1:ハローの赤色

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1:ハローの赤色

 蝉が鳴いている。  眩しいほどに青い空だ。  ゴミの散らばったバルコニーで、男は素足のまま夏の風景を眺めていた。  放置された庭園からは、鬱蒼と南国の植物が溢れかえり、隣の空き地すらも半ば飲み込んでいた。鮮烈なビリジアンの混沌の中には、ブーゲンビリアの花が赤々と、どこまでも赤々と咲き乱れている。  男は赤い花を見下ろしていた。茂みが揺れている。それは空き地に二人の人間がいるからだ。  男は見下ろしている。二人の人間は叫び、喚きながら取っ組み合って、もんどりうって、もつれあうように花の中へ倒れ込む。  男は見ていた。倒れた二人の内、馬乗りになったのは青年の方だった。彼が振り上げた手には欠けたレンガが握られていた。  ――鈍い音が繰り返される。蝉の声がする夏の下、赤い赤いブーゲンビリアの中、広がっていく血だまりの上。  赤色。そのあまりにも明るい赤色に、印象的な色彩に、バルコニーの男は目を細めた。視線を逸らすことができなかった。壮絶なほど、懸命な色だった。  やがて。  辺りには、蝉の声と青年の荒い息の音しか聞こえなくなる。青年は凶器を手からこぼすと、頭を抱えて泣き始めた。恐怖と不安がいっぱいにつまった、混乱の嗚咽だった。彼の両手は真っ赤だった。  男は青年を見下ろしていた。男が中空に手をかざせば、遠近感の関係から、青年は男の手の中にすっぽりと収まる大きさに見えた。  と。男は指の隙間から、青年が顔を上げてこちらを見上げていることに気が付いた。焦燥しきった青年は目を見開いて、遠くからでも震えているのが目についた。  なのでバルコニーの男は微笑んで、青年にかざしたままの手を振ったのだ。ゆっくりと。 「うちに上がりなよ」  返事はなかった。ただ、青年が狼狽しきって立ち上がれずにいるのは分かった。なので男は家の中に引っ込むと玄関のドアを開け、やっぱり素足のまま熱いタイルの上を歩いて、ツタの絡んだ門を開けた。男が出てきた家は、いわゆる豪邸と呼ばれる立派なものだった。  男が出てきた音を、青年は空き地から聞いていたのだろう。男が門で待っていると、おそるおそるといった様子で青年が顔を見せ、遠巻きに様子を窺っている。 「ちょっと散らかってるけど、いい家だろう」  男が笑う。おいで、と手招きをした。  青年は唇を噛んで、視線を彷徨わせた。その顔色はすこぶる悪い。ふらついているのを見るに、精神的な混乱に脳貧血でも起こしているのだろう。ゆえに――気を失ったのは間もなくだった。
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