さよなら ムーン

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 大都会にありながら鬱蒼と茂る森の庭園の中に、瀟洒な低層マンションが佇んでいる。各戸ワンフロア200平米は下らない三階建ての高級コンドミニアム。  その最上階にあるペントハウスに駆け込んだリンは、玄関から脱ぎ捨てながら奥へと進み、シャワー室に全裸で飛び込んだ。  ノズルから勢いよく吹き出す熱い湯を頭から浴びる。 「何よ……、何よ、あいつは!」  怒りと憤りでむしゃくしゃする気分を洗い流すように、ゴシゴシ洗った。  お湯が傷口に()みる。  よく見ると、ひざに青あざ。どこでついたのか、さっぱり分からない。  シャワーを止めて体を拭いた。傷口を肌色の絆創膏で塞ぐ。  髪を軽く乾かしてバスローブを羽織ると、部屋に戻った。  トキオがソファで優雅に座っている。考えられない光景に衝撃を受けて、思わず叫んだ。 「どうして⁉」 「やあ、勝手に入って悪かったね。呼び鈴は鳴らしたんだが、シャワーの音で聴こえなかったか。このソファは座り心地が最高だ。君のシャワーを浴びる音が心地よいBGMとなって、お陰でリラックスできた」  リスの知っているトキオと違う。 「そうじゃなくて、なぜ、ここにいるのかってこと。タクシーを尾行してきたの?」 「そんなことをしなくても、ここはすでに割り出されていた」  トキオがおもむろに立ち上がる。 「正義感の強い青年に邪魔されたが、事情を説明したら分かってくれて解放された。いい人だった。それからゆっくり追いかけてきて、こうしてここにいるということさ」 「近寄らないで!」  リスが叫んでも、トキオは歩みを止めることなく壁際へ追い詰めていく。 「まあまあ、いろいろと知りたいことがあるはずだろ?」 「さっき、言っていたこと?」 「そうだ」  トキオは、リスに逃げられないよう追い詰めていく。 「さすがに今の君は催眠スプレーも毒も爆弾も持っていないだろう」  その通りだったが、リスは机に置かれた護身用ナイフの位置を確認して逃げていた。もう少し手を伸ばせば届くところにある。それを最終手段にすればいいと腹を(くく)った。 「分かったわよ。聞いてやるから話しなさい」 「リス、いや、犯罪コンサルタント擬宝珠(ぎぼし)。ボクは、あなたのことをずいぶん前から疑っていた」 「擬宝珠って?」 「今さら言い逃れはできないぞ。犯罪コンサルタント擬宝珠は、『月の裏側』というアプリを使ってだけアクセスできるダークネットで依頼を受け、多額の報酬を得ている極悪人だ。完全犯罪ビジネスは順調だったが、徐々にボクの邪魔を受けて評判が落ちてしまった。そのため、ボクを消そうと、リスと名乗って近づいた。分かっていてボクは誘いに乗ったんだ。死にたがりでお人好しのバカな大学生探偵としてね」 「死にたがりは嘘だったというの?」 「そうだ。死にたがりのお人好し探偵なら、君も油断すると考えた。本当のボクは、死にたがりではない」  トキオの狙い通り、リスは馬鹿にしていた。殺すのは簡単だと(あなど)った。そんなリスを密かに笑っていたのは探偵の方だ。  騙されていた自分にリスは腹が立った。
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