絶海に秘める恋唄(美形兄弟BL)

3/17
104人が本棚に入れています
本棚に追加
/17ページ
 とりあえず、荷物と部下を島に一つだけある旅館――とは名ばかりの小さな民宿に押し込むと、聡介は生まれ育った生家に一人で向かった。  この島に人が定住を始めたのは、九州南部がまだ熊襲と呼ばれていた頃。その頃にはすでに神社も存在し、島民の信仰を一手に集めていたという。ただ当初は、祭祀は島民たちが持ち回りで勤め、神事を一手に請け負う一族なるものは存在しなかった。  海神の怒りも、当初は持ち回りで鎮めていた。  ところが、ある時期からその役目は特定の一族に任されるようになった。彼らは、神社と同じ祀津の名を与えられ、以来、一切の神事を担い続けた。その一族こそが祀津家であり、聡介と、弟の那由多が生まれた家だ。  やがて長い坂の上に、石造りの古い鳥居が見えてきた。  鳥居をくぐると、そこには十一年前と同じ光景が、ここだけ時が停まっていたのではと疑わしくなるほどそのまま残されていた。  古いが清掃の生き届いた本殿と境内、直会その他、島の自治に関わる会合に用いられる社務所。神楽や、たまに島を訪れる旅の一座の演劇に用いられる能楽堂。近年では映画の上映に用いられることもあり、聡介も子供の頃はよくここで大人に紛れてハリウッドの名作を見た。  敷地の隅に建てられたクジラやイルカの鎮魂碑は、かつてこの島に、そうした大型海洋生物を漁る伝統が存在したことを伝えている。が、先の大戦で働き盛りの若者がごっそり徴兵された際、そうした伝統はぷっつりと途絶えてしまった。もっとも、今の島民にはその方が救いだったのかもしれない。現在、不知火海沿岸の住民を襲う慢性的な水銀中毒は、大型の海洋生物ほど食した場合の発症率が高まると言われているからだ。  しかし境内には、そうした時代の移り変わりとは無縁のまま十一年前と変わらぬ光景が広がっている。  それでも、変わってしまったものは確かにある。  父が死んだ。かつて祀津の当主を務めた父はもうここにはいない。同時にそれは、新しい当主の誕生も意味していた。祀津家当主は空席が許されない。前任者が命を落とせば、すぐさまその後継者が空いた席に据えられる。本来は、長男である聡介がそこに据えられるはずだった。だが島民は、島を飛び出したきり行方知れずとなった兄ではなく、同じ島に暮らす弟を次期当主に選んだ。その選択自体は至極まっとうで、聡介にも異論はない。ただ――  間に合わなかった。  父は、年齢的にはあと二十年、いや三十年は生きられるはずだった。それまでに何とか例の現象の原因を、と寸暇を惜しんで研究に明け暮れてきた。なのに……  背後で、玉砂利を踏む乾いた音が立ったのはそんな時だ。  島民達は迫る嵐に備えて漁具のしまい込みや舟の陸揚げ、雨戸の打ち付けに余念がない。そんな中、悠長に神社の境内をうろつく人間がいるとすれば、余程の暇人か、さもなければ神社の関係者だろう。  神社の関係者、つまりは―― 「……兄様?」  その声に、覚えず聡介は呻く。あの頃に比べると随分と落ち着いている。それでも、どこか儚げで清冽な印象は当時と何も変わらない。  おそるおそる振り返る。  十一年ぶりに再会した弟は、身長こそ当時に比べて伸びていたものの、声と同様、怖いほどに昔日の印象を留めていた。  その那由多と、かつて聡介は愛し合う関係にあった。
/17ページ

最初のコメントを投稿しよう!