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第三章「頭部」
記者たちとの遭遇を避けて、裏口から外へ出た。少し狭いが、路地裏を抜けて地下鉄の駅に出ることができる。私は本棚から取り出した本と手紙を小脇に抱えて、ヒト一人がやっと通れるくらいの壁と壁の間を、ほとんど横ばいになって進む。誰もこんな道と呼べない道は知らないし、使わないだろうと踏んでいたのだが、ふと先に延ばした手が、誰かの鼻の頭に触れた。もしや取材熱心な記者だろうかと考えると心が重くなったが、とにかく謝らなければと首を捻って進行方向を見ると、見覚えのある少年の顔があった。しかし一体どこで見たのか、どうしても思い出せなかった。私が固まっていると、彼女の方から「すみません」と謝られてしまい、後退りして私が先に隙間を出られるようにしてくれた。
「ありがとう。ええと、」
「サリエルです」
「そう、そうだったわね。あなたはセシーリアの……」
「あなたはジューリアですね。彼女から聞いています」
「あら、直接会ったこともあるわよ」
「すみません。覚えていません」
また謝らせてしまった、と私は申し訳ない気持ちになって、「あの部屋に行くつもりだったの?」と話題を変えた。
「ええ。きっとあなたがいるだろうからと、シシーに言われて。──生きている頃にですが」
「……あの子は自分がいつ死ぬかわかっていたのね。テレビじゃ自殺か他殺が結論は出ないって言っていたけど」
自殺の線が強い──警察はそう発表したが、メディアは、そして国民はそう簡単に納得しなかった。何しろ発見された遺体には首から上がなかったのである。切断自体は自身でも可能かもしれないが、ギロチン台があったわけでもない。自殺方法としてありふれた手段ではないし、首が取れたのが事故だったとしても、頭部を持ち去った人間が必ずいる。その人物により、天才は殺されたと考えるのが合理的な結論ではないのだろうか?
それにも関わらず、警察が自殺の方向に事件を持っていきたがるのは、恐らく現場の状況から、彼女の死の謎が迷宮入りとなる可能性が高いと見たからだろう。注目度の高い事件の犯人を野放しにしているとなれば警察の信頼が落ちる。そうした体制が嫌になって、彼女らに協力するのは止めたとセシーリアは愚痴を零していたことがあった。一緒に暮らしていた頃の話だ。つまりは、遠い昔だ。今の彼女が何と言うかは、私にはわからない。それは残された者全てにとって同じだろう。彼女は何の手がかりも残さずこの世を去った。たとえ残されていたとしても、それは私たちの瞳には映らない色をしている。彼女だけが見える色、そういう色があったのだ。私の中でそれは半透明に曇っていて、やがて完全に空に溶けた。
「これをあなたに、と」
私の呟きには何ら反応を示すことなく、サリエルは早口にそう言って、手に持っていた小さな荷物を私に渡し、窮屈な抜け道に戻ることもなく、夕暮れの人の群れの中に消えた。私はしばらくその背中を目で追っていたが、腕の中でずしりと重い段ボール箱に視線を戻した。
箱は丁寧に梱包されていて、丁度バスケットボールが一つ収まるくらいの大きさだった。揺さぶるとごとごとと中で何かが転がる音がするところをみると、やはり中身は球体らしい。
数秒後、私は箱の中身に思い当って「あっ」と声を漏らした。道行く人は誰も忙しく、こちらを振り返ることはなかった。よく観察すると、箱の上部に品名が記載してあった。
君の見たことがないもの
ああそうか、と私は思った。彼女はあの日の約束を果たしたのだ。死体なんて見たくもなかった私だけれど、誰もいないところに行って箱を開いた。
そこには私がこれまで見た何よりも美しい微笑みがあった。そしてこれより美しいものを、私はこの先二度と見ることがないだろう。
そう考えると、人の一生は長い。
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