ザ・テンペスト

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ザ・テンペスト

 光の当たる場所だけを歩く、表の世界の人々は知らないのだろう。  この世には、度胸と覚悟さえあれば――何でも手に入れられる闇の世界があるということなど。 「ようこそ、“ザ・テンペスト”へ。お待ちしておりました、早坂様」  まるで英国紳士のように髭を生やした、バーテンダー姿の男性は。にこやかに笑って、私におじぎをしてきた。 「此処を訪れられたということは、貴方にもまた絶対に叶えたい願い……欲しいものがあるということ。その望みをお申し付けください。貴方に度胸と、覚悟さえあるのならば……どんな望みでも叶えることができるのが、この場所でございます」  秘密の地下空間。表を生きる人々は存在を知ることもない、闇の賭博場。それがこのザ・テンペストだった。  燭台の上、怪しく灯るロウソクの火に照らされ、規則正しく並んだ丸テーブルが浮かび上がる。既に勝負を始めている組も何組かあるようだった。ある組の者達かカード、ある組の者達はタブレットのようなものを与えられ、脂汗をかきながらうんうんと唸り声を上げている。別の部屋からは、恐ろしい苦痛を与えられたような絶叫さえも時折聞こえてきていた。  ここは、あらゆるものを賭けて勝負する場所である。  勝負の手段は全て、バーテンダー側がランダムで決めることとなる。勝てば望むものは全て手に入るが、代わりに――負けた時には同価値のものを失うことになるのである。  例えば一億円の金が欲しいのなら――負けた時、一億円の負債を負う覚悟が必要になるのだ。当然、一億円分を裏の世界での重労働で稼いで返さなければならなくなる。表の世界にはまず戻ることができない。此処は、それほどまでのリスクがある場所なのだ。  それでも、私が此処に来たのには理由がある。どうしても手に入れたいもの――それが、此処でなければまず手に入れることができないものだと知っているからだ。 「……事前に伝えた通りだ」  引き返せる、最後のポイントがこの受付である。だから、受付担当のバーテンダーは、既に私の望みを知っていながらあえて問うのだ。 「私は……娘に合う“肝臓”が欲しい。望みは、それだけだ」  まるごと一つ、娘に適合する肝臓が欲しい。私の一人娘の円香(まどか)は、重い肝臓の病を患っている。助かる方法は移植だけだと言われたが、適合する肝臓の型も限られている上、順番待ちというものがある。このままでは、その順番が来るまえに娘の命は尽きてしまう。もうその時間を待っている猶予が彼女にはない。一刻も早く、移植をするしか助かる手段はないのだ。  ならば手段は一つ。闇だろうが非合法だろうが、肝臓を手に入れるしか術はない。これが腎臓だったなら自分のものを渡してやることもできたというのに。肝臓では、そういうわけにもいかない。 「既に、適合する肝臓は、確保の目処が立っております」  貼り付けたような笑顔で、バーテンダーは告げた。 「ですので、早坂様が勝利された暁には、肝臓は娘様のものとなります。ただし、そのためには三回三種類の勝負に全て勝たねばならず、その方法もその場で決定されるため完全にランダムです。種類によっては、勝負そのものに大きな怪我や命の危険を伴うものもあります。場合によっては、敗北と同時に命を落とす種類のものもございます」 「ああ」 「加えて、今回早坂様は肝臓をご希望されておりますので、早坂様が敗北された暁には早坂様の肝臓をこちらで全摘出し、頂戴することとなります。それはご理解いただけておりますでしょうか?」  肝臓を全て、闇医者に奪われる――それは実質、私自身の死を意味している。つまり、この勝負は完全に命賭けになるというわけだ。どんな勝負をふっかけられるか、勝負そのものが安全であるかもまるでわからないのに、である。  それでも、私は。 「やります」  死んだ妻の、忘れ肩身。円香だけは、なんとしてでも救うとそう決めたのだ。 「やらせてください、お願いします」  そして、私は――引き返せない書類にサインしたのだ。敗北と同時に全てを失うことも――勝利することで、誰かの未来を奪うことも覚悟の上で。
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