忘れ物はいかがですか?

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「こちらが本日の忘れ物になります」  真っ白い、よく磨かれた大きな皿、その上に盛られているのは赤い、そう赤くて、でもどこか古き良きモノを感じさせる黒さの混じった皮の表紙の、『本』だ。うむ、なかなかの分厚さ(ボリューム)。私はナイフとフォークを手に取り、それを一口大に丁寧に切り、香りを楽しんだ上で、そして口に運んだ。 「うむ、なかなか」  鼻を通り抜ける香りは思いのほか甘く、口に広がる味はとてもマイルドで、それでいて歯応えはそれなりにある。かといって飲み込みがたいものではなく、ゆっくりと喉を通り抜けるその感じは柔らかくも滑りの良い綿でも飲み込んだかのようだ。おお、後味もすっきりとしていて、良い。なんだろうか、小さい頃にこんな菓子を食べたことがある気がする。どこか懐かしい。  一口目をそうしてゆっくりと味わった後は、このボリューム満天の『本』をナイフで切っては、むしゃりむしゃりと頬張った。旨い。  だがあるとき気が付いた。本に、何かが挟まっている。なんだろう? 何か、本の柔らかい紙とはまた違う、少し固そうな紙。ナイフとフォークを使って、軽く引出す。  写真だ。女の固い表情が見えた。  このまま食べようか? この忘れ物(ディナー)はこの写真を含めて一つの品である気がした。でも、なぜだかそのまま食べてはいけない気もした。なんだろうか、自分の買った商品をひどく可愛らしい袋に入れられて店を出るのも恥ずかしいような、そんな、この写真を食べることに抵抗というよりはひどく恥じらいを感じた。  持ち帰って調べようか? ――何を?   持ち主を探すか? ――どうして?  見つけたら返せるかも。――“どうやって”?  しばらく手を止めて、ワインなんかを口に含みながら考えた。でもやはり、どうもこの写真を味わって食べることができない気がした。  これは飾りなんだ。そうだ。だから今日の記念に持ち帰るのだ。持ち帰ったあとはどうしよう。持ち帰ったあとはどうしよう……。  持ち帰ってから考えよう。  私は行儀悪くも両手を使って写真を抜き取った。女と赤ん坊が写っている。母子だろう。思いのほか古い写真だ。色褪せている。この本よりも古いかも知れない。  ふむ。  私はナプキンで手を、口を拭いてから席を立った。目線はずっとその写真に注がれたままだ。  オーナーが見送りをしてくれている時も、店の外に出て夜風に当たったときも、なぜかタクシーも呼ばずに家路についている一時間のその間中もずっとずっと写真を眺めていた。  家に着いた。コートも脱がず、書斎の執筆机について、ただただ写真を眺めた。夜が明けた。カーテンも閉めずにいた背後の窓から朝日が差し込んでくる。  なにもわからない。なにもわかりはしない。そんなことわかっている。知っていた。なのに眺め続けてしまう。  執着。そうこれは執着だ。  このままではいかんだろう。なにも進まない。私は写真を、穴が空くほどにじっと見つめながら外に出た。
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