赤の輪郭

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 家の木戸の前に立つ。右の手は袖に隠れ、左手で羽織った藍色の外套(がいとう)を翻し、背を向けてから小さく口にする。 「それじゃあ」  その一言で今日という日の、残りの時間が恐ろしく憂鬱(ゆううつ)になるのを貴方はご存知なのだろうか。そんな私の想いに気づくこともなく、貴方は軽く首を後ろに曲げて片目でこちらを窺い見る。その仕草の静けさと言ったら(なぎ)のように清楚でひっそりとしていて、これ以上の悲哀に満ちた空間は存在しないと思える程に、粛々(しゅくしゅく)とした空気が立ち込める。 「お気をつけて」  そう私が声を漏らすと、その言葉を待ち望んでいたかのように貴方は(わず)かに頭を揺らして頷く。ある種の儀式のように、それが終わると外套にそのほっそりとした身を包んで、彼は雪道を歩き出す。その背中を目で追い続け、姿が見えなくなると白い地面に残る下駄の跡に視線を向ける。いつの間にか肩に積もった雪を払い落として、そうしてようやく私は中に入る。  先程と何ら変わらない部屋。消えかかったストーブも、煙草(たばこ)の焦げ跡がついた畳もそこに佇んでいるというのに。ここを埋めていた物質の、性質が一変したのではないかと疑うほどに、空気は私の両肩に重く圧し掛かる。 「おーい、文子、今帰ったぞ!」  その声に丸めていた背を伸ばす。今来た土間を通って入口に向かえば、そこには夫の武久が立っていた。 「今日はまた早いお帰りで……」 「こうも吹雪(ふぶ)いちゃ、傷が痛んで仕事もままならん」 「そうですか。まあ、ゆっくりなすって下さい」  夫が羽織っていた外套を手にし、長靴を脱いで居間に上がる彼の背を追い掛ける。 「何だ、また欣二の野郎来てたのか」  その一声に即座に反応し、私は大きな身体の向こう側を覗こうと必死に背伸びをする。障子と彼の隙間に自分の身を捻らせて、首を伸ばしたところで彼は振り返った。 「こんなもん持ってるのはあいつしかいない。ゲタトゾウリデ」  金色と茶色の箱をこちらに見せる。 「それを言うならゲルベゾルテですよ」 「ふん、デベソだかナキベソだか知らねぇが……」
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