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花桜だけが知っている
はらり、ひらり。重たいくらいに幾つもの花を咲かせた梢から、一つ、また一つと零れ落ちて行く花桜。
俺は桜の木の幹に背中を預けて、宙を舞う花弁をぼんやりと目で追いかけている。
「ああ、今から帰るとこ。透が花見したいとか急に言い出すからちょっと寄り道してるけど」
通学路から少し外れた、神社の裏手にある公園。そこは近所の人しか知らないひっそりとした花見スポットで、見頃を迎えたこの時期は、満開の桜の木に囲まれている。
「別にいいよ、兄貴達は仕事だったんだから仕方ないだろ。写真はちゃんと撮っておいたから」
スマートフォン越しに聞こえる兄の謝罪の言葉に対して、俺は小さく笑った。それでも彼が何度も「申し訳ない」と繰り返すので、電話越しなのにぶんぶんとかぶりを振ってしまった。
「本当にいいって。透も全然気にしてなかったし、中学生になったんだからそんなもんだよ。あんまり子供扱いするなよ、怒られるぞ? うん、分かった……はいはい、じゃあまた後で」
濃紺のスリーピーススーツに身を包んだ俺は、ふうと小さく息を吐き出してネクタイを弛めた。そして電話の間中、ずっと待たせていた相手を探す。
公園を見渡してすぐ、淡紅色の世界の中にちょこまかと動き回る黒い影を見つけた。
「透、何してんの?」
名前を呼ぶとこちらに向けられる無邪気な笑顔。
さっき兄には「子供扱いするな」と言ったけれど、やっぱりまだまだ子供にしか見えない。
須藤透、十二歳。本日中学校の入学式を迎えたばかりの、俺の甥だ。
「遥希くん、電話お父さんだった?」
「うん。今日の夜ご飯は焼肉連れて行ってくれるって、良かったね」
「やったー!」
そう言って透が飛び跳ねる度に、「入学おめでとう」と書かれた胸章のリボンが揺れる。
つい先日までランドセルを背負っていた透が中学生だ。成長を喜ぶ気持ちと同時に、何処かそわそわとしたむず痒い気持ちもあった。
下ろし立ての詰襟の制服に、汚れ一つ無い真っ白なスニーカー。それがまだ透に馴染んでいなくて、俺の方が落ち着かない。
「じゃあ帰るか。兄貴達も早めに帰れるようにするって言ってたし……」
「あ、ちょっと待って。今まだチャレンジの途中だから!」
「チャレンジ?」
間の抜けた声を上げる俺を見上げて、透が得意気に笑う。彼が差し出した小さな手のひらには、桜の花弁が揺れていた。
「桜の花びらをさ、地面に落ちるまでに十枚キャッチ出来たら願い事が叶うんだって。今もう八枚目なんだ」
「ふうん。簡単そうだけど」
「ひらひらしてて意外と難しいんだよ。十枚まで待っててね」
やっぱり透は子供だ。なんだって遊びにしてしまうし、ただのジンクスにこんなにも真剣になれる。
対して俺は、透の年頃からすればおっさんだ。
須藤遥希、三十二歳。
甥の入学式に参加して父親と間違われるも、まだ独身。もちろん子供もいない。
自分が中学生だった時なんてもう二十年も前で……。もはや記憶も朧気だが、その頃は俺だって今の透みたいに輝いていただろう。
「九枚目取れたー!」
キラキラ、キラキラ。くるくると駆け回って桜の花弁を追いかける透の姿が眩しい。
怖いものなんて何もないとでも言うような、無敵の笑顔。
十二歳の透は今から何にだってなれる、やりたいことは何だって出来る。
正直なところ、可能性の塊でしかない彼を羨む気持ちが、俺の中で燻るように蠢いていた。
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