家族の写真

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次女を幼稚園に迎えに行った帰り道、スーパーの中にある写真屋に寄った。 頼んでおいた写真を受け取りに。 写真は、次女のお遊戯会と運動会の時のもの。 次女は写真が出来るのをすごく楽しみにしていたのに、私が忙しくてすっかり忘れていた。 何度も催促されて、ようやく現像に出すことが出来た。 家に帰って夕食を支度するまでの時間、私は押入れから大きな透明ケースを引っ張り出した。 そこには、私たち家族の写真はもちろんのこと、夫の両親や祖父母のまで入っている。 ちなみに私の両親の写真は実家にある。 アルバムはその時代でデザインや質が異なる。 昔は紙製だったりもする。 アルバムの表紙には、それぞれの家族や子供たちの名前が書かれたテープが貼ってある。 私は次女の名前が書かれたアルバムを取って床に広げた。 そして、現像してきた写真を、一枚一枚袋に入れていく。 まず整理してから見たい私と、早く私に見せて自慢したい次女。 整理している私の横で、次女は写真を指差しながら、 ここの躍りが難しかったのよ。 とか 先生にお歌を誉められたのよ。 とか もう少しで一番だったのに、私の前に蝶々が飛んできて二番になったの。 とか、あーでもないこーでもないと話している。 確かに、お遊戯会での躍りはすごく上手に出来ていた。 うちの子が一番! なんて興奮していた。 つい数年前までヨチヨチ歩きで、私がいないと大泣きしていた子が、運動会で一番を目指して走って行く後ろ姿を見た時には、娘の成長を感じて目頭が熱くなった。 それは長女の時にも感じたことだけど。 ほんの少し寂しさが込み上げてくる瞬間だった。 今は両親がすべてでも、そのうち友達との時間が大切になり、いつか誰かと人生を歩んでいく。 その時にはきっと、娘たちはこの家にはいないだろう。 私もそうだった。 次女はまだまだアルバムには空白があって、しばらくは私の元から離れないだろうけど、長女はもう中学生。 あの子が生まれてから、もう二冊目のアルバム。 最近じゃ、写真を撮る機会も減ってきた。 私は次女の写真整理が終わると、なんとなく長女の幼い頃のアルバムを開いた。 長女が産まれた時、私ははじめての子育てでてんてこまい。 それを察してか、長女は産まれたときから気を使ってくれる子だった。 大人しくて、物分かりのいい子。 ただ、カメラを向けるといつもしかめっ面で眉間にシワを寄せていた。 それでも、ふいに笑ったその笑顔はとても可愛くて愛しかった。 幼い頃の長女の写真を見ながら、私は思いふけっていた。 すると、隣で見ていた次女が、「これは誰?」と指差した。 ちょうど長女が小学校の入学式の時に撮ったものだった。 満面の笑みでおめかしした長女をだっこしている男性が写っている。 それは夫のお兄さんだった人。 私の印象では、調子がよくて口が上手く、宵越しの金は持たず、いつも誰かにおごってもらっていた。 それでも明るくて、優しくて、お兄さんの周りにはいつも誰かがいた。 長女が赤ん坊の時から可愛がってくれて、長女もよくなついていた。 けれど、お兄さんは数年前に病で亡くなった。 次女が産まれた年の冬だった。 「龍太郎おじさんだよ。お父さんのお兄さん。よくこの家に泊まりに来ていたんだよ」 「ふーん」 と、興味無さそうに答える次女。 「龍太郎おじさん、優しい人だったよね。私もよく遊んでもらった」 背後から聞こえる声で振り返ると、そこには制服姿の長女が立っていた。 「あら、もうそんな時間?」 長女が帰ってくるのはいつも夕方。 その頃には夕食の支度をしなくてはいけない。 でも、今日はまだそんな時間ではない。 「テスト前だから学校が早く終わったんだ。今日は約束もないから、そのまま帰ってきたの。で、アルバムなんて広げて何してるの?」 次女の写真整理をしているうちに、懐かしくなってつい昔のアルバムを引っ張り出したことを長女に説明した。 長女もふーん。と言いながら、私の横に腰を下ろした。 自身の幼い頃の写真を見ながら、懐かしい思い出を甦らせていた。 夫が仕事で忙しく長女と遊ぶ時間がとれない時には、よくお兄さんが代わりに長女を公園や土手に連れていってくれた。 お兄さんと帰って来る長女は、いつも上機嫌に笑っていた。 自転車を教えてくれたのもお兄さんだった。 家族旅行にも、毎年お兄さんが同行していた。 「この頃は楽しかったね」 私と長女は、お兄さんとの思い出話に花を咲かせた。 当たり前のようにあった日常。 長女の成長とともに、私たちの人生も進んでいく。 「私、龍太郎おじさん大好きだった。だから、病気でもう長くないって知った時すごくショックだった。どうして龍太郎おじさんなんだって。まだ若いのにって」 「そうだね」 私は闘病していた頃のお兄さんを思い出していた。 痛い、痛いと言いながらも、私が作ったサバの味噌煮を美味しいと食べてくれたこと。 痛みがありながら、一緒にいたいと泣く長女を横で寝かせてくれたこと。 思い出して涙が出そうになった。 「ずるい!!ずるい、ずるい!!」 突然、次女がそう言いながら愚図った。 どうやら、仲間外れにされていると感じたようだ。 それはそうだ。 お兄さんの事を、次女は覚えていないだろうから。 「わたし、そんな人知らないもん!」 「そうね。あなたはまだ赤ん坊だったからね」 「へー、覚えてないんだ。可哀想」 長女がそういうと次女は泣きそうになり、私は止めようとした。 「可哀想、龍太郎おじさん。あんたが産まれたって聞いて、会いたいなってずっと言って、お母さんがあんた連れてきた時、寝たきりだった龍太郎おじさんが小さいあんたの手を握って、可愛いなって愛おしそうに笑ってたのに」 私も覚えている。 次女が産まれてくるのを、夫と共にすごく楽しみにしていてくれたことを。 「わたし、写真のおじさんにあったことあるの?」 「あるよ。あんたが覚えてないだけ」 「もっと会いたかった。それで、私も写真撮りたかった」 その言葉に、私の視界は涙で歪んだ。 人それぞれに出会った人の記憶がある。 長女は私の父を知らない。 夫の両親もすでに亡くなり、住む人がいなくなった実家はすでに取り壊されている。 だから、祖父の思い出はない。 みんなそうやって繋がってきた。 写真がもっと昔からあれば、どんなによかったろうと思いながら、そろそろ片付けようと娘たちに伝えてアルバムを閉じた。 長女がふとケースの横に落ちた一枚の写真を手に取った。 その写真を見るなり、 「あ、私の写真がこんなところに落ちてる」 と言いながらも、長女は訝し気に首を傾げた。 「どうしたの?」 そう聞きながら、私は長女が持っている写真を覗き込んだ。 それはどこかの広場で撮った普通の写真。 浴衣姿の幼い女の子と男の子が写っている。 女の子の手には金魚が入った袋を、男の子の手には水ヨーヨーを持っていた。 きっと、夏祭りか盆踊りの時の写真だろう。 背後には、浴衣姿の青年が遠くを見ながら立っていた。 「この隣の男の子、誰だろう」 長女は写真の事を覚えていない様子だった。 「お姉ちゃん、男の子とお手々繋いでる!」 次女が写真を指差しながら茶化した。 確かに、写真をよく見ると女の子と男の子は手を繋いでいた。 写っている女の子は、確かに長女のように見える。 だけど、幼い頃の長女は男の子と話すこともできないほどシャイな子だった。 それなのに、男の子と手を繋ぐなんて、私は信じられなかった。 それに私も、隣に写っている男の子の事を知らない。 「もしかして、お母さんの小さい頃の写真じゃない?」 徐に長女がそう言った。 だが、私は否定した。 私は浴衣を着て夏祭りに行ったことはないし、何より魚が苦手だから金魚すくいなどやったことがなかった。 それに、私は写真の女の子のように直毛ではなく、天然パーマなのだから。 私と長女はその写真に戸惑い、次女は長女の初恋相手だと思い興味津々。 長女は怒りながら否定し続けた。 「お父さんなら、なにか覚えているかもしれない」 私はそう伝え、その写真だけを残して後は再び押し入れの中に片付けた。 それから、私は洗濯物を畳み、夕食の支度を始めた。 長女は勉強すると言って部屋に戻り、次女はテーブルの上に置いた写真を見ていたが、すぐに飽きてテレビを見始め、そのまま眠ってしまった。 そうしている間に夫が会社から帰宅した。 夕食を済ませたあと、私は写真を夫に見せた。 「この男の子、覚えてない?」 夫は写真を見ながら首を傾げ、やはり男の子のことは知らないと言った。 残念に思う私と長女。 「いや、見たことあるな」 ふと何かに気づいた夫は再び写真をまじまじと見つめた。 見たことあるというのは、長女たちの背後に写っている浴衣姿の青年だった。 夫は目を閉じて考え込んだ。 ほんの数分。 夫はハッと気づいてもう一度写真を覗き込む。 「わかった! これは長女じゃない。俺の母さんだ」 「えっ?」 「後ろに写ってるこの人、武春伯父さんだよ」 「それはないよ。だって、お義母さんの子供の頃の写真って白黒でしょ?」 再び夫は考え込んだ。 そして、あることを思い出す。 「たしか前に、弟が昭和の町並みを写した白黒写真をカラーで再現するって仕事を請け負った。その時についでに両親の昔の写真もカラーにしてみようって、何枚か持っていったんだ。後日何枚かを俺にくれたんだけど、俺は興味なかったからそのままケースの中に適当に入れたんだ。たぶん、それだよ」 「じゃぁ、お義母さんと手を繋いでいるこの子は、お義父さんかしら?」 「違うと思う。親父は五つも年上だし、手を繋ぐタイプじゃないだろ。まぁ、もしこの写真を生きてる頃に親父に見せたらヤキモチ焼くだろうけどな」 夫は笑った。 「それにしても、お義母さんの子供の頃、長女そっくりね」 「逆だろ。長女が母さんに似ているんだ。隔世遺伝ってやつさ。そういえば、母さんが生きてた頃に、もう少し大きくなったら自分の浴衣を着させたいって言ってたな。まぁ、その姿を見る前に死んじまったけど。おばあちゃんのこと、覚えてないだろ?」 「覚えてるよ。靴はちゃんと揃えて上がりなさい、とか、ご飯食べるときはテレビを消された。でも、アイスとかよく一緒に食べた」 「俺も言われてたわ。今は守ってないけどな」 「私、おばあちゃんの浴衣着て盆踊りに行ったことあるよ。写真は撮ってないけど。撮っておけばよかったなー。そっかー、私っておばあちゃん似だったんだね」 祖母の事を思い浮かべている長女。 私たちもお義母さんとの記憶が蘇る。 今度お墓参りに行こうかなんて話していたら、それを見ていた次女はまた不機嫌になって行かないと言った。 「どうして? 毎年、行ってるじゃない」 「行かない!行かないもん」 今度はそういって泣きだした。 突然どうしたのか。 何度も理由を尋ねると、次女は鼻をすすりながら言った。 「みんなずるい。私はおじちゃんにもおばあちゃんに会ったことがないのに。みんなは会ったことがある。私だけ仲間外れ」 次女の気持ちはわかる。 でも、それは仕方のない事だと私は次女に諭した。 「じゃぁ、今度ミツコばあちゃんに会いに行こう。きっと、次女の大好きなアップルパイを作ってくれるよ」 次女にはまだ私の母がいる。 実家が遠くて、なかなか会いに行くことが出来なかったが、これからはもっと母に会いに行こうと思う。 何より、次女にもっと祖母との思い出を作らせてあげたい。 そう伝えると、 「おばあちゃんに会いたい!」 そう言って、次女は嬉しそうに笑った。 私たち夫婦には、子供たちのお陰でたくさんの幸せな記憶がある。 初めて私に笑顔を見せてくれた時の事。 娘たちは覚えていないでしょう。 長女も次女は、これからたくさんのは人と出会い、思い出を増やしていく。 嬉しいことも悲しいことも。 その人だけの記憶。 そんな娘たちが大人になって、おばあちゃんになっても、ふと楽しかった記憶が「今」を幸せにしてくれるように。 その頃には居ないかもしれない私や夫の思い出も、娘たちにとって糧になれるように。 そう願いながら、私は浴衣を着た幼いお義母さんの写真をアルバムに飾り、そっと閉じたのだった。
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