常識

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 いつ頃からだっただろうか。俺があの概念に疑問を持ち始めたのは。  思えば俺は幼い頃から、なんとなく周りの人間たちに対して違和感を感じていた。  小学校の高学年くらいになると、周りは常識とやらにしたがって行動しているらしいことが判ったが、常識という概念が全く理解できなかったため、特に気にも留めなかった。  中学の頃、常識というものはどうやら生活していく過程で形成されるものらしいと知ったが、なぜ周りの奴らはそんな曖昧なものにこだわるのか全く理解できなかった。  高校の頃の俺はいわゆる問題児だった。俺を殴ったクラスメイトを消火器で殴ったり、筆箱を隠したクラスメイトの荷物を鞄ごと焼却炉で燃やしたり、バケツの水をかけたクラスメイトを池に突き落としたり、そんなことがあるたびに教師に呼び出されて説教を受けていた。そしてそのたびに俺の担任は同じセリフを言った。 「まあ、お前の気持ちも分からんではないが、物事には限度というものがある。やって良いことと悪いことくらい常識で考えれば分かるだろう?」  いつもこんな感じだ。 「先生、その常識というものはそんなに大事なものなんですか?」 「なんだと?」 「例えば先生、日本では常識でも、外国では常識じゃないなんてことざらにありますよね?50年前の常識だって今だったら通用しませんし、明日通用しなくならないとも限らないものになんでそんなにこだわるんですか?」 「確かにそうかもしれないが、郷に入れば郷に従えと言うだろう」 「そうですね。でもそのことわざって、風俗や習慣が土地によって違うことが前提になってますよね?」 「そうだ。だからその土地や環境のやり方に従うのが賢い生き方だということだ」 「やっぱり理解できません。もしそんな普遍性のない不安定なものに従うのが賢い生き方だというのなら、僕は馬鹿で構いません」 「もういい!君には何を言っても無駄なようだ!帰りなさい!」  結局最後はこうなる。  俺は何度となく停学をくらった。それで、結局俺が出した結論は、『高校など常識とかいう無益な概念に縛られる無能の集まり』だった。そんなわけで俺は高校を中退した。  高校を中退した俺は、大学なら常識に縛られない人間がいるのではないかと考え、高等学校卒業程度認定試験を利用して、大学に進学した。しかし、俺の期待に反して、大学でも依然として周りの学生は常識とやらに縛られるくだらない人間ばかり、少しはましかと思った教授もいたが、結局大したことはなかった。  大学を卒業し、俺は一般の企業に就職した。だが、そこの人間も常識に縛られるくだらない奴らばかりだった。もっとも、最初から期待はしていなかったが。  結局一年ほどで会社を辞めた俺は、常識に縛られない人間がいる場所を求め各地を転々とした。だが、それは無駄な努力だった。場所によって、多少の違いはあれど、どいつもこいつも自分が属する集団の常識に縛られるくだらない奴らばかり、結局のところこの世界に常識に縛られない人間などいないのだ。  ならば、俺はどうすればいい?答えは単純だった。人間であるから常識に縛られるのなら人間であることをやめればいい。自分が人間であることを捨てればいいのだ。俺はその結論にたどり着き、人間であることを捨てた。  人間であることを捨ててからしばらくは俺の姿は人間の外観を保っていた。しかし、人間を捨てたものが人の姿のままでいることを神は許さなかったようだ。次第に俺の犬歯は長く鋭くなり、筋肉が異常に発達していく、さらに額からは角が生えてきた。俺はもう人間の世界では生活できないことを悟り、一人山の中へと身を隠すように移り住んだ。山に住むようになってからは俺の体は以前にも増して早く変化していき、二月(ふたつき)も経った頃には俺の姿は完全に化け物になっていた。俺の体が完全に化け物となってから、心も次第に化け物になっていったようで俺は山で野生の鹿や猪を捕まえては、その生肉を食らうようになった。  山に移り住んでから半年ほど経った頃、どこからききつけたのか大勢の人間たち俺の住処(すみか)へと押しかけてきた。奴らは武器を手に俺に襲いかかってきたが、俺の厚く硬い皮膚には傷一つつけられない。結果、俺は無傷で人間たちを全員殺してしまった。  まずいことになった。人間を殺してしまった。こいつらが帰らなかったら、仲間がここに来るだろう。 (逃げなくては)  俺はそう思い。そこからできるだけ遠くに逃げることにした。  その日から俺は人間から逃げ続けた。できるだけ人が近寄りそうもない場所を探して逃げた。それでも見つかれば、殺してまた逃げる。その繰り返しだった。やがて、警察や自衛隊が動き出し、逃げられる場所も減っていき、俺は追い詰められ、最後には捕まった。  そして今日、俺は処刑される。常識に縛られる人間に、常識に縛られない俺は殺される。俺は「常識」に殺される。どこで間違えたのか、俺の頭の中にこれまでの人生が走馬灯のように思い出される。小学校で、スカしたやつといじめられていたこと。中学で、KYと言われハブられていたこと。高校で、校舎裏でリンチされていたこと。俺が常識に従わなかったことで受けた様々なことが思い出された。 「最期に、何か言い残すことは?」  刑務官が俺に問いかける。  俺は答える。 「よく覚えておけ、たとえ俺を殺しても、第2第3の俺が現れる。お前たち人間が常識などというくだらない概念に縛られて生きている限り俺は何度でも蘇る」  そして、俺は死んだ。
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