神様は缶詰を食べない

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ドラマチックな出来事なんて、縁がないと思ってた。 「あー、疲れた……」  1限目から5限目までみっちり取ってしまった授業を終え、和光雪成(わこう ゆきなり)は一人暮らしのアパートの自室へと帰ってきた。  地方から出てきて都心の大学に通い始めて、もう2年生になった。しかし相変わらず、高校生の時同様に、一向に友達らしい友達はできていなかった。理由は、自分でもよくわからない。 (そんな目で、見るなよ)  唯一、それなりに仲がいいと思っていた男友達には、ある日突然そう言われて疎遠になった。当時は自分の目つきの何がいけないのか、大きすぎるこの茶色い瞳のせいかと随分悩み、引きずったものだった。 「ただいま……」  そもそも代理で出席票を出してくれたり、ノートを貸してくれたり、何かいい履修のやり方を教えてくれるような友人がいれば、こんなに真面目にきっちり授業を取って、不器用に頑張らなくてもいいようなものだ。  周りの皆はどうやらそうやって、協力し合って大学生活を過ごしているらしい、とはなんとなく感じていても、誰一人として雪成にそういった声をかけてきてくれる者はいなかった。英語のクラスでも、第二外国語のクラスでも、それは同じで。  他の学生たちは、雪成を除いて、仲のいい者同士集まってはやれカラオケだの飲み会だの、バーベキューだの旅行だのと楽しくやっているような様子が見て取れたが、連絡先すら聞かれたことがない自分には関係のない話だ。今日も疲れ切って、どさ、と背負っていたバックパックを床に置く。  几帳面な性格である雪成は、帰ったら玄関でコートを脱いで埃を払い、すぐに部屋着に着替えて掃除をしたい。今日もそうしよう、とクローゼットを開けた時。 「おい」 「!」  自分しかいないはずのこの部屋で、突然誰かの声がした。飛び上がって驚いて振り返ると、そこには長い黒髪を後ろで結んだ、黒装束の男が立っていた。 「……!」  ど、泥棒。反射的にそう思って背筋が凍りついた雪成に、その男は「そう驚くな、若人よ」とおかしな口調で言った。(わこうど……?)そんなふうに呼ばれたことはない。(ていうか、誰!?)一体どこから、どうやって入ったんだ。 「あ、あの、あの……ど、どなたですか……?」  こんなときでも、内気で小さな声しか出ない自分が疎ましい。(ああ、もう)どなたですか、じゃないだろ。そう思いつつも、出てけと叫べない性格の雪成が怯えながら尋ねると、切れ長の涼し気な目をした黒衣の男はふむ、と顎に手を当てた。 「お前。出雲の出身だな?」 「へ?」  出雲。一瞬意味がわからなかったが、確かにまあ、そう言えなくもないと思い、なんとか穏便に追い出そうと雪成は頷いた。 「は、はあ……確かに、島根県から来ましたけど……」 「なるほど、だからここに引き寄せられたのかもしれないな」 「はい?」  何を言ってるんだ、この不審者は。よく見れば非常に整った、細面の美しい顔立ちをした男だったが、その分余計に不審である。 「あの、誰なんです?」 「俺か? 俺はアメノホヒノミコト、出雲の神だ」 「……はぁ?」  なんちゃらなんちゃらのみこと、とその後だけ聞き取れた雪成は、ついていけずに間抜けな声で聞き返す。神、だって? (やばい……)このひと、イッちゃってる人だ。なんとかして大家さんか、警察に電話しなくちゃ。勇気を振り絞って雪成がそろりとポケットに手を入れようとすると、男は、で?と言った。 「お前は? 名はなんという」 「ぼ、僕……っ、ですか……?」  なんでこんな知らない不法侵入者に、名前を教えなきゃいけないんだ。危険信号が頭の中で灯ったが、じっとその切れ長の目で見つめられると、不思議と嘘がつけなくて。 「わ、和光、雪成……です」 「長いな。ワコでいいか?」 「え!? いや、ちょっとあの、えーと、ミコト……さん」  覚えられたのはその部分だけなのでそう呼ぶと、男は微妙な顔つきになった。 「その呼び方はどうかと思うが、なんだ」 「ええと……ここはその、僕の家なんですが……」 「そのようだな」 「どこから入って来たんですか? ていうか、出ていってもらえません……?」  なるべく怒らせないように、とびくびくしながら雪成が言うと、なんとかのミコトと名乗った男は、「断る」ときっぱり答えた。はい? 「あ、あの……け、警察、……」 「ん? ひょっとしてお前、信じてないな。俺が神だと」 「しっ……信じるほうが、おかしいと思いますけど……!」 「なら、これでどうだ」  ぱちり、と男が指を鳴らすと、背中に届くほど長かった髪が、いきなりばっさりと短くなった。額にはらりと垂れる前髪に左右と後ろを短く刈ったスタイル、それに左耳にピアス……その姿はまるでロックスターだ。同じ黒装束でも、一瞬前とはまるで違う。 「なっ……!」  今、目の前で何が起きたのか理解できずに雪成がうろたえると、男が雪成の背後の壁に貼られていた外国のギタリストのポスターを指差した。「ああいう姿が好きなんだろう。なってやったぞ」とぬけぬけと言い放つ。  涼し気な瞳が、よく見ればまだわずかに、金色に光っている。その光がしゅうっと消えて、黒い瞳に戻るのを目の当たりにして、思った。この男は、まさか。 「な、あの、えっと、あなたは……その……本当に……?」 「言ったろ、出雲の神だ。天穂日命(アメノホヒノミコト)、まあミコトでいい」 「いい、って……あの、もしかして……ここに、ずっといるつもりですか?」 「そうだ。地上見物の間、しばし世話になるぞ。悪いか?」 「〜〜〜〜!!」  そんなもん、悪いに決まってる。(めっちゃ悪いです、意味分かんないです。なんでここなんですか、神様ならどこでだって暮らせるのに、どうしてよりによってこんな、狭っ苦しい僕の一人住まいなんですか……!)と、叫び出せればどんなによかっただろう。だがとことん内気な雪成にできたのは、うう、と呻くことと、それから。 「……お、大家さんに、ばれないようにしてください……」  絞り出すように、そう言うことだけだった。「大家? 知らんな」と嘯いて、ミコトと呼ぶことを許した出雲の神が、どかっと床に座り込んだ。 「喉が渇いたな。ワコ、茶でも酒でもいいから、出してくれ」 「……はあ……」  ああ、なんで僕って、断れないんだろう。言われるままにお茶を淹れる用意をしつつ、そういえば誰かがこの部屋を訪れるのは初めてだと、雪成は思った。
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