瞳の中のストーカー

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 「ねぇねぇ、今日のニュース見た?」  次の講義が始まるまで机に伏せて休んでいた春奈(はるな)に、あとからやって来た由美(ゆみ)が話しかけてきた。 「どのニュースよ?」  由美とは高校生時代からの腐れ縁なので、春奈は面倒くさそうに聞き返した。そんなことはお構いなしに、由美は携帯を見せてきた。 「ほらぁ、これなんだけど」  気怠(けだる)そうに画面に目を向けると、そこにはセンセーショナルな記事が書かれていた。 「ストーカー男、面識のない女子大生を殺害。瞳に写った光景から住所を特定か。 えぇ!? 何これ!?」  読み上げると、春奈は驚いて素っ頓狂(すっとんきょう)な声を上げた。周りの視線が一斉にこちらに注がれる。 「シーッ!」  と人差し指を口に当てるジェスチャーをしたあと、期待通りの春奈の反応に味を占めた由美は、得意げに記事の本文を読み始めた。 「昨晩午後7時頃、板橋区の路上で人が刺されたと110番通報があり、警察官が駆け付けたところ、帰宅途中の大学生、川添優里花(かわぞえゆりか)さんが刃物で刺され死亡しているのが確認されました。犯人は都内に住む28歳の無職の男性で、犯行後現場に立ちすくんでいるところを駆け付けた警察官によってその場で逮捕されたということです。捜査関係者によると2人に面識はなく、SNSで見つけた優里花さんに一方的に好意を寄せていたとみられています。また、優里花さんがSNSに投稿していた写真の、瞳に写った景色から住所を特定したと供述しているということです」  由美は読み終えると、どうだと言わんばかりに春奈の顔を覗き込んできた。 「えー、ほんとなのそれ? 怖すぎじゃない?」  春奈の言葉は純粋に恐怖心から出た言葉だった。自分の知らない所で赤の他人がせこせこと個人情報を収集している。そう思うと身の毛がよだった。 「ていうか、瞳から特定って……。執着力がすごいよね。技術も普通じゃないし。拡大しても瞳の中まで見えないよね、普通。その才能を別のことに活かせよって感じじゃない?」  由美は軽蔑と尊敬の両方が入り混じったような言い方をした。  しかし春奈も全くその通りだと思った。素人が写真をいくら拡大したところで所詮部分的に見やすくなる程度で、瞳の中などせいぜいぼやけた輪郭が見えるくらいだ。  春奈は試しに携帯の写真フォルダから自分の瞳を確認してみた。 「やっぱり何も見えないよ。微かに分かるのは自分で持ってる携帯くらいだよ」  指で精いっぱい拡大してみたが、画質が限界だった。 「なんかツールを使うらしいよ。私たちじゃ知りもしないようなさ。他にも自分が持ってる画像から、似たような画像が載ってるウェブサイトを発見してくれるソフトもあるらしいよ。だから瞳に写った建物から、不動産のページに飛んで住所を特定できたんだって」  由美はこの事件について事前に詳細を調べてきたらしい。得意げに春奈に解説してみせた。  それから唐突に春奈に対して警告を出した。 「春奈も気をつけなよ。あんたのやってること結構危ないわよ」  さっきまでと打って変わって真剣な面持ちをしている。 「殺された優里花さん、ネットでアイドル活動をやってたんだって」  春奈はSNSに自撮り写真をアップしている。由美はそのことを指しているのだ。  人前でこそ言わないが、春奈は可愛いという自覚があった。最初はそんなことは微塵にも思っていなかったのだが、SNSを始めてから次第に自分の美貌に気づき始めた。当初は友達との記念写真やタピオカドリンクといった、至って健全な写真を投稿していたのだが、不特定多数に公開設定していたため、いつの間にか見ず知らずの人たちからフォローされるようになった。特に自画像を上げた時にフォロワー数の増加が顕著で、写真を上げる度に芋づる式に増えていった。多数の人からいいねやコメントをもらうことに味を覚えた春奈は、無意識のうちにSNSの深みにはまっていった。承認欲求を満たすためにいいねの数がステータスとなり、辞められなくなっていた。 「私は大丈夫だよ。私、アイドルじゃないし」  こう返事した春奈には、ネットストーカーなど自分とは全くの無縁であり、他人事のようにしか思えなかった。  その夜も、 「これから寝ます」  という文面とともに、ピースとウインクしている写真を掲載した。みるみるいいねがつき、充足感を得ると、眠りにつこうとした。しかし携帯の電源を切ろうという時、ふと写真の中の自分の瞳に吸い寄せられた。由美から気持ち悪い話を聞かされたせいだと分かったが、寝れなくなった春奈は、 「まさか」  とは思いつつも、自分の投稿した写真を見返してみた。 「瞳の中の景色なんて判別できるのかなぁ」  自分の瞳の中を覗くなんて何だか不思議な気分だった。黒い瞳は全てを飲み込むブラックホールでもあり、自身の闇を映し出す鏡のようでもあった。 「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらを覗いているのだ」  有名なニーチェの言葉を思い出していると、春奈は写真に違和感を感じた。  見覚えのある色と形が瞳の中に見えた気がした。しかし昼間試した通り、画質が低すぎて判別できなかった。
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