かえろう

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かえろう

 「5時の音楽が流れたら、おうちに帰ってくるのよ。」子どもの頃、母に何度も何度も言われた。そんな風に言われて育ったから、5時の音楽は子供のために流していると信じて疑わなかった。社会人になって少し経った頃だったか、防災無線が正常に機能するかを確認するためだと知って、心底驚いた。でも確かにそうかとも思った。あれだけの大音量で毎日放送をするというのは、民間では難しいだろうし、私たちの暮らしを守るためなのだなと思った。  真相はともかく5時に流れていたその音楽は、私にとっては子供の頃の夕方の楽しかったこと、遅く帰って母に怒られたことなど、その時の空気の香りまでも一気に思い出させる記憶を強く刺激するものとなった。  私は会社に勤めていた。勤めていたというのはその通り、過去形であり、今はもう勤めていない。そう、私は現在、無職である。会社が倒産したわけでもなく、とんでもないミスをして退職させられたわけでもない。自分から職を辞したのである。こういうと一応の格好がつくが、要は逃げ出したのだ。あのつらく苦しい毎日から。それが正しかったのか、間違っていたのか、はたまたそう考えることさえ間違っているのか、ともかく私にはあれ以上あそこにいるのは耐えられなかった。退職するまでの数ヶ月はともかく我慢に我慢を重ね、食はどんどん細くなり、みるみる体重が減っていった。正確に言うと自分では体重が減っていることさえ気が付いていなかった。家族から痩せすぎだと言われて、体重計に乗った。デジタルで示された数値を見たときに驚いた。いつの間にかだいぶ減っていた。これ以上痩せたら健康上問題が起きるのではと思った。でもよく考えれば分かることだが、確かにそうなってしまう状態ではあった。その頃は固形物を飲み込むことがつらかった。会社での昼食は海苔のついていない円盤型のおにぎりを、なんとか一つ押し込むように流し込むように食べていた。睡眠ももちろん足らず、ついに編み出したのが、片目を交互に瞑りながら歩くという芸当だった。今思えば、どうしてそういう発想が出てきたのか、全く意味不明で変な人として道行く人に見られていたりしなかったか不安に思うほどの状態であったが、その当時は真剣にそうやって生きていた。とにかく眠くて集中して何かを考えるということができなくなっていた。  体も心も限界をとっくに過ぎていたが、まだほんの少し最後の力が残っていた私は、ついに鬼のように恐ろしい課長に退職の意思を伝えた。本当に退職できた日、私は泣いた。本当に泣いた。何が何だか分からないくらい泣いた。でも、まだ私の人生は終わりではない。終わることはできない。生きていくためには働いてお金を稼がなければならないのだと思い、早速転職エージェントに登録した。  そんなある日、履歴書を買いに行った。とぼとぼと進む私のほか、人はまばらだった。ちょうど夕方の5時になった時だった。どこからともなく、子供の頃から慣れ親しんだ5時の音楽が聞こえてきた。しかしそれは、いつもの防災無線からの音ではなく、鍵盤ハーモニカの音だった。私の子供の頃はそんなことがあったのか覚えていないが、最近では11月から2月の間は5時の音楽の放送時間を4時に変更していると聞いたことがあったことを思い出した。それで、その音はどこかの子供が鍵盤ハーモニカで演奏しているんだと思った。その瞬間、勝手に一生懸命に演奏している子供を想像して微笑ましいなと思った。その鍵盤ハーモニカの音を私の耳が受け入れたこと、そんな想像をできたことにも気が付いた。私はあのつらく苦しい以外を感じることができなくなっていた日々を一歩脱したのかなと、自分に少し微笑んで、思わず演奏に合わせて口ずさんだ。その時だった。後ろから声をかけられた。 「聞こえたのですか、私の5時の音楽が。」  驚いて振り向き、声の主を見つけてさらに私は驚いた。その人はどう見てもがいこつが服を着たようにしか見えなかったからだ。がいこつは服を着られるのか、そんなことを思う余裕もなく、私は目の前の光景を信じられずにただただ目に入れるしかできなかった。  その人は確かに服を着ていた。薄い茶色の作業服だ。それは使い込まれて色が褪せていたが、綻びを縫い大切にされていたことが分かった。次に体というか作業服の中身だ。どう見てもというか作業服から出ている部分しか見えないのだが、理科室にある骨格標本のようにしか見えなかった。顔を見るとがいこつからは表情が読み取れない。骨だけで形成されている顔は、カタカタと顎の骨が揺れるだけなのだ。この時点で急に気が付いたのは、がいこつなのにどうして声を発することができるのかということだ。詳しいことは全く知らないけれど、骨だけで発声はできないはずだ。本当にこの人というかこのがいこつが話しているのか疑わしくなった。しかし今の声をもう一度思い出してみると、声と一緒にカタカタと顎の骨がなるような音も聞こえたような気がした。周囲を見渡しても私に声が届きそうな人は、この作業服姿のがいこつしかいないのだ。 「私、長谷川といいました。生きている時は。今はもう名前は必要ないのです。誰にも名乗る必要がありませんので。」  また声が聞こえた。その内容を理解しようとすると、やはりこの声はがいこつから発せられているようだ。そんなことはあり得ないと自分に言い聞かせて、この場を立ち去ろうと思うのだが、体の力が抜けてしまってその場から動けないでいた。 「あなたは今ちょっと心の受信器の調子が悪いですね。生きている人間が受信できる周波数帯からずれています。だから私の声が聞こえているのです。でもこれは一時のこと。すぐに治ります。心配いりません。」  がいこつは私にどんどんと語りかけてくる。私は口を開けないままでいた。 「分かります。分かります。こんなこと日常には滅多にないのです。でも、今こうして私の声が聞こえる。姿、といっても、それはあなたがチューニングした姿ですが、姿も見えるのでしょう。いったい私はあなたにどういう風に見えているのでしょう。私にはそれは分からないのです。私はもはやどこからどこまでが私という概念を持たない、空気のような存在なのです。興味があるのであなたが見えている私の姿を教えていただけますか。」  私は今、起きている現実を受け入れられないのに、促されるままに話した。 「長谷川と胸に刺繍のある薄い茶色の作業服の上下姿で、身体は骨格標本のようながいこつです。腰掛けている膝の上には鍵盤ハーモニカが置いてあります。」 「おお!まさに在りし日の私の姿ですね。聞いた話によりますと、本人にとって一番幸せだった時の姿に見えるということのようです。嬉しいです。久しぶりにあの日の記憶が蘇って、確かに私は長谷川穂高として生きたということが思い出されます。もう長いこと人間とは話したことがないのです。この世の命はとっくに尽き果てて、別の世界の住人となったのです。いいえ、住人という表現は間違っていそうです。もう姿も形もないのです。ただ風に吹かれているだけなのです。あなたがこちらに来たときに新鮮な気持ちを失わないように詳しくはお話しませんが、私は風に舞う捉えようのない「何か」になりました。そう、「何か」です。実態などないのです。自分と世界の境界も、自分がどうあるべきかなどと考える必要もないのです。」  私はなんとか理解しようと思ったけれど、無理だった。しかしがいこつの長谷川さんの声はとても落ち着いていて聞いているのが心地よかった。ただもう暗闇に包まれている冬空の下、がいこつが作業服を着て顎の骨をカタカタと鳴らしている姿に、恐怖を感じないというわけにはいかなかった。  私はそろそろ退散しようと思った。でもどうやってここから立ち去るのが良いのか。だいたい見てはいけないものと遭遇した時は見えないふりをするのが無難だったはずなのに、私はしっかりと会話をしてしまった。私ももはやこれまでなのだろうか。今まで悪事を働いたことはない自信はあるけれど、どこかで誰かを傷つけていないなんて言いきれない。私も罪深い人間なのだろうか。 「5時の音楽を聞いたら、すぐにおうちに帰らないとね。」そう言い残し、そのがいこつは跡形もなく消えた。  私は一目散に家へと急いだ。今しかない。今すぐ立ち去らなければ、もう家に帰れないかもしれない。何があっても家に帰るんだとこれほど強く思った日はなかった。  翌日は家にこもって転職先を探したり、履歴書を書いたりして一歩も外に出なかった。この日も夕方4時にいつもの放送で音楽が鳴り、昨日のことがあったのでビクっと身体が反応してしまった。悪いがいこつには見えなかったけれど、やはりあまり関わらないほうが良いと思ったから、忘れよう!いやいや、昨日の出来事は全て夢なのだと思い込もうとした。  履歴書の続きを書いて、ようやく終わりそうな頃、またあの鍵盤ハーモニカの音が聞こえた。まさかと思ったが、壁の時計を見るとちょうど5時を指していた。ど、どこにいるんだ。昨日がいこつが腰かけていた辺りから自分の部屋まではだいぶ距離があるから、締め切った屋内まで聞こえるはずがない。 「せっかくなので聞いていただけますか?私が作った5時の音楽。タイトルはかえろうです。」  声がするほうに振り向いた瞬間、昨日のがいこつは私の部屋のベッドに腰かけていた。うわー、とさすがに叫んでしまった。どうやって部屋に入ったんだ。どうして自分ばかりがこのがいこつに付きまとわれるんだ。 「驚かせてしまってすみません。ついつい自分がどういう存在なのかを忘れました。昨日あなたと話をして、すっかり自分がこの世の人とお付き合いできる存在だと思ってしまいました。これはいけません。もう叶うことがないことだと受け入れたはずだったのに。」  がいこつからは涙が流れていないのだが、このがいこつは泣いている。そう感じた。恐怖ももちろん感じたが、自分もいつかこのがいこつと同じようになる日が来るのかと思ったら、自分ができることがあったらせめてしてあげたいと思った。 「あの、もし良かったら聞かせてください。なんでしたっけ、作った曲があるのですか。」  がいこつは顔を上げて、少し迷うように首をかしげたが、鍵盤ハーモニカを弾きだした。それはとても短い曲だった。曲調からは温かみとほんの少しのもの悲しさを感じた。 「これは先ほども申し上げましたが、私が作った5時の音楽の「かえろう」という曲です。ある時いつも放送している曲から違う曲にしてはどうかという投書がありました。確かにいつも同じであるからこそ安心感がある一方で、いつも同じであると注意がそちらに向けられなくなる可能性もあるということでした。一理あるということで候補の曲を挙げることになったのです。私、実はほんの少し音楽を習いました。全く才能がなかったので、声楽家にも作曲家にもなれず市の職員になったのですが。5時の音楽の変更を検討していたのは私が所属していた部署でした。私は候補の曲を考えつつ歩いて帰宅する途中にこの曲を思いついて、歌詞もメロディもあっという間に完成したのです。私の人生で唯一完成した曲です。私は恥ずかしさもあったのですが、次の日に上司にこの曲を聴いてもらったのです。その上司には今でも感謝しているのですが、とても良い曲だと褒めていただきました。市の職員と民生委員を含めた「新たな5時の音楽検討委員会」でも曲の評判は上々で、私の曲が採用される流れができていました。  検討が進み市民からも意見を募る段階になりました。そのときに歌詞付きだった私の曲は反対が一定数あり、最終的には歌詞をなくしメロディだけの曲となりました。公共のものですから、いつも全体の幸せを考えなくてはならないのです。5時という時間は子どもにとっては家に帰る時間でも、大学生は講義中だったり、仕事中の人も多いのです。スーパーなどお店の人たちからすると、買い物をしている人を家路へと急かしている!と感じたり、まだまだ家に帰れない人からすると、「私は帰れません!」と悪態をつきたくなるということのようです。歌詞をなくすのは残念でしたけれど、たくさんの人がこの地域で生活をしているので、その方々の意見を尊重することも大切なのです。  最終的には、毎月の末日だけ私の作った曲が流されることになりました。私はそれでも本当に嬉しかったのです。私の曲を聞いて気に入ってくれる人が一人でもいてくれたらと毎月の末日はわくわくしていました。帰宅時にはご機嫌で家族にお土産を買ったりしました。だから私の家族は末日がとても好きでした。皆が楽しい気持ちになりましたから。放送は3年ほど続いたのですが、やはり全日同じ音楽が良いとの声が上がり、ついに私の曲は放送されなくなりました。」 「あの、もしよかったら歌詞を教えてください。私は言葉が結構好きです。活字中毒というのでしょうか。文字を目で追うのも好きなのです。」  長谷川さんは少し空を見上げるようにして歌いだした。 「かえろう。かえろう。明日を迎えるために。かえろう。かえろう。星がまたたく前に。かえろう。かえろう。」  私はなぜか鼻の奥がツーンとして涙が一粒こぼれてしまった。歌の力、声の力、言葉の力、どれなのか全部なのかともかく分からないけれど、自分のすべてを受け止めてもらったようなそんな気持ちになった。 「あー、なんていうことでしょう。なんて心の優しい方なのでしょうね。とても嬉しいです。この歌詞には、子供たちが今日もちゃんと家に帰ることができるように、その笑顔を大切な家族に見せられるようにという祈りをこめました。当たり前と思っていることが当たり前じゃなくなったとき、その悲しみは想像以上なのです。あのとき早く帰っていれば、巻き込まれなかった。毎日ちゃんと言い聞かせておけば、我が子を守れたのだと後悔することもあるかもしれません。そうならないための音楽になればと願っていたのです。」 一呼吸おいて、「5時の音楽を聞いたら、すぐにおうちに帰らないとね。」そう言い残し、長谷川さんは跡形もなく消えた。  昨日と今日とで分かったことは、長谷川さんは夕方5時にものすごく思い入れがあって、5時から数分だけ人間というか、私のような少しずれた人間と触れ合うことができるようだ。こんなことがあるのか、信じられないのだが現実だ。私は今ずれているというのは、確かにそうなのかもしれない。心をどこかに置いてきてしまったし、自信はどこかに落としてきてしまっている。転職をしなければという気持ちはあるのだが、また大勢の中に入って働くことができるのかという不安で押しつぶされそうなのだ。1度の失敗でなんだ!と喝を入れる自分と、そうはいっても怖くて足が震えてしまって前に進めない自分を守ってあげたいと思ってしまう自分もいる。  ほんの少し話しをしただけだが長谷川さんの生きざまというのを感じた。夢がありつつも現実的な仕事に就いた。そこで偶然あったチャンスをきちんと掴んだ。そのチャンスを掴むための勇気を持っていたんだなと思った。私はどうか。私のこれからはどうしたらよいのかまだまだ分からないのだが、一つ勇気をもらったのは間違いない。転職を急いでいたけれど、これを機会に今後私はどうやって生きていきたいのか、どうやって働くのかということをよく考えようと思った。  あくる日は長谷川さんが来るのを心待ちにしている自分がいた。気が付くと時計ばかり見てしまっていた。5時からの数分だけ会えるもうこの世の人ではない知り合いがいると誰かに話したらどう思われるか。間違いなく、退職して心を病んだニートの妄言と思われるだろう。私ももしかしたらここ2日間に渡り長い長い夢を見ているのか、そう思う気持ちがないこともなかった。でも夢でも構わない。私は今少し休みをもらっているんだ。人間の休み。何もかも休むのだ。いったんいろいろなことを考えるのもやめよう。もし長谷川さんが私の前に現れてくれるのなら、それは私に必要なことなのかもしれない気がした。この暗闇から抜け出すためにも。 「長谷川です。あなたのお名前をまだ伺っていませんでした。もしよかったら教えてくださいますか。」 「名乗っていただいて嬉しいですが、長谷川さんのお名前はもう覚えました。最初にお会いしたその日から胸に刺繍された長谷川という文字を忘れることができません。」 「ああ、それはあなたのお名前を伺うためには、まず自分が名乗るのが礼儀と思いまして。」 「ご丁寧にありがとうございます。長谷川さんのお人柄に触れる度、私の心に温かい気持ちが流れてきます。ええと、それで私は原田と言います。原田弥菜といいます。弥生時代の一文字目と菜の花の菜の字で、みなと読みます。」 「弥菜さんですね。みとなの響きがとても良い旋律です。心地がよいですね。弥菜さんも音に旋律を感じますか。私は文字で書くのも見るのも好きですが、口に出して耳で聞くのも大好きです。あ、でしたと言わなければいけないでしょうか。今は心で思うことがどうやら弥菜さんの耳に聞こえているようですから。弥菜さんに聞こえている声は私の生前の声なのでしょうか。確かめる術はないのですが。」 「そうだったのですね。長谷川さんにはもう自分の声は聞こえないのですね。失礼に聞こえると思いますが、今の長谷川さんはどこからどう見てもがいこつが服を着て、顎の骨をカタカタと鳴らしているお姿です。それだけを見て聞くと本当に怖いです。でもそこに、声が聞こえます。とても落ち着きのある温かな声です。私は今その声を頼りに長谷川さんと時間を過ごしています。もしかして生前の声と違うのかもしれませんが、私はとても心地よく感じています。」 「そうですか。それならよかったです。昨日も言いましたが私はもう空気のような「何か」なので、今自分がどういう体勢でいるのかも分からないのです。」  長谷川さんは今日も私のベッドに座っていた。鍵盤ハーモニカも昨日と一緒で膝の上に置かれていた。 「弥菜さん兄弟はいますか。この部屋には弥菜さんしかいませんね。私は兄と妹がいました。大好きな二人でした。もう二人とも私と一緒の「何か」になっています。兄は大柄で格好のいい人でした。兄に憧れていつも後ろを付いて行ったものでした。兄は早くから料理人になると決めていて、自分の好きだったお店に頼み込んで修行をしました。その後のれん分けをしていただいて、料理人としての一生を全うしました。妹は多少気の強いところがありましたが、とてもしっかりとしていました。運動が得意だったので、子供のための体操教室の先生をやっていました。どうも二人に遅れを取るような私だったのですが、それでも兄妹ですから、仲良くやってきました。それは私たちの両親が個性を尊重して、できることをやれば良いのだと何度も教えてくれたからだと思います。私は運動が苦手でしたけれど、歌うこととピアノを弾くのは上手でした。といってもプロ並みではなくその年頃にしてはということですが。と、ついつい話が止まりませんでした。弥菜さんにご兄弟やご姉妹がいらっしゃるか聞くつもりだったのです。」 「私は弟が一人います。今年から社会人になりまして、今日も一人前の顔をして仕事に行きました。別々の高校に通ったこともあって、その頃からはあまり一緒にいることはないのですが、まだ一緒にこの家に住んでいるので、私のことを心配してくれたりはします。」 「弟さんがいらっしゃったのですね。まだ一緒に暮らしているというのは楽しいですね。…もう少し私の昔話を続けてもいいですか。」 私がうなずくと長谷川さんは嬉しそうに話を続けた。 「兄と妹は1年の差で結婚して我が家はすっかり静かになりました。両親と私一人が残されて、3人暮らしが始まったのです。といっても、私はもう社会人でしたから、多くの時間は職場で過ごし、週末は合唱サークルにも参加していたので家にはほとんどいなかったのですが。そんな生活が2年ほど続きました。私はそれで楽しかったし後悔はないのです。本当にそれで良かったのです。けれど両親は、私を結婚させたがっていました。いずれ両親が先に旅立ち私が一人ぼっちで残されると信じて疑わなかったからです。でも、結果的には結婚せずに良かったのです。私にはその時にもう時間がほとんどなかったのです。私自身も知りませんでした。漠然とこの日々があと何十年も続くと思っていたのです。そんなある日私は急激な頭痛に襲われました。そしてそのままこちらに来てしまったのです。突然に。全くの突然に。誰にもお別れさえも言えませんでした。残してきた両親には詫びたくても詫びることができませんでした。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。けれど両親と家族は乗り切りました。私のかえろうという歌を涙を流して歌いながら。歌には力がある。私はその曲を作っておけたことに感謝しました。きっと何もかもに意味があるんだと、その時思ったのです。」  一呼吸おいて、「5時の音楽を聞いたら、すぐにおうちに帰らないとね。」そう言い残し、長谷川さんは跡形もなく消えた。  長谷川さんはまた泣いていた。私も泣いた。目の前で今まさに起きていることのように泣いた。苦しくて苦しくて、目が真っ赤になるまで泣いた。どんなに一所懸命に生きても、どんなに心優しく生きても、こんなにつらい別れが待っているときもあるのだ。私はどうだ、自分のことばかり考えて生きているのではないか。それなのに、今日ものうのうと暮らしている。命は限りのあるものだということをがいこつ姿の長谷川さんから感じないというわけにはいかなかった。  私は家族に具合が悪いと言って自室から出ずにいた。こんなに泣きはらした顔で出ていくわけにはいかないし、理由を話すこともできないと思った。しばらく椅子に座って放心状態であったが、極度の疲労を感じてベッドに横たわった。いつ眠れたか分からなかったが、早朝に目が覚めた。仕事を辞めてからは家族が起きだしていろいろな音がした頃に、のそのそと起きるのだが。誰も起きていなかったから、起こさないようにそっと家を出た。あと数十分で起きるであろう母が、私の不在に気が付いたら心配するだろうと思って、置き手紙をした。散歩をしたらすぐ帰りますと書いておいた。  外に出て、初めて長谷川さんに会った場所に向かった。そこは3人がやっと座れるような小さなベンチがある公園だった。滑り台には朝日が当たり、誰かが来るために支度をしているようにも見えた。長谷川さんの「何か」がここにもあるような気がして、ゆっくりと深呼吸をしてみた。私も「何か」でできていて、今はそれを大切に使って生きる時なのかなと、吸い込んだ空気が体に染み込むような気がして、なんだかすとんと腑に落ちたような気がした。今まで、何を焦って生きていたのだろう。何かを為さなければならないと自分で勝手に思い込んでいたのかもしれないと強く感じた。私はこの世に生れ落ちた。それだけで意味のあることだったのだ。そこから自分の命を使ってこの時を生きる。自分でできることをできるだけやる。いつか必ず訪れる旅立ちの日まで。  家に帰ると案の定、母がとても心配した顔で待っていた。でも私が家を空けたのは30分程度で、母がいつも起きる時間から10分程度しか経っていない時間に帰ったと思ったから、そんなに心配しなくてもと感じた。母は私にどうしたのと聞いた。私はすぐそばの公園のベンチで深呼吸をしていたと言った。驚いたことに母は30分も?と聞いた。そう、母というのは勘が良いのか私が家を出た瞬間に目が覚めたようだ。布団の中でどうしたことかと慌ててリビングに出てきていた。それで私の置き手紙を見つけた。昨夜は具合が悪いと夕ご飯も食べなかった娘が早朝に出ていくのは尋常じゃないとすぐに外に出て探したい気持ちだったが、「すぐ帰る」という言葉を信じて30分くらいは待とうと思ったのよと困ったように笑った。私は何歳になっても親には心配をかけてしまうのだと反省した。親を不安にさせることはもう二度と厳に慎むと心の中で誓った。  この日も長谷川さんは5時きっかりに私の部屋を訪ねてくれた。私は今朝感じたいろいろな気持ちを忘れたくなくて、文脈も気にせず殴り書きのようにノートに書いているときだった。 「昨日はつらい話をしてしまい申し訳ありませんでした。この話をどなたかにしたのは初めてです。旅立った本人が話せることがあるわけないのです。弥菜さんのお人柄でしょうか。私の無念な気持ちを受け止めていただけるような気がして、甘えてしまいました。私が「何か」になったのはよっぽど前のことなのです。悲しみという感情はもうなかったはずなのです。でも弥菜さんとお話しすることができて、思い出したのです。私はあのとき泣きたかったのだと、誰かと一緒に泣きたかったのだと。昨日はそれを叶えることができました。けれど、弥菜さんには知らなくていいつらい話を渡してしまいました。私はこんなことをしてしまって、弥菜さんに償うことができないのです。私はどうお詫びすればよいのか、この命と引き換えに詫びたくてももうその命はないですし、何も差し上げることもできないのです。泣いている背中にそっと手を当てることさえできないのです。」 「長谷川さん。昨日お話を伺って心の底から悲しい気持ちというのが沸き上がってくるのを感じました。圧倒的な悲しさ、受け止めることができないほどの大きな気持ちでした。仕事を辞めた時も泣いて泣いて、生きていてこれほど泣くことがあるのかとその時は思ったのです。でも昨日分かったのです。あの日の涙と昨日の涙は違いました。どちらの涙も本物なのですが、会社を辞めた時の涙はほんの少しの希望も含まれていたのだなと感じたのです。無職になろうとも私は私のままですし、命はあるのです。むしろ無理をしていた私から解放されたので、その一点だけを見れば歓喜の涙、安堵の涙でもあったのだなと分かったのです。私は駄目な人間だと、我慢のならない人間だと、考えなしだと、すねかじりだと、親がいるから甘えているんだと自分を罵っていたのです。でもそれはまだ私の人生に続きがあるから、これではだめだと自分を鼓舞する要素もあったのだと分かりました。もちろんその時は分かりませんでした。単純に苦しくてどこかに逃げてしまいたくて、消えてしまいたいほど悲しいというような感情しかなかったのです。でも昨日、本当の悲しみというのはこういうことなのだと分かりました。誰を恨むこともできない、それが起きる前に戻ることもできない、本当にここで終わりなのだ、終わってしまったのだというのが痛いほどに分かったのです。そんなつらいことを経験しているなんて分かりませんでした。長谷川さんはとてもとても穏やかな声で語りかけてくださるので、幸せな人生を送ったのだと勝手にそう思っていたのです。」 「弥菜さん、私は幸せだったのですよ。その日を迎えるまでの人生は幸せだったのです。それは間違いないことです。ただ旅立ちがあまりにも急だった、それだけなのです。もっと命があればできることもたくさんあったでしょうけれど、後悔はないのです。結婚しなかったのも良かったし、私に兄妹がいたことも良かった。いつかは結婚して家庭を築く日もあるのかと思ったことがなかったわけではないのですが、もしそうしていて最愛の人を残してしまっていたら、私は「何か」にはなれなかったかもしれません。残してきた両親は兄妹が、いいえ、二人の家族たち全員で守ってくれたのです。二人は子供にも恵まれて、その子供たちの笑顔はどれだけ両親の力になったのか。私は会うことも叶わなかった姪や甥にどれほど感謝したのか伝えたいくらいです。両親もきっと幸せな人生だったと思ってくれたと信じています。仕事でも上司に恵まれて「かえろう」を採用してもらって放送してもらって、自分も聞くことができました。それで自分のなすべきことはきっとできた、そう思えたからこそ私は自然と「何かに」なれたのだと思います。今日弥菜さんに会うまでは弥菜さんにひどいことをしたと思ったのですが、今日の弥菜さんは昨日とは顔つきが違いますね。心が整理されているように感じます。悲しみと向き合うのはとても苦しいことですが、そこから得るものもあるのでしょうね。弥菜さんにはその力があった、そういうことですね。安心しました。」  一呼吸おいて、「5時の音楽を聞いたら、すぐにおうちに帰らないとね。」そう言い残し、長谷川さんは跡形もなく消えた。  長谷川さんに伝えたい気持ちがたくさんあったけれど、長谷川さんとは数分しかお話しできないのだ。でも長谷川さんにはきっと伝わっていると思う。  私は早速今朝の誓いを守ろうと、自室を出てキッチンへと向かった。母はいつも通りお米を浸水し始めていた。私は今朝のことをもう一度謝ると、母はいつも心配かけてと笑いながら答えてくれた。母は私が何かを掴んだのだと分かったようだ。昨夜から今朝にかけての時間は必要だったのだなと。けれど母は何も言わなかった。いただき物のクッキーがあるから一緒に食べようかとだけ言ってくれた。  晩御飯には珍しく父も早めに帰宅していて、私とは違って立派な社会人になった弟は残業でまだ帰宅していなかったから、両親と私で食卓を囲んだ。我が家はスポーツをするのは弟だけだが、観戦は全員大好きでラグビーを観ながら楽しいひと時を過ごした。観戦の興奮冷めやらぬ三人がアイスをボウルによそり始めたころ、弟が帰宅した。夕ご飯は外で食べたといい、母がまた!と怒っているのも全く気にせず浴室に直行し、弟はあっという間にシャワーを浴びてきて、結局四人でアイスを食べた。私たちが社会人になって以来、こういう団らんの時はなかなかなかったのだが、久しぶりにそんな時間が流れた。  翌日は母が買い物に行くのに付き合ったり、部屋の掃除も念入りにしたりで、生活を立て直そうという気持ちがようやく出てきた。良く晴れた日で、洗濯物をたたむのがこんなに幸せな気持ちになることだったのかと驚きつつ、そういえば大学生のころ短歌を詠むことを少ししていて、洗濯物の短歌を詠んだっけな、なんて思い出したりしていた。5時までの時間があっという間に経っていた。 「弥菜さんの本棚はきれいに整理されていますね。本への愛情が感じられます。本たちも弥菜さんのもとに来られて幸せそうです。」  長谷川さんは今日は本棚の前に立っていた。私のお気に入りの本棚だ。長谷川さんは私に背を向けて本を眺めていたが、すぐに振り向いた。 「私も本を読むのが好きでした。ただ当時はなかなかたくさん手に入るものではなかったのです。近くに大学教授の息子の友達がいて、その家に遊びに行ったときにずらっと百科事典が並んでいてひどく驚いたことを思い出しました。子供が持つにはとても大きく圧倒的な存在感でした。知の宝庫とでもいうのでしょうか。中学生になった頃、彼に頼んで一冊だけ触らせてもらいました。ずっしりとした重み、ページをめくる手触り、それを読んでいるだけでなんだか自分が賢くなった気がしてとても嬉しかったのを覚えています。我が家には百科事典をそろえる経済的余裕もありませんでしたし、もちろん置く場所だってありませんでした。けれどやはり子供の頃の体験というのは大きかったのでしょうか。初めてのお給料で自分のために辞典を買ったのです。何の辞典にしようかと散々迷ったのですが、類義語辞典にしました。役所に勤めていたので、文書を書く機会もありましたし、適切な言葉の使い分けができるのが真の大人のような気がしてそれに決めました。少し暗い黄色の背景に青い文字の表紙のものです。あれを持って帰った日にどれほどわくわくしたか。私がいつまでも読んでいるので、家族に私がいつの間にか眠ってしまって辞典は枕にされてしまうんじゃないかとからかわれました。私も言葉と活字が大好きだったのです。弥菜さんと一緒です。活字中毒とお伺いしましたから、弥菜さんにはこの気持ちを分かっていただけますか。」 「とてもよく分かります。私も辞典をつい買ってしまうところがあります。この前は好きな歌手の方の歌がイタリア語だということが分かり、ポケット版の日伊辞典を買ってしまいました。文法を勉強していないので、歌詞の単語を調べることさえ大変でした。歌詞の言葉は活用されたりで、辞典の通りではないのですよね。でもともかく原語の歌詞の意味を知りたくて、つい買ってしまったんです。そういうときの決断力は良いのですが、結果は伴わないのが私の悪いところなのです。」  長谷川さんがなんだか嬉しそうに微笑んだような気がした。でもどこからどう見てもがいこつでしかないのだけれど。 「弥菜さんの本棚には、弥菜さんの思い出がたくさん詰まっているのでしょうね。親御さんに買っていただいた本、成長した弥菜さんが一人で買った本もあるでしょうね。きれいな包装紙や映画の広告をブックカバーにした本などもあって、きっとこれらの本は弥菜さんの思い入れがあるのでしょう。もしかしたら読むのがつらかった本や、本来弥菜さんの好みではない本もあるかもしれません。どんな種類の本でも弥菜さんのもとにある本は、弥菜さんの本棚に丁寧に並べられているのです。一冊一冊にここにたどり着いた道のりがあります。この本棚をじっくりと観察すれば、弥菜さんの歩んできた道が分かります。本は置く場所が必要ですが、手に取ってその本にまつわる日々や気持ちを思い出すきっかけにもなりますから、私は本がたくさん並べられている本棚が大好きです。勝手に弥菜さんの部屋を訪ねて無遠慮に本棚を眺めているのは申し訳ないのですが、弥菜さんの本棚からは温かみを感じて、いつまでも眺めていたくなります。」  そう言って、長谷川さんはまた本棚を上から下までゆっくりと眺めていた。私はなんだか自分が褒められたような気がして、恥ずかしい気持ちがしたけれどそれよりも嬉しくて誇らしい気持ちまでしていた。 「私が思うに今こちらの本が弥菜さんを待っているようです。」  長谷川さんはそういうと一冊の本を指さした。私が本を手に取ると、「5時の音楽を聞いたら、すぐにおうちに帰らないとね。」そう言い残し、長谷川さんは跡形もなく消えた。    それは高校時代に課題図書で読んだ本だった。高校時代は好きで何度か読んだが、ここ最近は存在さえ忘れていた。私は本が汚れるのが嫌なのですべての本をお店でもらったブックカバーやいただきものの包装紙などで包んでしまっていて、背表紙から本のタイトルを読むことができないようにしている。もちろんものすごく思い入れがある本はカバーをしてあっても何の本か記憶している。しかしその本はそこまでの思いれはなく、当時たくさんの本を買ったお店のカバーで包まれていて、文庫だというヒントしかなかった。  表紙を開くと、ある古本屋さんの店主のもとに持ち込まれる相談事を常連さたちと解決していくというほのぼのとした物語だった。短編で6話構成となっている本だった。古本屋さんの店主は40代の女性で、跡継ぎのいない親戚からこの店を引き継いで3年になるところから始まった。常連さんは3人いて先代の頃から通っている80代の男性と60代の女性、近所の鍵っ子の小学生の男の子だ。店主以外に50代の女性が働いていた。6話の中で私が最も好きだったのは、ある女性が古本を求めてお店を訪れるものだ。その女性というのは、子供の頃に父親と死別し、母親もつい先日亡くし遺品整理をしていた時に、ある本に関する両親の手紙のやり取りを見つけて、どうしてもその本を読んでみたくて探しに来た人だった。その女性はお店に来たときばらばらになった心を何とか両手で抱えて来たような状態だったが、店主らと本を探したり、常連の3人とのやりとりで心が温まりはじめ、本を見つけて帰る頃には生きる気力が湧いてくるという物語だ。  そうだった。私はこれを読んだときに、本に関する仕事がしたいと思ったのだった。いつの間に忘れていたのだろう。子供の頃から両親の影響で図書館に行くのが好きだった。小学生の時に私の住む市内に大きな図書館が完成した。今まで通っていた図書館はもちろん好きだったのだが、比べ物にならない広さと本棚の多さに圧倒された。私は子供の頃から内向的な性格だったから、本は友達だった。本はいつでも私のそばにいてくれて、心に寄り添い心を満たしてくれた。そして、本は魔法の扉だった。私の知らないこと、もう行くことができない昔のことや、住んでいるところからはとても遠くのこと、なんでも私に教えてくれた。  私はこれなのだと分かった。あまりに当たり前すぎて近すぎて分からなかったのだ。私は本が好きで好きでたまらないのだ。本に関わる仕事をしよう。どういう道があるか分からないけれど、その道を進めばよいのだと分かった。  あくる日はどうしても長谷川さんにお礼が言いたくて、5時になるのが待ちきれずに1日中そわそわしていた。 「弥菜さん、背中からやる気を感じますね。」  声がして振り返ると長谷川さんは私のベッドに腰かけていた。でも昨日よりなんだかもやがかかっているように見えた。 「長谷川さん、昨日教えてくださった本を読みました。それで私分かりました。これからどうしていけばよいのか、どうしたいのかということが。本当にありがとうございました。」 「いえいえ、私には何の本なのかさえ分からないのです。ただ、その本が弥菜さんを待っているというのを感じたのでお伝えしただけなのです。どのような本なのか教えていただけますか。」 「長谷川さんはすべてお見通しなのだと思っていました。本の内容はご存じなかったのですね。ええと、古本屋さんの店主さんと常連さんが、古本屋さんを訪れるお客様の相談事を一緒に解決していく物語です。私が高校の時に課題図書で読んだものです。だいぶ長く読むことがなかったのですが、昨日一気に全部読みました。私の本への情熱とでも呼ぶのでしょうか、そういう気持ちが急に沸き上がり、この気持ちを大切に生きていきたい、そう思いました。本はいつも私のそばにいてくれたのに、私がそのメッセージに気が付かなかったのです。というよりは、あえて気が付かないようにしていたのかもしれないです。本は私にとっては悩み事を相談するような相手のような気がしていて、頼ったらいけないと強がっていたのです。でも違いました。本を遠ざけて生きていくことなんて私にはできなかったんです。それに強がりとも全然違いました。ただ自分を苦しめれば今の状況が改善されていくような気さえしていたのだと思います。」 「昨日も言いましたが、この本棚を見たら分かります。本たちはここにいることを喜んでいるように私は思います。弥菜さんにとってそれはあまりに当たり前だったのでしょう。好きなことを仕事にするというのは意外とできるようでできないことかもしれませんからね。私が何か弥菜さんの人生のヒントになると分かってしたことではないのですが、弥菜さんのお役に少しでも立てたのなら、このような存在になれて良かったです。私たちは本当はこのように存在を明かすことなく、いろいろなメッセージを出しているのです。それを皆さんは受け取っているのですが、私たちの存在は全く感じないのです。それで良いのです。私たちはもう「何か」なのですから。弥菜さんは偶然そういう状態になっていましたし、おそらく目に見えない存在を感じる心というものがあるのです。あまたのものに命が宿るという考え方です。きっと弥菜さんは誰かからもらったメモ書きでさえ捨てられない人でしょう。書かれた文字やメモの手触りにさえ愛着を持つ。その文字が書かれた時間さえ愛おしむ、そういう人なのでしょう。私もそうでした。私の棺桶には私が大切にしてきたメモ書きや手紙を入れてもらったのです。分かりやすく缶に入れて保存して置いて良かったです。家族はちゃんと私の大切なものだと気が付いてくれていました。だから私は今でもその文字たちと一緒にいるように感じています。私とともに旅をしているのです。」  当たり前なのだが、長谷川さんはもう棺桶に入った人なのだ。そう分かっているはずなのに、目の前のがいこつ姿が目に入っているはずなのに、いつの間にかそういうことを忘れてしまう。この世の人ではなくても、自分のことを理解してもらうのは本当に嬉しかった。自分のことを分かってもらえなくたっていいと強がってしまうときもあるけれど、分かってくれる人がいるだけでどうしてこんなにも心が温かくなるのだろう。 「弥菜さんからいただいた言葉ももう私と一緒にいるのです。弥菜さんの温かい気持ちも携えながら。こうやってコミュニケーションをとれるとは思っていなかったので、私もたいそう嬉しい気持ちです。誰かに想いを受け止めてもらうのはこれ以上ない喜びですね。」 「5時の音楽を聞いたら、すぐにおうちに帰らないとね。」そう言い残し、長谷川さんは跡形もなく消えた。  私は早速、本に関わるの仕事を調べた。古本屋さん、本屋さん、図書館の司書さんなどがあると分かった。図書館と一口に言っても、学校図書館、公共図書館、企業内図書館など種類があった。そういえば大学時代に専門的な本を借りるために官公庁内の図書館に行ったことがあったことを思い出した。図書館司書を目指したい気持ちもあったが、無職となり体も心ぼろぼろという状態になっただけでも親には相当の心配をかけている。そんなことを言い訳に、すねかじり状態で家にいさせてもらっている。すぐに再就職しないのであればさらに金銭的にも迷惑をかける。親はまずは体と心を治すのが優先だと、迷惑だなんて一言も言わない。けれど、私自身は親に対して心苦しく思っていたし、時折ものすごい悲しさというか悔しさというかやるせなさを感じていた。それは街を歩けば同世代の人が社会人として働いている姿を目の当たりにしたとき、私はどうしてこうなってしまったのか。皆のように普通に働くということをどうしてできなかったのか。そう思いだしたら気持ちがどうしても塞いでしまった。どこにも属していない不安。幼稚園以来のどこにも行く必要のない存在であるという事実。それが私を押しつぶそうとしていた。ひとまず働くことを目指し、軌道に乗ったら司書の資格取得を目指す方法を考えた。  あくる日は、近くにある数件の本屋さんを訪ねて求人情報を探したり、本屋さんで働くのはどういう感じかなと、図書館に行って参考になる本を探したりした。本屋さんも図書館も一度入るとなかなか出られない私は、予定していたより帰宅が遅くなってしまった。ようやく自分の部屋に入ると5時5分前になっていた。なんとか間に合ったと思ったが、そういえば最初に長谷川さんと会ったのは外だったことを思い出して、長谷川さんにとって私のいる場所はどこでもよかったのかなと思い、息せき走ってきてしまった自分が面白くなって、気が付いたら声を出して笑っていた。 「弥菜さん楽しそうですね。良いことがありましたか。」  いつもの長谷川さんの声がしてベッドのほうを向いたが、昨日よりももっとかすんでいるように見えた。それに声も昨日とは違って遠く聞こえた。 「長谷川さん。声がとても小さくて聞き取りづらいのです。もう少し大きい声で話してもらえますか。」 「ああ、それは受信器が正常になりつつあるのでしょう。かちこちに固まっていた心を、解きほぐすことができかけている証拠だと思います。人生の先輩としてはとても嬉しいことですが、もうそろそろ私とはお別れということですね。まだ私の姿は見えますか、声は聞こえますか。早くお礼を伝えなければ。出会ってくれてありがとうございました。あなたにはほんのひと時だったでしょうが、私にはとても実りのある時間でした。すっかり忘れていた人間としての日々を思い出させてくれました。私は今、旅の途中なのです。どこまでもどこまでも続く旅。この世を去ることは悲しいことばかりと思っていましたけれど、今はどんな場所にもひとっ飛びで行けるのです。自分の旅の経験を話して誰かに伝えるのは難しいことですけれど、もう私は「何か」なので、伝える必要は本当はないのです。いいえ、私はもう「何か」として伝えているのです。それでよいのです。私はもう何も必要がないのです。あなたとの出会いのようなことはもうこれっきり起きることはないかもしれません。」  私はまだ長谷川さんと離れたくなくて、言いたいことがたくさんあって、これからも私と時間を共にしてほしくて、あふれる気持ちは涙としてただ床にぽたぽたと落ちた。 「弥菜さん、泣いてよいのです。泣いて、自分の気持ちと向き合ってください。何が悲しいのか分かれば自分は何を大切にしているのか分かります。大切にしていることが分かればそれを指針に生きていけるのです。実態があって手を取り合えるだけが弥菜さんのそばにいるということにはなりません。私はもう弥菜さんの一部なのです。そして弥菜さんも私である「何か」の一部なのです。本当はどこからどこまでなどと考えなくてもよいのです。弥菜さんは今までもそうしてこられていますし、これからもちゃんと生きていけます。肩ひじ張らず、風を感じて、自分の心地よいことを探して生きていけばよいのです。雨の日も風の日もありましょう。打ちのめされて立ち上がれないと思う日もあるでしょう。でもそんなときは耳を澄ませて、空を見上げて、「何か」を感じるはずなのです。感じることができるのです。どうかそれだけは忘れないで下さい。こうして出会えた私からのささやかなお願いです。」 「長谷川さん。本当に、本当にありがとうございました。私どうしようもない状態でした。でも自分で自分を追い込んでいた部分があったのかなと、今では思います。あの時はそうするしかできなかったのです。でも、いったん止まって考える機会をもらえたんだって思うことにします。長谷川さんと出会ったのも誰かが、「何か」が出会わせてくれた、そう思います。お別れしたくないですけれど、亡くなった人がどんなときもそばにいるという意味が分かったような気がします。心の中に生きている、そう思っていたのですが、きっと「何か」に帰るのでしょうね。私たちは「何か」から生まれて「何か」に帰る、そういうものなのだと思いました。」 「弥菜さん。5時の音楽を聞いたら、すぐにおうちに帰らないとね。」そう言い残し、長谷川さんは跡形もなく消えた。  長谷川さんは何日待っても再び私を訪ねてきてくれることはなかった。長谷川さんを忘れたくなくて、長谷川さんの言葉や、自分が感じたことなどをノートに書いた。それでもなお長谷川さんを私の中で残しておきたくて、骨格標本を買ってはどうかと考えた。そのままの姿で置いておくのは長谷川さんに申し訳なく思って、どうしても作業服を着せた姿にしたかった。でも縫物が苦手で作業服を手作りするのは無謀だなと考えていたところ、昔遊んだ着せ替え人形の服に作業服に似たようなもの売っているかもしれないと思いついた。さっそく探したところ同じような、作業服はなかったけれど、ベージュのズボンと茶色のパーカーがあったのでそれで代用することにした。人形用の鍵盤ハーモニカも見つけて、嬉しくて買った。その服のサイズに合う骨格標本も手に入り、服を着せてもう一度買ってきた骨格標本の箱に戻した。箱にはカラーの写真が付いていたから、そのままの状態で置いておくと家族に不思議がられたり、気味悪がられたりするといけないと思って、きれいな包装紙を張り付けて本棚に立てた。普段はその箱の中身の気配を感じるだけにしたが、時々くじけそうなときは箱を開けて長谷川さんを思い出して涙を流したりもした。  私は無事に本屋さんにアルバイトとして採用されて、お昼頃から閉店まで週に5日働くようになっていた。まだまだ不慣れでつらいと思うこともあったが、本は私に力をくれた。お客様からの本の問い合わせに答えたるたびに、書店員としてのスキルの足りなさを痛感するばかりだったが、努力したいという気持ちがどんどんと大きくなっていることにも気が付き、やりがいも感じていた。また、本を並べるというのも自分に合っているのかとても好きな仕事であった。  そのうち季節が変わり、音楽の放送は5時に戻っていた。夕方の5時にはまだ仕事をしていたが、お店の入り口が外に面していたため、音楽の放送は毎日よく聞こえた。5時の放送が聞こえる度に、長谷川さんの鍵盤ハーモニカの旋律を思い出そうとしたけれど、放送がそれを打ち消すように鳴り響いた。私の中での長谷川さんが消えてなくなってしまうような気がして、仕事が終わった後に帰宅するときに長谷川さんから聞いた「かえろう」を歌った。長谷川さんに聞こえるかもしれない、聞こえてほしいと願いながら。でもある日、空を見上げて思った。いいや、違うんだ、長谷川さんにはとっくに聞こえているのだ。私の気持ちも歌声も。この空にこの風に私は守られながら生きている。私もその一部として今日も力を尽くすのだ、肩ひじ張らずに。そう、いつか「何か」に帰るまで。
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