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序章 すべて忘れて
どこか遠く、誰も自分のことを知らない場所へ行きたい。
桐谷紗栄が初めてそう思ったのは、中学一年生の秋だった。
漠然とした願いは、中学を卒業して高校へ進学しても薄れることなく、むしろ強く、切実さを増していった。
紗栄は十一歳の夏、事故に遭い、記憶をすべてなくしている。そのせいで、周囲の人たちとうまくいかず、ずっとわだかまりを抱えてきたのだ。
高校三年生になると、紗栄はとうとう、長年の願望を実行することに決めた。
高校卒業後は県外の大学へ進学し、地元を離れる。両親や同級生とは少しずつ距離を置き、人間関係もなにもかも、すべて一からやり直すのだ。
受験を終えた三月。桜の花がほころび始めたある日の早朝、大きなリュックを背負い、紗栄は一人で家を出た。
紗栄の母の実家は、田舎にある小さな神社だ。祖父が社務所に暮らしながら宮司を務めていたが、四年前に病気で亡くなって以来、誰も住んでいない。紗栄はその神社へ引っ越して、近くの大学へ通うことにした。
近場に誰も親戚が住んでいないせいか、神社はほとんど放置されている状態だという。
電車を何度も乗り換えて、数時間後。
神社の最寄り駅に着くと、小雨が降っていた。天気予報では晴れだったので、傘は持ってきていない。
これ以上ひどくならないといいな。
薄暗い空を見上げつつ、紗栄は屋根のあるバス停へと急いだ。
二十分ほど待って、ようやく一時間に一本しか出ていないバスに乗り込む。バスは対向車もほとんどない、山間の細い道路を縫うように走った。
「次は、草津。草津に停まります」
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