったわかった。けど航空と建築って同じキャンパスでしょ?ドローン壊れたらいつでも言ってくださいね。僕そのへんの院生よりまともな仕事すると思いますよ」
「皮算用。気が早い」
佳樹はまた眉間のしわを深くして目の前のお調子者を戒めた。
「っていうか若者の我慢強さ、舐めちゃいけないんじゃなかったのかよ」
「いや、十分我慢強いでしょ。僕、仕事辞めて半年ずっと試験勉強してたんですよ。まぁ、たまには佳樹の本読んで、オナニーもしましたけど」
「っちょっと……りょうすけ……!」
でももうその我慢も限界だ。だからロマンチックな段取りは全部白紙にして、面接室から出てすぐに宿の名前とルームナンバーを送った。のこのこあらわれた佳樹は、客室に足を踏み入れるや否や、受験生のくせにダブルルームなんて生意気だとかなんとかまた得意の照れ隠しが始まったから、さっさとネクタイを解いてベッドに押し倒したのだ。
「面接中にさ、勃つかと思いました」
「ばっかじゃないの、あっ……!」
脹れた股間を擦りつけることで凌介は佳樹に限界を伝えた。馬鹿じゃないのと言うくせに、佳樹の中心も少し兆して張り詰めていた。ついさっきまで重力任せに俯いていたのに。
「5ノットってとこですね」
「何、言ってんだよ、あ、やっ……」
「風速計、見たことないですか。空港とか高速道路とかで」
風速計。それは風をはらむと膨らんで、その傾きで風の強さを知ることができる、文明の利器というには少々原始的な道具だ。ちょうど五月の空を泳ぐ鯉のぼりを小さくしたみたいな。
「先生も勃ってるって意味です」
「その「先生」っていうの、やめろ……」
「じゃあそれは受かるまでとっときます」
「ひっ……んっ……」
くにゅ、と胸の突起を抓ると佳樹の体が跳ねた。空いた手を下肢に伸ばせばそこは熱く恥じらい、上品な先走りをこぼしはじめていた。
「あんまり固くはなんない感じです?」
「うるさい」
佳樹はそう言って恨めしそうな視線を寄越したが、脹れた血管をなぞるとがくんと腰が震えた。自分のものにするように、しっかり握る、ゆるくしごく、その繰り返し。自分がされて嬉しいことは他人にもしてあげなさいって昔よく言われたなと凌介は思った。
「もうちょい強いほうがいい?」
「ううん……」
「ちょっ、りょうすけ……あの……私……」
「うん?」
別に誰にも聞かれやしないのに、佳樹は意味深に声をひそめた。きっとまたいつもの甘えん坊だと凌介にはピンときた。どれどれと口元に耳を寄せると、まるで子どもがいたずらでも告白する調子で、最近勃ちがよくないのだと打ち明けてくれた。その口ぶりが愛しくて、凌介はたまらず握ったままの切っ先に口づけた。
「っ、あっ……」
「大人ですね」
「うん……」
「大人にはね、『前が立つ腺』って書くとこがあるんですよ」
「うん……」
どことなく照れ臭い沈黙の後、佳樹はゆっくり目を閉じて凌介の体に腕を回した。
「寝転がってるしかできないと思うけど……」
「僕もね、いろいろ初めてですよ。でもこういうのって経験とか、誰かに教わったりしなくてもするもんじゃないですか。するっていうか、ヤっちゃうっていうか」
「まぁ、ね……あっ」
反射的に閉じられた脚はあと一歩間に合わず、佳樹がヒュっと息を呑む音が室内にこだました。あの夜、触れることのできなかった場所に凌介がそっと指を這わせたのだ。
「ひ、あ……きたな……い……」
「ゴムはめましょうか。僕は別に平気ですけど」
「……おねがいっ……あ、あ、指が……」
つるりとした蕾は気の毒なほど強張っていたが、今さら止められるわけもない。爪の先がほんの少し埋まった瞬間、逃げた腰を凌介は獣の本能で引き戻した。
「っ、ふ……はぁ……!」
「ローションちょっと冷たいですよっと。口『アーン』ってして、ゆっくり息吐きましょうか。座薬くらいは入れたことありますよね?」
凌介のその問いに、佳樹は幼いときのことでも思い起こしたのか首を左右に振った。そんな天邪鬼で可愛い大人の膝裏に凌介は手を差し入れ、そのままゆっくり膝を折らせた。
あらわになった襞口はひくひく震えて、にじんだローションが室内灯をいやらしく反射させる。その少しくぼんだ中心めがけて、凌介はまっすぐ指を挿しこんだ。少しずつ、少しずつだ。行きつ戻りつする指先を感じるたびに佳樹は鼻にかかった声を上げ、とうとうみずかきが熟れた淵を抉ると涙を流して凌介の胸にすがりついた。自分の言いつけ通り、ずっと「アーン」のままなのが凌介の目にはいっそう健気に映ってたまらなかった。
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