開かずの間

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母方の祖母が亡くなった一年後、親戚同士の話し合いで実家を解体することが決まった。 田舎町にあるその家は、平屋建てだがとても広くて大きな家だった。 祖父母としては、長男に継いでもらおうと思っていたようだが、長男は拒否をして他に家を買ったという。 広くて立派な家といっても、すでに100年は経っている。 改修は一度したきりで、今では壁は汚れ、天井の隅には蜘蛛の巣が張り、廊下はひどく軋み、隙間風がひどくて冬場はとても寒い。 掃除するにも部屋数が多くて大変で、すでに高齢だった子供たちには耐えられない。 孫が手伝いに来ることなど滅多にない。 伯父さんたちもそれぞれに家を持ち、母や伯母さんたちは嫁いでしまったから、両親が亡くなった今、もう誰も住まないだろうと。 私はそれを聞いて、少し複雑な気持ちになった。 幼い頃、私もよくその家で母と一緒に夏休みを過ごした。 私には、三つ上の美里おねえちゃんと二つ上の悠太郎にいちゃんという年の近い親戚が二人いた。 二人もよく夏休みになると、祖父母の家に泊まりに来て、一番年下だった私はよく遊んでもらった。 家の前には畑があって、そこにはスイカやトマトが生っていた。 裏山には大きなカブト虫がたくさんいて、悠太郎にいちゃんとよく秘密基地を作って遊んでいた。 少し足を延ばせば小さな川もあった。 夏休みなんて、あっという間に過ぎた。 家はいくつも部屋があり、隠れんぼや追いかけっこなんかもした。 悠太郎にいちゃんは隠れるのがとても上手かった。 そんな祖父母の家には、開かずの間と呼ばれる部屋があった。 閂に厳重に鍵がかけられていた。 伯父さんに何の部屋かと尋ねたら、ただの物置部屋だと言われた。 けれど、私達はいつもその部屋が気になっていた。 私が小学四年生だった時。 その年の夏休みも祖父母の家に泊まりに来たが、その時は両親の事情で美里おねえちゃんは来なかった。 だから、いつもみたいに髪を可愛く結んでもらったり、折り紙を作ってもらったり、お絵描きして遊ぶことはできなかった。 子供は私と悠太郎にいちゃんと二人だけ。 裏山で駆け回って探検したり、昆虫取ったりと、男の子遊びばかり。 それはそれで楽しかったけれど、悠太郎にいちゃんはちょっと意地悪。 私が嫌いな蜘蛛を近づけたり、裏山に置いて行かれたり、川の水を顔にかけられたり。 そういうところが、少し嫌いだった。 ある日、私と悠太郎にいちゃんは開かずの間の前を通りかかった。 部屋の事は、悠太郎にいちゃんも気になっていた。 悠太郎にいちゃんの話では、部屋の中には怖いオバケがいるから入ってはだめとお母さんに言われたらしい。 入ったら呪われちゃうよ。 と脅かされたそうな。 絶対、何か隠している。 誰にも見せたくないお宝があるに違いない。 絶対にお宝を見つけるんだと悠太郎にいちゃんは意気込んでいた。 私はオバケが怖かったし、見つかって怒られるのは嫌だったけど、断ったら二度と遊んでやらないと言われて、私はそれが悲しくて仕方なく悠太郎にいちゃんに付き合うことにした。 でも、開かずの間には鍵がかけられている。 誰が持っているのか、私は知らなかった。 「鍵は?」 「俺知ってるよ! どこにあるか」 悠太郎にいちゃんは、すでに鍵の在処を知っていた。 それは仏間にあるご先祖様の仏壇の引き出しの中。 叔父さんが開かずの間から出て来た後、鍵を仏壇の引き出しにしまうところを目撃したんだと悠太郎にいちゃんは言った。 そして、悠太郎にいちゃんは夜中に仏間に入り、こっそり鍵を頂戴した。 伯父さんたちは、朝食を食べ終わると仕事に向かい、祖母や母たちは畑仕事を手伝いにいく。 そして昼までの時間は、家の誰もいないことが多い。 その時を狙って、私と悠太郎にいちゃんは開かずの間に入ることにした。 ギシギシと軋む廊下の奥。 古い錠が掛けられている開かずの間。 悠太郎にいちゃんが鍵を差し込み、力一杯捻るとようやく解錠できた。 立て付けの悪い引き戸。 私と悠太郎にいちゃんは力を合わせて戸を開けた。 すると、窓のカーテンが閉まっていて部屋の中は薄暗く、一歩足を踏む入れると埃とカビのニオイが鼻についた。 私は悠太郎にいちゃんに言われ、万が一誰か通ってもバレないように部屋の戸を閉めた。 部屋は六畳ほどで、他の部屋よりも少し狭い。 床にはこの家には珍しくマットが敷かれていた。 私は換気と明かりが欲しくてカーテンを開けようとしたが、レールが錆びているのか引っかかってしまって動かなかった。 埃っぽいカーテンを少し捲ると、その窓には格子がはめられていて、ガラスは埃と汚れで曇っていた。 窓の向こうは、お隣の宮前さんの家だ。 曇った窓ガラスをみてそう思っていた。 一方、悠太郎にいちゃん、棚に置かれたものを物色していた。 棚には、箱に入ったボードゲームやべーゴマ、おままごとセットやビー玉、おはじきが入った缶かんがある。 昔の服や靴、軍服や掛け軸、写真アルバムや本が積まれていた。 それに隠れるように、軍帽を被った軍人さんの写真立てが飾られていた。 どれも古くて、上には薄っすらと埃が被っている。 段ボールには、叔父さんや叔母さんが子供の頃に描いた絵や学校の教科書なんかが入っていた。 悠太郎にいちゃんが何かを漁る度に埃が舞い、私は咳きこんでいた。 私は逃げるように、棚の裏に移動した。 そこは色々とゴミが散らかり、床にはノートの切れ端のようのものが落ちていた。 でも、何が書かれているのかは、私には難しくて読めなかった。 棚の裏側には大きな観音開きのクローゼットが置かれていた。 取手近くには鳥の画が彫られ、その脇に小さな鍵穴があった。 「何か見つけた?」 悠太郎にいちゃんが棚の隙間から顔を出し、私に声をかけた。 大きなクローゼットがあると、私は指を差した。 すると、悠太郎にいちゃんは「おっ!」と反応して、私を押しのけて扉の前に立ち取っ手に手をかけた。 けれど、古いせいか扉はなかなか開かず、悠太郎にいちゃんは顔を真っ赤にしていた。 私はそんな悠太郎にいちゃんをぼーっと見ていた。 「お前も手伝えよ!」 悠太郎にいちゃんは怒りながらそう言った。 私も片方の取っ手を持って、力いっぱい引っ張ってみた。 すると、クローゼットの扉はギギギと音を立てて開いた。 中からカビ臭い空気が漂って来た。 だが、予想に反してクローゼットの中には何もなく、ただハンガーを引っかける棒だけがあった。 悠太郎にいちゃん、中を覗き込んで細かく見ていた。 何も無いのに。 突然、「何か書いてある!! お前も見てみろよ」 悠太郎にいちゃんがクローゼットの内側の壁を見ながらそう言った。 私は正直興味もなくて断ったけど、悠太郎にいちゃんはしつこく「面白いことが書いてあるから見てみろ」と言うので、仕方なく中を覗き込んだ。 でも、暗くてよく見えない。 「見えないよ?」 「もっと近づいてみろって」 私はクローゼットの中に手をかけて、壁に顔を近づけた。 その時。 ドンッ! 私は背中を押されて、クローゼットの中に押し込まれた。 その拍子に、おでこを壁にぶつけて痛がっていると、クロ―ゼットの扉を悠太郎にいちゃんに閉められてしまった。 閉まり際、悠太郎にいちゃんの意地悪そうな顔が見えた。 真っ暗なクローゼットの中。 けれど、扉の間には僅かな隙間があって、そこから悠太郎にいちゃんの姿が見えた。 私が扉を開けようとしても、悠太郎にいちゃんが外から抑えて開かないようにしている。 ガチャ 取っ手の間に棒のようなものがはめられ、開かないようにされてしまった。 「やめてよ!出してよ!」 隙間から見える悠太郎にいちゃんは、面白そうに笑っている。 暗くて狭いクローゼットの中で、私は不安と恐怖が込み上げて来た。 「ねぇ、出してよ!」 「ほら、隠れんぼだよ。鬼はお前のおばちゃんだよ」 私は扉をバンバン叩いたけれど、やっぱり開かなかった。 「さ、この部屋の探索も終わったし、アイスでも食べようかな。それじゃ、鬼さんに見つかるまで隠れてな」 悠太郎にいちゃんは隙間から私のことを覗いて笑った。 その時、悠太郎にいちゃんの後ろに人影が見えた。 伯父さんが来たんだと思った。 でも、それは軍服を着た若い男のようだった。 「お兄ちゃん、ここから出して!」 私はとにかく外に出たくてそう叫んだ。 悠太郎にいちゃんは、軍人さんを見て慌てていた。 近づいてくる軍人さん。 隙間からよく見ると、その軍人さんは顔がわからないほど顔や手足に包帯を巻いていた。 そして、軍人さんが近づくにつれ、聞こえてくるのは飛び回る不快な蝿の音。 この人は一体誰なのだろう。 そう思いながら、私は隙間から悠太郎にいちゃんの様子を見ていた。 パニックになっている悠太郎にいちゃんは、棚に張り付きながら、 「ミイラ男だ! なんか変なニオイがするし、気持ち悪いし、あっち行けよ!バケモノ!」 クローゼットの隙間から見えた軍人さんの目は、とても悲しそうだった。 軍人さんは悠太郎にいちゃんの前で、左手の包帯を取っていった。 すると、その手は焼けてしまったような肌をして、しかも化膿しているのか皮膚と粘液が包帯にくっつき、解くたびにヌチャヌチャと音がした。 そして、何か小さな白いものがポロポロと床に溢れ落ちた。 ウネウネと動いていたそれが蛆だとは、その時は知らなかった。 悠太郎にいちゃんは恐怖で顔が引きつり、今にも泣きそうな顔をしていた。 床に落ちた蛆が、悠太郎にいちゃんの足元に向かっていくのが見えた。 そして、足の上に這い上がってくると、悠太郎にいちゃんは踊るように足を動かして、蛆を払いながら部屋を飛び出して行った。 床にはたくさんの蛆が残されている。 床にカランと鉄の棒が落ちる音がして、クローゼットの扉がゆっくり開いた。 目の前には、軍人さんが何も言わずにただただこちらを見て立っている。 包帯も軍服もボロボロで、爛れた腕は痛々しかった。 軍人さんの目から怒りと悲しみが伝わってくる。 わたしは怖くて震えていた。 けれど、ふと軍人さんの顔を見て、棚に置かれていた写真を思い出した。 きっと、あの写真の人なんだと私は思った。 それに、こうしてクローゼットから私を出してくれた。 私は軍人さんに頭を下げると、「お兄さん、どうもありがとう」と言った。 軍人さんは少し驚いたあと、微笑んだように目を細めた。 軍人さんは蛆が纏わりついた両手をギュッと握った後、今度はパッと手を開いて見せた。 そこには蛆ではなく、両手いっぱいの桜の花びらが乗っていた。 軍人さんが両手を振りあげると、たくさんの桜の花びらが私の頭の上から降り注いだ。 床にいた蛆も、いつの間にか桜の花びらに変わっていた。 こんな季節に桜が咲いているはずもないことはわかっていた。 けれど、ヒラヒラと舞い落ちる桜の花びらがとても綺麗だった 私の手の平にも、確かに桜の花びらが乗った。 私は嬉しくて、もう一度軍人さんにお礼を言おうとしたけれど、すでに軍人さんの姿はなく、気が付くと手の平の花びらも消えてなくなっていた。 それから、私が開かずの間を出ると、喧嘩している悠太郎にいちゃんと伯母さんの声が聞こえた。 開かずの間にバケモノが出たと騒いでいた。 伯母さんは、入ってはいけない部屋に入ったことを叱っていた。 その後、もちろん私も母に叱られた。 それ以来、あの開かずの間には入っていない。 それから数年後ぐらいに、私はあの開かずの間のことを母から聞いた。 母も詳しくは知らないようだったが、聞いた話を教えてくれた。 遠い昔、桜が咲く季節に祖父のお兄さんが戦争に行った。 お兄さんは、戦地で大怪我を負ったが生きて帰って来られた。 ただ、息子が生きて帰って来たことを父親は喜ばなかった。 むしろ、近所に対して負い目を感じた。 同じ日に戦地に向かった近所夫婦の息子さんは生きて帰って来られなかった。 だがら、父親はご近所の目を気にしてお兄さんをあの部屋に監禁した。 爛れた皮膚には蝿が集り、蛆が生まれひどいにおいが充満した。 送り出す時は称えられ、帰ってきた時には疎まれた。 そして、あの部屋でお兄さんは息を引き取った。 たった独りで。 お兄さんが亡くなってからも、あの部屋からは苦しむ声や唸り声が聞こえ、軍服姿の男性が目撃された。 それが、あの部屋が閉ざされた理由だった。 それを聞いたとき、私は悲しい気持ちになった。 私があの部屋で見た軍人さんも、やはり写真立ての人だったのだろう。 それからしばらくして、母の実家は解体された。 何も残らず、更地になったそうだ。 これで、あの軍人さんの魂も成仏出来ただろうか。 今度は平和なこの時代に生まれ変われることを私は願ってやまない。
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