願いを叶えて。

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人里離れた場所にある深い森の中に『王』の城が建っている。 尤も。 『彼』が人里離れた場所を住処にしたのではなく、『彼』が住処にした場所から人がいなくなったのだが。 ◇ 「ねぇ、ジャンシー」 彼の住まいの出窓に座る彼女は幼気な笑みを浮かべながら長い髪を梳く。 「なぁに、ランちゃん。というかそこ、椅子じゃないよ」 こっちおいで、とジェンシーは部屋中央の椅子を引く。 絨毯の上なので音は出ないが無音ではない。彼女は自分宛のその音を気にせずむしろ窓から少し身を乗り出す。 「ちょっと、ランちゃん!? 落ちるよ!?」 「平気よー。あたし飛べるもの! それより、ジェンシー。人間には興味がある?」 「……急に何」 彼女の話はいろいろな箇所に飛ぶが、なんの前触れもなく始まったりはしない。 ジェンシーは彼女の横に立ってで窓から外を覗く。 「ほら!」 嬉々として彼女が指差す先に金色が見えた。 金色の髪を持つものは珍しくはないが、金髪の人間が森に迷い込むのは珍しい。 ジェンシーを怖がり、森を畏怖し、その森に住まう種族を恐れている。 迷い込むこともそうだが、まずこの森の入り口まで来ること自体稀なこと。 それなのに。 「……ここまで来れるなんて」 「不思議ね。あたしのお友達たちも騒いでないし、あの子もなんだか怖がってるそぶりもないみたい」 ランは尖った耳をひょこひょこと動かし、周囲の音を収集する。 鳥の声は高らかに歌い、狼たちは狩の作戦を打ち合わせ、魔物たちは麗らかな日差しを楽しんでいる。いつもの光景だ。 「どうする?」 彼女の弾む声を聞きながら、ジェンシーはふらふらと屋敷に近寄って来る金髪の少女の動きを目で追う。その視界の隅でランの耳がぴくりと動き、直後にノックの音が階下で響く。 どうしようか、なんて考えるだけの余裕のある性格ならいいのだけれど、どうしても急かされているような気がして足が先に階段へ向かい始めてしまう。 「ランちゃん。悪いんだけど、お水でいいから用意しておいてもらえない?」 「はぁい。零さないように気をつけるわ」 零さないようにか、とジェンシーは苦笑いを浮かべた。 彼女の種族には種族特有の歓迎の形があるのだが、そうするとは言わないらしい。距離を置きたがっているのは何も一方的なことではない。 階段を降り、ドアを開ける。 自分の頭部に着く角で傷付けないようにと大きくしたドアの小さな隙間から、先ほどの少女が現れる。彼女の頭部に角はない。 長い金髪は整えられているものではない。きっと惰性で伸ばされたものなのだろう。その髪がかけられている耳は丸みのある人間のものだった。 そんな彼女の糸がほつれている服を見ると自分の整っている服装が申し訳なく思える。 「……えっと」 開けたはいいものの、なんと声をかければいいのか。 恐れられている通り脅したほうがいいのか、まずは要件を聞けばいいのか。 客人を迎えるなんてことがないため正解らしいものは何度考えてもわからない。その結果、今2階にいる客人のように自由気ままに入り込ませることを許してしまったのだろう。 「あなたが、森のバケモノ?」 少女は伏せていた顔を持ち上げ、自分を見上げながら淡々と訪ねて着た。 表情らしい表情のない冷めた顔つきだからこそ端整さが際立っているようだった。だからこそ、柔い色の金髪とは違う黒赤色の瞳が目につく。 「バケモノ、かな」 ジェンシーは自分の角を撫でる。 「それなら、都合がいいわ」 彼女は骨の尖が見える華奢な肩を抱きしめ、少しだけ広角を緩めた。 「私のお願いを聞いてくれない? バケモノ」 温度のない棘だらけの声。 だが、不思議と敵意を感じることはなかった。 ◇ 屋敷に少女を招き入れ、2階の広間に彼女を通す。 彼女のために椅子を引き、そこに座らせてから自分は正面に腰を下ろす。 「それで」 お願いというのは、と聞きかけて一旦口を閉じる。 「えっと、お嬢さん? お名前は」 「……いいわ、そんなもの。あなた、バケモノなら人間をバケモノにする方法も知ってるんじゃないの?」 ジェンシーの後ろに立っていたランが「あら」と小さく声を漏らす。 「この水を飲んだらバケモノになるとか、そういうことはないの?」 「残念ながらそれはただのお水よ」 ランが言葉を添えると、少女は飽きたようにコップから手を離した。 「手段ならなんでもいい。私を、バケモノにして」 淡白な物言いばかりだがそのことばかりを繰り返す。 顔に表情が出ずとも彼女の真意は分かる。 たかが少女の時点で警戒には値しないのだろうけれど、どうやら自分たちを討伐しに来たようではないらしい。 ジェンシーがしぼむようにため息をつくが、少女は構わずに用件を繰り返す。 それを手を振って止めてから、話を切り出す。 「バケモノに……一応できないことはないよ。この屋敷にその手段がある。でも」 「なら、それで私をバケモノにして」 「待ってよ。いくらなんでも理由を聞かせて。人間を辞めるってことがどういうことかは分からないけど、俺たちだって別の種族に転身するってことにはリスクがある。人間の、その……脆い身体だと俺たち以上のリスクがあるんだよ」 言葉を詰まらせるジェンシーとは打って変わり、少女はさらりと「それの何が問題なの?」と一言。 「何って……下手をすれば死ぬかもしれないってことが、だよ」 「……」 少女は無の顔を一度伏せ、次にあげた時にはその眉を少し下げて苦々しく笑った。 「なら、なんの問題もないわ。どうせ明日には終わる命だもの」 今までとは違う硬度の欠けた声。 「……それは、どういう?」 「脆くない身体を持つバケモノにそんな文化があるかは知らないけど、人間は体だけじゃなくて精神も脆いから、何かあればすぐに何かにすがろうとするの」 少女は肩を落として、少ししおらしくなりながら言葉を続ける。 「村が助かるためとかいって、そんなのは嘘。助かりたいのは自分よ。みんなそう。だから波を立てないように周りを伺って意見を動かして、落とし所を見つけるの」 ひどい話でしょう? と。 垂れる前髪の隙間から見えていた赤黒い瞳が瞼に隠れる。 「……その話はいいの。私も同じ意見よ。少数の犠牲で大多数が助かるのなら、やむを得ないと思うもの。そう思うのは難しいことじゃない。それでも全肯定の意見ばかりじゃないのは、その少数の犠牲に自分がなりたくないからよ」 「………つまりは、どういうことなの?」 少女は自身を抱くように身を縮こまらせ、顔だけを微かにあげる。 「村に蛮族が来たの。彼らは人が欲しいらしくて、村全体を奴隷にしようとしたわ。でも村長の目覚ましい交渉で、数人差し出すことで村を出て言ってくれることになった」 「……君は、その差し出される側になってしまったということ、だね?」 「そうみたい」 「……その賊は働き手が欲しいってこと?」 「違うと思う。欲しがったのは女ばかりだから」 酷なことを言わせた。 なんて悔いよりもさきに、少女の熱のない声にぞくりと背筋を刺された。 「売られるんでしょうね。だから命は明日まで」 「それ。その話」 バン、とランが机を叩く。 「女の人たちがいなくなることに、男の人たちは文句はないんですか」 「知らない。私の家に男の人はいないから。でも前から村を取り仕切っていたのは男の人ばっかり。女の人が意見を言っても無駄。私は頭が悪いから、それがどういうことなのかは知らないけれど」 赤黒い目が一瞬尖を増した気がした。 「だから、バケモノになりたいの。人間はバケモノが嫌いよ。きっとあの野蛮人どももバケモノは欲しがらない」 「……」 そう、なのかもしれない。 人間はバケモノが嫌いだ。 この森に自分が居座り始めたばかりの頃、何人も何人も自分を殺しに来た。 ニンゲンに『敵意はない』は通じない。 いい選択ではないのだろうとは人間でない自分にも分かるけれど、でも化物である自分に言わせれば化物であることの欠点は見当たらない。 止める言葉を持ち合わせない。 でも、きっとだめだ。 人間から寿命を取り上げては、きっとダメだ。 死ねるという選択がなくなるということがどういうことなのか、何度も刺されたこともあって分かってるつもりだ。痛いだけは苦しい。 だというのなら、尚更否定が遠のく。 彼女は、死にたくないと言っているのだから。 「ジェンシー」 ランの声に我に帰る。 「してあげてもいいんじゃない?」 「……そう、思う?」 「えぇ。人間の迫害はなくならないわ。こっちが、迫害されないように手を尽くさなければいけないの。不思議な話だけど」 そう。 だから彼女は人に疎まれている森に住居を移した。 殺されないために。 「……分かった」 自分に『王』としての器は感じないけれど、そう支持されてしまったのならなるべく答えられるようにしよう。 人間でない自分に人間である彼女を守ることはできない。 目をかけるためには、彼女にこちら側に来てもらわなければ。 自分には助けられない。 「君を、バケモノにしてあげる」 そう言ったときに見せた彼女の笑みは、まるで花のようだった。 ◇ 「……お答えられる気はしないけど、それで、あの、何になりたいとかそういう要望はあったりするの?」 地下の書庫に場所を移す。 となりに魔法陣を描けるほどの面積のある部屋もある。 「あるわよ」 希望が見え始めたのか、彼女の動きは少し軽快になった。 今もぴょんぴょんと本棚の高い本に手を伸ばしている。 「強いバケモノになりたいわ。怖がられたいの」 「……怖がられてもいいことないよ」 「そう? でも怖がられたらきっと、売られたりなんかしないわ」 「売られたりはしなくても、殺されたりはするよ」 「殺される? どうして」 「怖いからだよ」 「でも、強いんでしょう?」 「………」 そうだね、と会話を切る。 彼女は自分よりよっぽどたくましい。 ……たくましいのか、それともそれほどまで考えをゆがめられてしまったのか。 自分にはどうしてその考え方ができないのだろう。 そんなことに頭を痛めていると、彼女の足音が不意に静まった。 「どうかした?」 「私があなたと同じになることはできないの?」 「……僕と?」 「そう。だって、一番強いんでしょう?」 「……強くないよ。強くしてもらってるだけ」 「……?」 「森のみんなに助けられてるだけだよ。君には向いてない。君はきっと一人でなんでもできるだろうから」 「皮肉。できたら森に入って来たりしてないわ」 浮かれていた声が地に落ちたのを感じ、ジェンシーは反射で「ごめん」と謝る。 「いいえ。私の方こそごめんなさい。迷惑をかけてるわね。ねぇ、一番簡単になれる種族ってなに?」 「……悪魔、かな」 「……悪魔」 少し表情を見せ始めた彼女の初めて見る恐怖の声だったかもしれない。 珍しくない存在だから、きっと彼女の耳も聞き覚えがあるのだろう。 彼らは魂を黒くすればいいだけだから容易だ。 幸いか、それとも不幸か。彼女にはそう染まれるだけの恨みもありそうだから。 「……悪魔って確か、願いを叶えられるのだっけ?」 「一応ね」 「それをしなかったら死んでしまうとか、そういう約束事みたいなのはあるの?」 「ないよ。しなくても大丈夫」 「ほんと?」 「本当」 「そう。じゃあ」 本棚に張り付いていた少女は跳ねるようにジェンシーの前まで戻ってきて、背丈の高い彼を見上げながらころっと笑う。 「私を悪魔にして」 無邪気に頼むことじゃないだろうに。 そう思いながら、彼女の金髪に手を乗せる。 「角が生えるかもしれないよ」 「外せないの?」 「残念ながら」 「そうなの。でもいいわ。あなたとお揃いになるだけね」 「……尻尾も生えるかも」 彼女の背筋を撫でる。 「切れたりする?」 「しない」 「邪魔になったりは」 「どうだろう」 「あなたにはないの?」 「僕にはないね」 「そう。お揃いじゃないのね」 「あとは、牙とか」 少女の両頬を包むように手を添える。 「生え変わる?」 「いいや」 「折れたりは?」 「しない。いや、どうだろう。固すぎるものをかじったらもしかすると」 「あなたに牙は?」 「あるよ」 答えると、彼女の手が下から伸び、自分の頬を撫でる。 体温があるのは何も人間だけではない。自分にもある。 けど、ひょっとすると。 人に優しくされるのは初めてかもしれない。 彼女の細い指が自分の頬を横に引っ張る。 伸びる唇が隙間を生じさせ、その中が暴かれる。 「あ、ほんとうだ」 私のことは齧らないでね、なんて。 彼女はいたずらっぽく笑った。 悪魔とは黒い存在。 そうなってしまった彼女は、はたして今みたいに笑えるんだろうか。 そんなことで不安になったがきっと彼女は笑うことを望んでいるわけではない。 「おいで」 ジェンシーは小さく手を招き、彼女を隣の部屋へと誘った。 ◇ 「ねぇ、ジェンシー」 昨日いつのまにか自宅に帰っていたランは翌日、また出窓から侵入してきた。 そしてその出窓に我が物顔で腰を下ろす。 「昨日のあの子は?」 「一旦村に帰るって。何もできないけど結末は見たいんだってさ」 「ふーん。そうしたらまたここに戻ってくるの?」 「多分ね。僕は一応帰っておいでって言ったよ」 「ふーん……」 ランは遠くの空を見つめながら足をパタパタと動かす。 落ち着きがないのはいつものことだが、耳まで忙しないのは普段のことではない。 「ランちゃん?」 もしかして自身が追われていたときのことを思い出しているんだろうか。 だったらどう声をかけよう。 「ねぇ、ジェンシー」 「な、なに?」 気遣いも模索していたところで強く声をかけられた。 「あなた強いんでしょ。ねぇ、あの子が言っていた蛮族ってやつ、とっちめちゃいなさいよ」 「え。え? なんで」 「なんでって、腹たつからよ。弱いものいじめを楽しむ奴はクズよ」 「ちょ、ちょっと。ランちゃん。言葉がきついよ」 「ジェンシー、あなた魔物じゃない。人間やっつけて、箔つけちゃったらどう?」 「どう? じゃないよ。そんなのいらないし。あっても困るし……」 「……」 むすっとしたランは目を細めながら「意気地なし」と歯を剥く。 「じゃあいいわ。あたし一人で行ってくるから」 「え!? だって、ランちゃん、戦闘向きじゃないじゃん」 「向いてる誰かさんが何もしないっていうんだもの」 「……だって」 「だってじゃないわよ! ほら行くの!」 「えぇ……、え、あ!」 彼女は風のように軽い。 2階から飛び降りることはなんの問題でもない。が、自分はそうではない。 地面が近づき、思わず目を閉じたがふんわりと体が浮いた。 そのまま足が地につかないまま手を引っ張られ、屋敷が遠くなって行く。 下ろしてくれと抗議をしたが、むしろ走るのが面倒だという彼女の意見で空の道を行くことになった。 ◇ あんな出発で心の準備というものをする時間がなかったが、そういえば森を出たのはいつぶりなのだろう。 なんて感傷に浸れる時間はなかった。 あの少女が過ごした村に着くと、そこは、およそ廃村に間違いなかった。 空の道中で黒い煙が見えた時点で予測はできていたが、まさかその村の中央に佇む唯一の生き残りが彼女であろうことまでは予想できるはずもない。 倒壊した家。 倒れる人間。 横たわる材木。 その中、立ち尽くす少女、だった後ろ姿。 その背には今、黒ずんだ羽が生えている。 コウモリのような、薄い羽。とてもじゃないが飛べはしない。 その羽を見て、ジェンシーは息を飲んだ。 彼女がなれたのはせいぜい、下級の悪魔。 底辺の悪魔に飛行技術はない。ただ器官として存在しているだけで機能はしない。そんななくても構わないものは収納が効くような都合のいい体をしている。 ただし、力が満ちている時。すなわち、悪魔としての本領を発揮した後しばらくは力が高まるゆえに、本来の姿を晒さざるを得ない。 彼女は今、まさしくその状態。 悪魔としての力を使った、後の状態。 使った。 何に。 「あら、ジェンシー。来たのね」 彼女は金髪を耳にかけて口元だけで笑う。 「……」 呼びかけようとしたが、そういえば名前を知らない。 「何、したの?」 「何って」 赤黒い瞳がどうにも禍々しく見えてしまう。 「願いを叶えてあげたの。さらわなければいけないほど人手不足、もしくは資金不足みたいだったから、そんなこと考えなくても済むようにしてあげたのよ」 いいことしたでしょう? と出会った頃のように、平坦に。 「ジェンシー」 倒れる人間を蹴飛ばして、近くの物に火を放って。 彼女が堂々と、ゆっくりと、近づいてくる。 「バケモノって素敵ね」 それは無の表情。 心を開いてくれる前の。 「……」 違う。 彼女はきっと、こっちが素なのだ。 何も浮かべない表情が、ありのまま。 以降の無邪気な方が、偽。嘘。 心を開いたのは、彼女じゃない。 開かされたのは、自分だ。 彼女が、この結末をもたらすために。 そりゃ、敵意を感じないわけだ。 彼女は心底なりたがっていたのだから。 人ではない。 バケモノに。 「あのね、ジェンシー。素敵な力だけど、まだ全部は把握できてないみたい。だから、もう少し色々と教えてくれるかしら」 手を取られる。 バケモノとバケモノの手。 同族の手。仲間の手。 「あ。そういえば、名前、教えてなかったわね」 目を覗き込まれる。 バケモノの目。 そういえば、自分の目は何色だっけ。 何色と何色だっけ。 白目はあったっけ。 彼女は確か、あったはず。昨日までは。 「私は、ロゼ。よろしくね」 彼女は、またあどけなく笑って見せた。
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