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「なんだ律、進路希望の紙なんも書いてないじゃん」
背後から平川が紙を覗き込んできた。
「お前んとこ医者決定だって? 他に遣りたいこと無いのか?」
律の前の席の椅子を引くと、腰を下ろして向かい合った。
「そういうお前はあんのかよ?」
「俺? 一応大学は出ろって親から云われるからな~、もう腐れ縁って事で同じ大学にしようぜ? あ、俺でも受かる所な? もう今回の出しちまったら来年の調査票に、お前と同じ所書くから宜しく」
「お前な…」
「ま、大学なんて適当に書けば良いんだよ」
―――そうもいかないんだよな、こっちは。
下手に書くと、養夫婦に何を言われるか知れたものでは無い。そうなると志望大学は決められてくる。T大と書くと教室を後にした。
竹塚は律の持ってきた進路希望書を見詰めて、傍らに立つ律を見上げた。竹塚は椅子を律に向けて思案する。数学準備室は今二人だけだ。律とすれ違いで、三年担当の教師が出て行ったのだ。律は居心地の悪さにソワソワとしていた。
「律、本当に此処で良いのか?」
「え?」
親が医者なら、当然医大に進むと思うだろうに、この男の意外そうな言葉に律はムッとした。要するに律の家庭事情を考えて、本心はどうなんだと云いたいんだろう。
―――だって仕方ないじゃないか。
「お前の事情は解る。だが、他に遣りたいことがあるんじゃないのか?」
「…じゃあ、それ書いたらなれるのかよ?」
「何?」
「本当は医者なんかになりたくない、血だって見たらゾッとするのに、でもあいつそんなの慣れだって云うし、ババアは跡なんて継がせないって云うし、どうしろって云うんだよ?」
「律泣くな」
「泣いてなっ…!?」
不意に竹塚が椅子から立ち上がり、律を抱き締めた。竹塚が律の目元を指で拭うと、指に濡れた涙の粒が律の視界に入る。律は竹塚を見上げた。
身体がドクンと熱くなる。
―――なんで…。
「俺が悪かった、泣かせるつもりはなかったんだが」
「~~~っ」
律は真っ赤になって暴れた。その刹那、暴れた拍子に卓上にあった書類が足許に散らばる。
腕が当たったらしい。
「わ、ごめっ」
慌ててしゃがむと手にした紙に見覚えがあることに気付いた。おかげで涙が引っ込んだ。
「……これ、先週集めたテスト用紙?」
「あぁ、時間がなくてまだ採点してない」
「「……」」
「今すげえサラッと云ったな? こっちは夏前だぞ? なんで? 滝本先生も答案用紙溜めてたって事?」
「まぁ、そうなるな」
歯切れの悪い返事に律はムッとした。
「時間がなかったって? 僕と会ってた日は? 時間あったと思うけど?」
「うっ」と唸ってあさっての方向へ向く。
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