ヒサトの左手

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ヒサトの左手

「ボクのこっちの手、ときどき勝手に動くんだ」  5歳のヒサトが左手を上げてそう言ったとき、誰もまともに取り合わなかった。保育士は眉をひそめ、取り囲んでいた園児たちは嘘つきだと騒ぎ立てた。 「ホントだよ! だから、さっきのも、ボクがやったんじゃないんだ……」  ヒサトは必死で訴えたけど、友だちを殴り倒した直後じゃあ、その場しのぎの言い訳にしか聞こえない。  地面に尻もちをついてべそをかいていたユウダイに、ヒサトは右手を差しのべた。だけどそれは勢いよく払いのけられ、ヒサトは痛む利き手を握りしめ、一人で泣いた。  家で待ち構えていた母親も、「左手が勝手にやった」という息子の主張を信じなかった。ヒサトはため息をついた母親に、嘘つきは泥棒の始まりだと余計に叱られただけだった。  幼いなりに、ヒサトは悟ったらしい。左手が勝手に動くのは自分だけで、それは誰にも信じてもらえないということを。  それ以降、彼がその話を人前ですることはなくなった。  でもヒサトは間違ってない。嘘もついてない。それを、オレだけが知ってる。  ユウダイを殴ったのは左手(オレ)で、ヒサトじゃない。 「一番の親友だからな!」  そんなふうに言ってヒサトの気を引こうとしたあいつに、オレは無性に腹が立ったんだ。気がついたら殴ってた。ヒサトと同じくらい、オレもびっくりした。  でも悪いのはユウダイだ。だってヒサトの一番は、オレに決まってる。なんたってオレは、生まれたときからヒサトと一緒にいるんだから。
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