腹の底から笑えよ(2009年制作/2020年改訂)

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腹の底から笑えよ(2009年制作/2020年改訂)

ab3331c2-36eb-4dd9-aa67-470d72c5aad2 ★プロローグ  脈が激しく打っていた。耳の奥、頭の中央は、もう鼓動しか聞こえない。 「あと三球!」  コーチが叫んだ。俺の心臓はもう、喉まで押し迫るほど膨れ上がっている。「オラオラ、どーしたァ!遅せぇぞ!」  体力は限界が来ているのに、音に体が反応する。本能的に、ボールめがけて胸からフライング(レシーブ)をした。右のこぶしの先に、人工皮革の感触を得る。衝撃から、真上に1メートルほどボールが上昇するのを感じたが、軌跡は追わない。というか、追っている場合ではない。次の瞬間には、立ちあがって、最後の二球に構えなくてはならない。きゅ、きゅ、と、アディダスのシューズが鳴った。  この鳴瀬コーチのスパイクは、無回転系のスパイクで、なかなかレシーブする時は重く、返球しにくい。身長が高くて攻撃メインの俺が、一番、苦手としてきたタイプのボールだ。最後から二球目も、伸ばした指の先で、辛うじて50センチほど上げた。 「ラスト一球!」  コートの外から、先輩、ファイトです!と、後輩達から声がかかった。ぼんやりした視界の中で、俺は最後の一球に構える。鳴瀬コーチは、ネットの向こう側の審判台に立ったまま、強烈なスパイクを俺にお見舞いした。「捕れるなら、捕って見ろ、根性みせたれや!」のメッセージだ。チームキャプテンではないものの、チーム内で一番目立つ存在の俺を、メンバーの手前、シゴこうという魂胆は俺にもよく分かる。俺は、上げたろーじゃねーか!とその”足の短い”鋭角なボールに飛びついた。左腕に、床に縫い付けられるようなドン!という衝撃を感じた。 (……上がるっ!)  俺は確信をして、そのまま回転レシーブに移行し、立ちあがった。俺がボールを目で追うと、ふんわりと柔らかなRを描いて上がったモルテン製のボールの向こうに、苦い顔の鳴瀬コーチの顔が見えた。 「もういい」  俺は、ぜぇぜぇ肩で息をしながら「ありがとうございましたッ!!」と言って、コートから去った。 (ふざけんなよぉ、鳴瀬ぇ~)  俺は体育館の手すりにかけた自分のタオルを取り上げて、顔を拭きながら、鳴瀬コーチを睨んだ。  鳴瀬コーチは色黒、濃いアジア系の顔で、身長は俺よりやや低い。今、年齢は確か35歳ぐらいだ。うちの男子校の臨時採用職員として体育を中心に教えているが、本領はバレーボールで、うちのチームのコーチをしている。現役時代には、全日本の補欠に選ばれた事もあるらしい。全日本のレギュラー陣6名は日本バレーボール界の頂点。そこにいる補欠だって格が違うモノがある。  鳴瀬コーチは、頭がイイ。名プレーヤーと言われるバレーボーラーすべてがそうであるように。なにより、チームを強くする為に、何が必要なのか、よく分かっている。その方法の一つとして、チームのムードメーカーで大黒柱たる俺を、とにかくシゴき抜いた。その様子をチームメートに見せて、「エースがあれだけ頑張っているのだから」と、気合を入れさせる。この鳴瀬コーチによるシゴきは、エースの俺の他、キャプテンの松宮に集中した。そして、今、鳴瀬ワンマン(一対一でのシゴキ)の餌食になっているのは、俺と交代してコートに入った、キャプテンの松宮だった。 「先輩、大丈夫ですか」  一年生でマネージャーの川上が、俺にポカリスエットを差し出した。水筒の口についたストローから中身を一口飲んで、俺は容器を川上に返した。 「すごいですよねぇ、先輩。全部上げちゃうんですもん」  キラキラとした大きな目で川上が俺を見上げた。身長と体力が無い、という理由からマネージャーになった川上だが、バレーボールに対する憧れは人一倍強かった。勿論、マネージャーとしての仕事も完璧にこなす。無償なのに他人の為によく働けるよなァと、俺は思うのだが。 「さんきゅ、川上」  川上は俺から汗で濡れたタオルを取り上げると、新しく乾いたタオルを手渡した。チームメイト達が「女だったら嫁に欲しい」と全会一致の川上は、俺を一人だけ微妙に贔屓していた。川上は、俺が持っているタオルの本数や、好きなスポーツ飲料の種類、使用するテーピングの太さまで知り尽くして、それを管理している。まぁ、一番目立つポジションだからな、と、俺は一人納得しているのだが、うちのチームのライト、清水がそれを知って、よく俺にぶぅぶぅ文句を言った。 「所で、今日、例の人、来るらしいですよ?」 「例の人?なんだっけ」  俺は、松宮が取りこぼしたボールをコート外で拾いながら、後ろからついてくる川上の言葉に耳を傾けた。 「ホラ、あの人ですよ、 ……全日本の選抜合宿にも選ばれた……講導館大学付属の、生方総司(うぶかた・そうじ)くん……。」 「ああ」  俺も、その名前は知っていた。小学生バレーボール時代から天才レシーバーとして名を馳せ、帝都新聞に写真が掲載される程の名プレーヤー。今は天才リベロとして同高校で活躍していると聞くが。うちの高校に何の用なのだろう。 「鳴瀬さんがね、ラブコールしたらしいですよ。うちってホラ、大したレシーバーがいないじゃないですか」  川上はちらりとコートの外でボール拾いをしている二山を見た。二山は中学時代、エースだった選手だが、どうしてもレシーブ専門のプレイヤーが見つからないので、仕方なくうちの高校では、リベロというポジションに回されている。俺を含む他のアタッカーに比べれば、身長が低く、レシーブが得意、という鳴瀬の判断でそうなった。だが、希望外のポジションを指定された途端、二山は無気力になり、現在ではそろそろ部を辞めるんじゃないか、という噂まで立っていた。確かに、スパイクを打てないポジションを好むオフェンスはいない。ミスキャスティングというのは鳴瀬コーチもメンバー分かっているのだが、人材不足ではどうしようもなかった。 「勿論、生方先輩次第ですけど、……逆に講導館付属って昔は最強だったけど、今は生徒不足で攻撃が揃わないチームじゃないですか。生方先輩がこっち来たら……もうそれは最強ですよ!うちにはなんて言ったって、高岡先輩がいるし!」  きゃぁきゃぁと一人で喜んで、川上はその場を去った。あまり長くしゃべっていると鳴瀬のスパイクがこちらに飛んでくる。俺はタオルをまた手すりにかけて、ボール拾いに専念した。 (生方…かぁ。)  俺は、小学校時代からのライバル、生方の姿を思い出した。  俺は、小学校の全国大会で、生方に勝っている。  東京都対岩手県。俺は当時から高い打点を誇るスパイクで、岩手を翻弄した。攻撃力がどんな防御力に勝るチーム、それが俺が当時、所属していた東京都チームだった。一方、生方の所属する岩手県チームは、攻撃力はそこそこながらも、強固な防御力をもって勝ちあがってきた。矛と盾のぶつかり合いだ。  そして、岩手代表の中心人物が、生方総司だったのである。武道家みたいな名前だが、そのイメージに反しない雰囲気を、生方は持っていた。男子にしては線が細くて色白、あまり声を出さない静かなプレイヤー。だが、生方の周囲、数メートルに入るスパイクは、確実に上げられた。瞬発力と動体視力、そしてなにより、ボールの下に入るセンスが抜群で、小学生なら吹っ飛びそうな速さのボールを、両足を床に吸い付かせるような独特のフォームで、確実にセッターへと返球する。俺はぞっとして、途中から生方を避けてスパイクを打った。ネット越しに、生方の「こっち打てよ、コラァ」という噛みつくような視線を、俺はきっぱり無視した。『3番の生方を避けてスパイクを打て』とは、監督から言われた、勝つための作戦であるから。  ……そして、俺達のチームは、露骨にリベロの生方を敬遠する事によって、全国優勝を果たした。生方は、試合後、悔し涙で目を赤くしながら、俺をずっと睨み続けていた。バレーボールはお前と俺のタイマン勝負じゃねぇんだ、と、俺は睨み返した。  それ以来、生方と試合をすることはなかった。中学でも、高校でも。  ざわざわ、と、体育館の入り口がざわついたので、俺はそちらに目をやった。鳴瀬コーチが審判台から降りて、そちらに向かった。川上が、「到着されました」と、鳴瀬に言った。鳴瀬は他の生徒の間を割って、人垣の奥へと入って行った。俺も気になって、その後を追った。俺は、他の学生より頭二つほど高いので、好奇心で集まるチームメートの向こう側に居る人物をはっきり見ることが出来た。  はじめに見えたのは、濃紺色の学ランに浮かぶ白い肌。髪はやや長めで茶色い。鋭い形の眉に、やや三白眼気味の黒い瞳は変わっていなかった。唇は、小さめで形良く結ばれ、リップを塗ったようなピンク色をしている。まさにそれは生方だった。なんだか、場違いのように綺麗な顔をしていた。  生方は振り向いた瞬間に、一番遠い位置に居る俺を見上げた。LEDライトのように真っ直ぐ刺さる無言のメッセージに、俺は一瞬、ひるんだ。恨みは忘れてない、というところか。 「よく来たね、生方くん」  鳴瀬が言ったので、生方がそちらへ軽く会釈をした。「……はい……」そう言って、生方は、俺にまたガンを飛ばす。……こいつ、喧嘩売ってんのか?!  生方の視線の先に気づいた鳴瀬が、俺と奴を交互に見た。 「……高岡?……そうだね、小学校時代、高岡とライバルだったんだって?」 「高岡……高岡 枢(たかおか・かなめ)……くん」  生方が、相変わらず俺に視線を留めながら、言った。俺は、フルネームで呼ばれて少し照れた。もしかして、生方もう、わだかまりないのかな、俺に。 「忘れてないですよ、勿論。僕にとって、アレ、屈辱でしたから。……あの決勝戦」  ……って、わだかまってんじゃん! 「屈辱?」  鳴瀬が首を傾げた。 「……ともあれ、今日はゆっくり見学させてもらいます、常光高校のエースもいることですし」  生方がペコリと頭を下げた。 「そうだな、見てってくれ。久々じゃないか、高岡のプレーを見るのは?」 「いえ、『春高バレー』に出ているのを見学に行きました、それ以外でも、練習試合とか見てますし」  え?生方が俺のプレーを見学に来ていた?それは、初耳だった。 「近くで見るのは久々ですけどね」  そう言って、生方は目を細めた。研ぎ澄まされたナイフのような鋭い視線だった。俺は、なんだか緊張で心臓がバクバクしだした。こいつの前で、俺は普段どおりのプレー出来るのか。不安がよぎった。  生方は、鳴瀬の後ろから、体育館に入って行った。俺以外のチームメイト達も、そんな生方を遠巻きに眺めた。レシーバーは猫背の人間が多いが、生方の背筋はすっきり伸びていた。 「なんか、迫力あるな…貫禄っちゅーか……」  チームで二番目のエース清水が、テーピングを巻いた指先で鼻を掻きながら、俺に言った。 「近寄りがたい……って感じ?」  俺の返事を待たずに、先ほどまでシゴかれていたキャプテンの松宮が清水に答える。 「かなちゃん、友達なんでしょ?相手頼むわ」  清水の言葉に、松宮も頷いた。ちなみに、かなちゃん、とは、俺の愛称だ。 「なんで俺が!」 「いや、とりあえず、ウチは、絶対、生方欲しいからさー。ちょっとでもイイ印象、与えておきたいんだよ。後からちゃんとオレらも友達になるから。とりあえず、生方も緊張してるだろうし、ほぐしてやってよ」  松宮がキャプテンの顔になって言った。地味な外見だが、松宮は常に全体のことを考えていて、オレも、松宮だけは尊敬しているし頭が上がらない。 「わかったよ……」 「生方、連休利用して、鳴瀬コーチの家泊まる予定みたいだから。」  だからなんだよ、と俺が言いかけた時、鳴瀬が笛を吹いた。「集合!」  俺達はその号令を受けて、慌てて走り出した。
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